汽水の匂いに包まれて(その1)
畠山 重篤
NPO法人 森は海の恋人 理事長
気仙沼で牡蠣の養殖をされている畠山 重篤さん(NPO法人 森は海の恋人 理事長)」に寄稿いただきました。
畠山さんは、森の腐葉土が土中でイオン化した鉄と結びつきフルボ酸鉄となり、川を通して海まで届き、牡蠣などの海の生き物の生育に役立つということを知り、45歳の時から30年以上、「森は海の恋人」というコンセプトで漁師が上流の山に木を植える運動をしてこられました。
主な著書として、『森は海の恋人』(文春文庫)、『鉄は魔法つかい』(小学館)(産経児童出版文化賞)
私は三陸リアス式海岸の気仙沼湾で、牡蠣の養殖業を営む一魚民です。
太平洋戦争を生き延び帰ってきた父が始めた商売で、私が二代目、今、三代目の息子たちが中心となって経営しています。
更に四代目を継ぐべく孫が今春、石巻専修大学理工学部生物科学科に進学しました。孫の代で100年になろうとしています。
今、どんな商売も時代の波に翻弄され、100年継続するのは困難な時代ですが、しぶとく生き残っているのです。
それは、養殖と言いましても一切餌をやる必要がないこと、平たく言えば餌代がかからない商売だからです。
今、魚の養殖も盛んですが、1日2回は餌をやる必要があります。ちなみに魚の養殖は売上の6割が餌代で、稚魚も高価です。それに比べ牡蠣は天然で種苗が採れます。北上川が注ぐ宮城県の海は、世界一、牡蠣の苗が採れる海なのです。それは、極めて安価に種苗の仕入れができることを意味します。
更に、牡蠣は、魚介類の中で、最も病気に強い生物です。
そのしぶとさ故に、大きな儲けがないもののなんとか食べてゆける商売なのです。
ところが、昭和が終わろうとした1900年代の後半、気仙沼湾に大きな問題が発生しました。赤潮が発生したのです。最も汚れた海に発生するという、プロロセントラル・ミカンスという赤潮プランクトンです。牡蠣一個体は呼吸のため1日ドラム缶1本(約200リットル)の海水を吸い込み、プランクトンを鰓で漉して食べています。ただ、プランクトンを選別する能力はありません。そのまま赤潮プランクトンを食べることになります。
すると、白いはずの牡蠣の身が、赤くなるのです。血液の赤と似ているので、「血ガキ」と呼ばれました。とても商売になりません。廃棄処分となったのです。
赤潮プランクトンは渦鞭毛藻(うずべんもうそう)と言われ、毒を含んでいる種もあり斃死の問題も発生しました。
牡蠣の餌となるプランクトンは珪藻類と言われる植物プランクトンです。
それまで、牡蠣の餌となるプランクトンはごく当たり前に増えてくれるものと思っていたのですが、それは条件があることを初めて自覚させられたのです。
牡蠣の漁場は、河川水と海水が混じり合う汽水域であることは、経験的に知っていました。
雪や雨が降らなければ、牡蠣の育ちが悪いからです。
日本一の産地、広島湾には太田川が、そして、宮城の海には北上川が注いでいます。
我が気仙沼湾も大川が注ぐ汽水域です。赤潮が発生するということは、湾に注ぐ大川流域の環境が悪化しているということです。
歴史的に海の生物の研究者は、海だけを見ていました。その指導下にある魚民も、海は海で完結しているという思考になります。
久しぶりで大川河口に行ってみました。三年間学んだ、気仙沼水産高校が建っていた地です。学校は移転し、校庭だけが残っていました。
当時、学校の前には広大な干潟が広がっていて、冬は海苔柴が立てられ、真っ黒な海苔がたわわに育っていました。春先になると潮干狩りの場となり、大勢の市民の憩いの場になっていました。
ところが全部埋め立てられ、石油タンクが立ち並んでいました。川の両岸に立つ水産加工場からは、魚油混じりの排水が垂れ流されているではありませんか。
また河口には、八万市民の下水の問題も見え隠れしています。
萎えそうになる心を奮い立たせ、上流を目指しました。水田地帯になりました。母の実家が農家でしたので、子供の頃は田植えの手伝いに行ったものです。
その頃の水田は、小動物が多数生息し、賑やかでした。しかし、実に静かなのです。
レイチェルカーソンの『沈黙の春』を思い出してしまいました。草を刈っている農家の人に話しかけてみますと、「農薬や除草剤を使わなければ生き物は増えるんだが、手で草をとる時代ではないのでねぇ…」と視線をそらすのでした。
昔は川の流域で、人と物の交流が濃かったのですが、すっかり分断されてしまっています。
農薬や除草剤は海の生物と直結しています。農民の方々ともっと交流せねばと思いました。
山林地帯に入ります。昔は雑木林でしたが、ものの見事に杉一辺倒です。戦後の燃料革命で、雑木林は役に立たないものと位置づけられ、拡大造林計画で杉に変えられたのです。
しかし、貿易の自由化、為替の問題で外材と太刀打ちできず捨て置かれているのです。
間伐されない杉山は日光が入らず、悲劇的姿になっていました。
雨が降るとたちまち赤茶けた水が海に流れてくるのは、手入れのされない森林に問題があることを知ったのです。
河口から8キロ地点に達しますと、両側の山が迫り、渓山幽谷の気配です。そこに大きな看板がありました。「新月ダム建設絶対反対」と大書されているではありませんか。
当時、大幅な人口増が見込まれていたことから、このダムは治水・利水の多目的ダムになる予定だというのです。
全国の汽水域を見ていた私は、河口堰やダムで川が塞がれると、たちまち汽水域が枯れてしまうことを熟知していたのです。