外見か、遺伝子か 分類学を翻弄

書評:キャロル・キサク・ヨーン著『自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

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電気新聞からの転載:2018年8月10日付)

 私は魚を食べるのも釣るのも大好きで、ヒマなときはよく魚の図鑑を涎を垂らしながら眺めている。日本にはタイと名前が付く魚は二百以上もあるが、本当のタイの仲間はそれほど多くない。鯨は魚みたいに見えるが魚ではない。こういうことは子供の頃に知った。ところでメダカは何の仲間かというと、何とダツ目になっている。ダツと言えば海の魚で長さ1メートルにもなる。何だこりゃ?

 魚も動物も植物も、ナントカ目ナントカ科のナニナニと、細かく分類されている。これは偉大なるリンネ以来、多くの分類学者が気の遠くなるような作業をした結果である。きっと白髪で近眼のおじいさんが博物館で埃まみれになりながら標本を検分してきたのだろう。筆者には全く同じに見える植物にも細かく名前が付いている。これを見分けることが出来る分類学者はまるで魔法使いのようだ。

 さてこの本。分類学の基準は何かというと、何と外見だけだった。それで、分類といっても、これはあれに似ている、いや似ていない、とあまり科学的ではなかった。

 ところがダーウィンが登場して、進化に沿って分類するのが科学的だ、となった。だがそれで、分類学は大混乱になった。というのは、外見が似ていても、遺伝子的には遠いという例が、ごろごろ出てきたからだ。遺伝子的にはキノコは植物ではなくて動物になってしまう。何という非常識な(菜食主義者はキノコを食べてはイカンのか?)。肺魚はサケより牛に近い。では肺魚は魚でなくて動物なのか?

 実は生物は、海から陸に上がったり、その後陸から海に戻ったり、と何度も行ったり来たりした。魚の浮き袋は、先祖が陸地に居て肺を持っていた証拠だそうだ。ならば魚は動物か? ということで、魚類という分類は死んだ。今泳いでいる魚全部を魚類と呼ぶならば、遺伝子的には、その中にあらゆる動物が含まれてしまう。遺伝子を分析する技術を手にした、挑発的な若手研究者が、気の毒な老分類学者を攻撃して、分類学は大混乱。それでメダカがダツになってしまった訳か。

 生物は似たような環境におかれると、似たような形に進化するのだ。それで、タイみたいな魚は沢山いるし、鯨も魚みたいな格好になった。だったら、鯨を魚と呼んだって良いでしょう、科学よりも直感を大事にして、そうしませんか?とこの本は語る。


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自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか
著:キャロル・キサク・ヨーン(出版社:NTT出版)
ISBN-10: 4757160569
ISBN-13: 978-4757160569