カーボンバジェットについて考える
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
2015年12月に合意されたパリ協定では長期低炭素発展戦略を策定することが奨励されている。これを踏まえ、環境省では中央環境審議会長期低炭素ビジョン小委員会で、経産省では長期地球温暖化対策プラットフォームにおいて検討が行われてきた。先般、環境省中央環境審議会の長期低炭素ビジョン小委員会から「長期低炭素ビジョン(素案)」が提示された注1)。経産省のプラットフォームの検討もとりまとめに入っている。今春以降、政府全体としての長期戦略の議論が本格化するであろう。
環境省ビジョンでは、「パリ協定を踏まえ、2050年までに1兆トンのカーボンバジェットを世界全体で効率よく使うことが気候変動対策の根幹」とされている。カーボンバジェットとは、一定期間に排出できる温室効果ガスに上限を定め、管理するというものである。1997年の京都議定書の第一約束期間では、我が国は2008年から2012年までの5年間の排出量の年平均値が1990年比8%減となることを義務付けられたが、これはまさしくカーボンバジェットに当たる。パリ協定の合意を踏まえ、これを長期の温室個化ガス削減にも適用しようというのが環境省ビジョン案の基本的考え方である。結論を先に述べれば、筆者は環境省ビジョンの中核となっているカーボンバジェットという考え方について強い疑問を有しており、以下にその理由を述べる。
まず、パリ協定において締約国がカーボンバジェットに基づいて温室効果ガス削減を行うことに合意したかのような議論はパリ協定の交渉経緯の事実に反する。パリ協定における長期目標の議論において、12月5日のドラフト時点ではオプションの一つとして「世界全体のカーボンバジェットの公平な配分」や「地球全体の削減数値目標」の概念が含まれていたが、12月9日時点のドラフトからはカーボンバジェットに関する記述は落とされ、12月10日時点のドラフトからは2050年までに40-70%減といった地球全体の削減数値目標も落とされた。現在のパリ協定はこうした経緯を経て合意されたものである。「2050年までの地球全体のカーボンバジェット1兆トン」は世界全体の2050年時点の削減目標が明確に合意されていない限り、算出不可能であり、パリ協定はそうしたアプローチをとっていない。パリ協定に伴い、「カーボンバジェットを前提となる世界」が生まれたのだから、我が国においてカーボンバジェットを導入すべきという議論は、明らかにこうした経緯を無視するものである。
筆者がカーボンバジェットの考え方に強い疑問を持つ理由は、それが温暖化防止至上主義に立脚するからである。カーボンバジェットの考え方に立てば、ある予算期間中の前期の排出削減が予定通り進まない場合、後期にはその遅れを取り戻すべく、炭素価格の大幅引き上げ等、より急激な排出削減を行わねばならない。最近、よく聞かれる座礁資産論も1.5℃~2℃目標を達成するためには急速な排出規制が必要になり、その結果、石炭火力を含む大量の化石燃料火力発電所が非連続的に退出を強いられるという立論に立っている。しかし、各国政府が直面する課題は温暖化防止だけではない。経済成長、雇用確保、エネルギー安全保障等、政策課題は多岐にわたる。温暖化対策が経済に追加的な負担をもたらすことは否定しようのない事実である。温暖化対策によって経済が成長するのであれば、筆者が長年関与してきた温暖化交渉がかくも紛糾するはずがない。温暖化交渉が難航し、パリ協定においても地球全体の排出削減目標に合意できなかった理由は。ある国における温室効果ガス削減のベネフィットは地球全体で共有され、排出削減に伴う対策コストは国内で発生するため、できるだけ対策コストを低く抑えたいというフリーライダーの構造が存在するからだ。したがって各国は経済、貿易、国際競争力、雇用、エネルギー安全保障等、様々な政策目標とのバランスに留意しながら、温暖化対策を講じなければならない。温室効果ガスの削減のみが至高の政策目的ではないのである。
我が国が2030年26%目標を設定するに当たっても、他国に遜色のない目標という温暖化対策上の要請と併せ、エネルギー自給率の回復、電力料金の低下という3つのEの連立方程式に基づくエネルギーミックスに裏打ちされたものであり、26%目標という数字を無条件で達成するという性格のものではない。カーボンバジェットの考え方を適用するということは、エネルギーミックスの実現を前提としたボトムアップの削減目標が、「何が何でも無条件で達成する」トップダウンの目標に転化したことを意味する。例えば原子力の再稼働が予定通り進まなくても、カーボンバジェットの元では再エネを大幅に積み上げて目標を達成することが求められる。当然に電力料金は大幅に上昇することになり、温暖化目標が電力料金の引き下げという別な政策目標をオーバーライドすることを意味する。これは3つのEのバランスという基本的な考え方に明らかに反する。
2030年の目標にカーボンバジェットを適用する問題は上に述べたとおりだが、これを2050年にまで適用することには更に問題がある。そもそもビジョンでは2050年80%削減を所与の前提としているが、筆者はこれに強い違和感を覚える(この点については、既に本サイトで詳しく論じている注2)。ビジョン案の中では、2050年80%目標が設定される経緯が綴られているが、先進国の2050年80%目標は地球全体の排出削減目標の共有とパッケージであった。しかし、上記のパリ協定交渉経緯で述べたように、先進国からの度重なる働きかけにかかわらず、途上国は全球削減目標を受け入れておらず、先進国2050年80%減の前提となったパッケージは成立していない。我が国の80%目標はもともと鳩山政権がフィージビリティを何も検討せずに発表した2020年25%削減目標(90年比)とセットで出されたものであった。福島第一原子力発電事故により、我が国のエネルギーをとりまく環境も大きく変わってしまった。にもかかわらず、2050年80%目標をそのまま掲げる合理的根拠は認められない。
「ドイツや英国が80%目標を掲げているのだから、日本もこれに倣うべきだ」という反論もあるだろう。しかし、欧州諸国の80%削減目標は90年比であり、英国、ドイツなどは既に90年比25%程度の削減を達成し、2050年までの追加努力は55%である。他方、日本の80%はこれから35年間で達成せねばならない。同じ「80%」という数字でもハードルの高さは全く異なる。日本は震災後、化石燃料輸入依存度の拡大、貿易赤字の拡大、電力料金の上昇、温室効果ガスの上昇という4重苦をこうむっているが、このような事例は他には存在しない。基準年も置かれた状況も異なる他国と数字上の横並びで80%を設定することは京都議定書時代の発想でしかない。しかも、温暖化対策計画においては、80%目標を掲げるにあたって、すべての主要国が参加する公平で実効ある枠組みと主要排出国の能力に応じた削減努力、経済と環境の両立の3点を前提となっているが、温暖化防止に後ろ向きな米国トランプ政権の誕生により、この前提条件は大きく揺らいでいる。
このように80%目標そのものには様々な疑問があるのだが、長期目標にカーボンバジェットの考え方を適用することには更に大きな問題がある。もともと中期目標と長期目標は性格が違う。2030年26%目標については、「中期目標の達成に向けて着実に 取り組む」とされている一方、2050年80%目標については「パリ協定を踏まえ、全ての主要国 が参加する公平かつ実効性ある国際枠組みの下、主要排出国がその能力に応じた排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長 を両立させながら、長期的目標として2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指す」とされている。2030年26%目標については、きちんとした積み上げでフィージビリティを検討した。その2030年目標ですら、裏付けとなるエネルギーミックスの達成に実現可能性が大きく左右されるものである。2050年80%についてはそのような裏打ちもない。しかも2050年までの間の経済情勢、エネルギー価格、様々な技術の開発動向、コスト等、不確実性は極めて高い。このような長期目標にもカーボンバジェットの考え方を適用すれば、必然的に2050年目標からのバックキャストを招くことになるだろう。2030年26%削減としつつ、2050年80%減を目指せば、2030年以降、年率7%と2030年までの年平均削減率の4倍近いスピードでの削減を求められることになる。そうなれば2050年目標を達成するためには2030年目標が不十分だから引き上げろという議論に必ずつながってくるだろう。足元に置いて原子力の再稼働が進まず、26%目標の達成に不確実性がある中で、ひたすら80%削減を神聖不可侵として経済的フィージビリティを考慮せず、中期目標を引き上げた場合、日本経済に大きな悪影響を与えることは確実だ。
繰り返すが、我々が直面する課題は温暖化防止だけではない。温暖化対策計画に明記されているように、長期の低炭素化は経済成長との両立が絶対不可欠なのだ。温暖化目標の達成だけを至高の価値としたカーボンバジェットは、経済と環境の両立という考え方に合致していない。
環境省ビジョン案もさすがに環境と経済の両立を無視するわけにはいかず、様々なグラフを使って「温暖化対策を通じたカーボンプライスの引き上げは経済にとってプラスである」ということを挙証しようと試みているが、牽強付会な議論が目立ち、とても説得力のあるものではない。環境省ビジョン案にあるカーボンプライス論については稿を改めて論ずることとしたいが、一例をあげれば「一人当たりGDPの高い国は30ユーロ以上の実効炭素価格がかかっている排出量の割合が高い」とあるが、その根拠とされる図表を見ると、これに符合するドイツの事例もあれば、実効炭素価格が日本よりもはるかに低いのに一人当たりGDPが日本よりも高い米国の事例もあり、両者の因果関係を挙証するものにはなっていない。ましてカーボンバジェットに基づき、日本の実効炭素価格を大幅に引き上げた場合の経済影響については何も語っていないに等しい。他国の動向を顧慮せず、カーボンバジェットに基づく総量管理の下でカーボンプライスの大幅引き上げを行った場合、国内エネルギーコスト、国際競争力、経済への影響を慎重に検討することは政府の責任である。誤解を避けるために言えば、筆者は経済と環境の両立が不可能であると論じているのではない。温暖化対策による経済コストを考慮しつつ、トレードオフをどう克服するか、利害得失を考えねばならないと言っているのである。「温暖化対策をすれば経済にプラスである」という予定調和的な議論はミスリーディングであるばかりか、詐欺的議論と言わざるを得ない。
全体に環境省の資料は「欧州にならえ」という傾向が強い。カーボンバジェットについても、引き合いに出されるのは常にEU-ETSや英国の気候変動法である。しかしカーボンプライシングを含む温暖化対策の経済影響に関する懸念の本質は、国際的に共通なカーボンプライシングが存在せず、限界削減費用にばらつきがある中で、既に限界削減費用の高い日本が対策を強化した場合に国際競争力や交易条件に与える影響である。日本との貿易経済関係を考えれば、域内貿易が大宗を占めるEU諸国ではなく、米国を含むアジア太平洋地域を比較対象とすべきなのだ。しかも米国との交易条件についてはトランプ政権との間で今後行われる二国間FTAを含む経済対話の帰趨如何で、大きな影響を受ける可能性がある。温暖化対策に後ろ向きなトランプ政権の誕生は好むと好まざるとにかかわらず、与件として考えていかねばならないのだ。
2050年に向けての世界の政治・経済・エネルギー情勢、技術進歩動向は不確実性に包まれている。温暖化防止が必要であるという方向性はともかく、温室効果ガス増大がどの程度の温度上昇をもたらすのか、それによってどの程度の被害が生ずるのか、科学的に不確実な部分も多い。こうした不確実性の中で日本がとるべき道は大きな方向性を堅持しつつ、長期の低炭素化を経済的にも可能にするような条件整備に取り組んでいくことである。具体的には現在、議論が封印されている原子力の新増設に逃げずに取り組むこと、そして長期の大幅削減を可能とするような革新的技術開発に取り組むことだ。そして情勢の変化に応じてその都度、二枚腰、三枚腰の対応をしていくことが、プラグマティックなアプローチであろう。根拠に乏しく、実現可能性の検証を伴わない数値目標を計画経済的なカーボンバジェットに基づいて何が何でも達成するというアプローチでは掛け声倒れに終わるだけである。