「石炭悪者論」の行き着く先は
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
(産経新聞「正論」からの転載:2019年11月27日付)
気候変動に関するパリ協定が成立して以降、脱炭素化を求める声が急速に高まっている。二酸化炭素(CO2)を大量に排出する技術として真っ先にやり玉に挙がったのは石炭火力発電だ。各国政治リーダーが集まる国連気候行動サミットや、国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)などに合わせ、脱石炭を求める抗議活動が必ず行われるようになっている。
悪魔や恐竜に喩える寸劇
筆者が毎年参加するCOPでも気候変動対策の加速を求める若者が、石炭を、打ち滅ぼされるべき悪魔あるいは時代遅れの恐竜に喩える寸劇を披露するのをよく目にする。石炭そのものや石炭火力発電、そこに投融資をする金融関係者は揶揄、罵倒される一方で石炭火力発電の電気を利用する消費者やその調整機能によって支えられる再生可能エネルギーがその寸劇に登場することはない。わが国では原子力発電に対する逆風が強いが世界全体で見れば石炭に対する嫌悪感が強いことだけは確かだ。
しかし、批判されるべきは石炭だけなのだろうか? 脱炭素化に向け批判の対象は拡大している。
例えば石炭による発電を天然ガスによる発電に転換すれば、CO2排出量は半分程度に削減できる。しかし、発電時にCO2を排出しない再生可能エネルギーや原子力と比較すれば、「五十歩百歩」にすぎないとも言える。もちろん五十歩と百歩の違いを評価し、地道な削減を積み重ねる方が現実的な場合も多い。
だが脱炭素化を求める声が高まるにつれて、移行期の技術として認められるものの幅が狭くなり、化石燃料は効率的に利用する場合であっても認められにくくなっている。
例えば昨年のCOPでも、カナダや英国などがその前年に立ち上げた「脱石炭連盟」が会合を開き石炭火力発電依存度の低減をアピールした。登壇した各国代表は低炭素化に向けた着実な歩みとして、拍手をもって迎えられるつもりだったであろう。しかし会場からは厳しいブーイングが浴びせられた。石炭から天然ガスに転換したのでは意味がない、天然ガス火力発電所を建設すれば数十年にわたって大量のCO2を吐き出し続ける。石炭の半分だから良いというものではないという声である。
効率化技術否定への違和感
脱石炭連盟は基本的に石炭の利用を全面的に否定する考え方である。石炭火力発電の中でも様々な高効率化技術開発が進められてきた。現状の最高効率技術であるUSC(超々臨界圧発電)も現在開発中のIGCC(石炭ガス化複合発電)やIGFC(石炭ガス化燃料電池複合発電)も含めて否定することに筆者は違和感を覚えていたが、それどころではなかったわけだ。しかし、途上国を中心に電力需要は今後も増加し、石炭火力技術へのニーズも続く。
同じことは発電以外の技術に対しても起きている。例えばEU(欧州連合)は民間資金の流れを温暖化対策に振り向けるよう、サステナブル・ファイナンスといわれる制度の法制化に向けた議論を行っている。温暖化対策として有効な技術(グリーンな技術)、逆にそうではない技術(ブラウンな技術)を特定する基準作りも進んでおり、グリーンな技術は投資の適格性にお墨付きを得られることになる。乗用車でいえば電気自動車のように、走行時に出るCO2がゼロの技術はグリーンとされ、また移行期間として2025年までは、走行時のCO2排出量が一定値以下の車も認められている。
しかしその数値は、ガソリンを効率的に利用するハイブリッド車やコンセントから充電できるプラグイン・ハイブリッド車であってもかなり厳しい条件だ。
スペイン「COP25」を前に
そもそも、電気自動車や燃料電池自動車の利用によって出るCO2は本当にゼロなのか。実は、それぞれの燃料である電気や水素がどのように作られるかで大きく異なる。電気も水素も、再生可能エネルギーや原子力によってエネルギーを得ればCO2を出さずに済むが、そうでない方法で作れば大量のCO2を排出する。
欧州の中でもポーランドなどのように発電の多くを石炭に依存する国では現状、ガソリン車から電気自動車に転換するより、ハイブリッド車にした方がCO2削減効果は大きい可能性が高い。
各国の国情を踏まえず、急速な脱炭素化を強いれば、むしろ低炭素化が阻害されてしまう。途上国が経済発展の機会を奪われると反発すれば、温暖化対策への機運も失われるだろう。
12月2日からスペインで開催されるCOP25でも、多くの若者が反石炭キャンペーンを行うだろう。しかしゴールは脱石炭ではなく脱炭素なのだ。彼らとともに脱石炭を謳うのであればそれ以外の技術について我々も考えを整理しておかねばならない。
EUのように移行期の技術を狭く捉えるのか、効率的な利用技術を当面許容し、徐々に脱炭素に向かうのか。「悪者」は石炭だけにとどまらない。