長期削減目標達成には何が必要か
── 2℃目標と我が国の2050年80%削減
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
2050 年80%減のマグニチュードを考えてみよう。2030年の26%目標を達成するためには、現在から温室効果ガス排出量を年率1. 6%で削減しなければならない。そこから2050 年に90 年比8 割減を達成するためには2030年~ 2050年に年率7%近い排出削減が必要となる。2030 年目標は省エネ、原子力、再エネいずれの面でも非常にハードルの高いものであるが、一挙にその4 倍以上のスピードで排出削減をせねばならないのである。2013 年度を基準年としても、2030年度から2050年度にかけては、年率▲ 6.50%削減が必要となる(図2)。
現状とは非連続的な大幅な削減をどうやって可能にするのか。「地球温暖化対策計画」(案)や3月22日の環境大臣会見注3)では、炭素税あるいは排出量取引制度という経済的なインセンティブによって社会を動かしていくことを検討すると言及されている。
しかし仮に、上記の年率7%の排出削減のすべてを地球温暖化対策税の大型炭素税化によって実現すると想定し、その影響について試算してみよう。現行の地球温暖化対策税は、289 円/CO2tとして設定され、その価格効果による削減量は0. 2%(176万t)と見込まれている注4)。
この炭素税による削減の価格効果を同率と仮定した場合、年率7%削減を大型炭素税によって実現するためには、毎年10,115 円/CO2t ずつ税率を増加させ、2050 年には202,589 円/CO2tにしなければならない。地球温暖化対策税が20 万円/CO2tになった場合、エネルギー消費量が現在と同じであれば、ガソリンや灯油、電気( 電気料金への影響は電源構成によって異なることには留意が必要)、ガスなどすべてあわせると、年間の世帯当たりの負担は815,324 円(月額67,944 円)にもなるのだ。厚生労働省によると2012 年の日本の世帯平均所得は537. 2 万円だが、全世帯のうち26. 5%の所得が100~300万円の範囲に入っており、そした世帯では総所得の80~30%もの負担になる計算になる注5)。省エネによるエネルギー消費量減少が期待されるという反論もあろうが、税率アップによる限界的な削減効果は低下していくことが見込まれるので、実際の負担はこれより大きくなることも想定しなければならない。またこうした高額な税負担はいわゆるカーボンリーケージを招き、経済・雇用に甚大な影響を与えることになろう。
経済学上、排出量取引は経済効率性が高く、所定の排出削減量を最小コストで実施するために有効であるとされている。しかし、世界全体で排出量取引が導入され、世界共通のカーボン価格が形成されることはおよそ現実的には想定されない。各国レベルで排出量取引を導入する場合もカーボン価格による国際競争力への影響やカーボンリーケージへの影響があることは大型炭素税と同じである。先行事例とされる欧州連合域内排出量取引制度(EU-ETS)は、こうした現実との折り合いをつけるため非常に複雑な制度となり、多額のアドミニストレーションコストを必要とするようになっている。低炭素技術への投資やイノベーションへの効果なども含めて、EU-ETSについてはまた別途詳しく取り上げたいと思う。
こうした状況を踏まえれば、筆者はパリ協定が2℃目標を掲げたことと同じく、わが国が「2050 年80%削減目標」を掲げることには、シグナルとしての意義は認めるものの、それ以上の価値は見いだせない。パリ協定は、技術革新の促進が不可欠であることを条文上明記した(第10条)ことにこそ京都議定書との大きな違いと価値があるが、わが国がいかに技術立国として世界に貢献していくかを具体的に検討することが求められている。
技術革新を引き起こすには何が必要か
革新的な技術開発は何によって可能となるのか。万能薬のようなセオリーはないが、必要条件を整理し、その観点からCOP21 の成果も眺めてみたい。
まず必要なのは、技術の担い手となる企業の経営環境が良好に保たれることであろう。文部科学省の「科学技術指標2015注6)」により主要国における企業部門の研究開発費の推移(名目額)を確認すれば、リーマンショックにより企業の経営環境が悪化した時期においては、米国・日本を中心に大きく研究開発費が減少していることがわかる。長期・安定的な技術開発投資を可能にする前提条件として経済状況が良好に保たれること、そして、研究開発投資に対する減税措置などのインセンティブが予見性ある形で維持される必要がある。
もう一つは、技術開発に向けた国際的なプラットフォームであろう。日本政府が2014 年から主催している「Innovation for Cool Earth Forum(ICEF)」もそうしたプラットフォームの一つに挙げられようが、COP21とあわせて、クリーン・エネルギー関連の研究開発強化に係る国際イニシアティブとして「ミッション・イノベーション」等も活用して、研究開発の切磋琢磨が行われることが期待される。
先般、COP21で安倍総理が策定を表明していた「エネルギー・環境イノベーション戦略」案が明らかになった。エネルギーシステムを最適化する統合技術のほか、満充電で電気自動車が700 キロ走行できる次世代蓄電池等、日本が強みを持ち、削減効果の大きい7 分野の先進技術の重点的開発を進め、そのために政府一体となった研究開発体制、新たなシーズの発掘、産業界の研究開発投資の誘発、国際連携、国際共同開発の推進等がかかげられている。これこそ技術に強みを有する日本が進むべき道であり、その実現に全力を傾注すべきだ。
しかし発明・開発にばかりに目を奪われてはならない。イノベーションはインベンションとは異なり、それを実現させて社会全体に浸透させる必要がある。特に排出削減の鍵を握るエネルギーインフラの特殊性には留意が必要だ。エネルギーはシステム全体が社会に隅々にまで張り巡らされたインフラであり、その入れ替えには巨額の投資を伴う。かつ、新旧のシステムを併存させ供給に支障をきたさないようにしながら徐々に入れ替えを行わねばならないため、長期の時間軸で取り組まなければならない。
例えば我が国では今でも西日本と東日本で50Hzと60Hzに分かれているが、これまで何度もその統一が議論されながらも実現しなかったのは、かかるコストが莫大注7)であることに加え、その入れ替えの作業による日々の生活・経済活動への影響が懸念されたからだ。まだインフラ整備が発展段階にあり、経済成長率が7%を超えるような国においては政府が何ら手を打たなくとも巨額のインフラ投資は確保できるであろうが、わが国のように経済成長率2%の目標に対して政府が種々の経済政策を繰り出さねばならない状況においては、エネルギーインフラの入れ替えどころか、既存のインフラの維持ですら十分な投資が確保できない懸念がある。
長期削減目標を掲げることは、北極星のように目指すべき方向性を国民に示すという意義はある。しかし80%を達成するためとの理由で、そこからバックキャストし、成長制約的、管理経済的な政策手法が導入されれば、イノベーションも投資もおこらず、むしろ温暖化対策の停滞を招きかねない。重要なことはその方向に間違いなく近づいていくために必要となる技術革新とイノベーションを見極め、技術システム、社会システム、ライフスタイル等の諸要素で定量的、定性的目標を設定して合理的な資源配分を行い、PDCAを回しながら着実に進んでいくことではないだろうか。
- 注4)
- 環境省ホームページ「地球温暖化対策のための税の導入」
https://www.env.go.jp/policy/tax/about.html
- 注6)
- 「科学技術指標2015 」P38
http://data.nistep.go.jp/dspace/handle/11035/3071
- 注7)
- 震災後直後の2012 年3 月の政府試算によれば、50Hz地域を60Hzに変更する場合、電気事業者側の発電機・タービン・変圧器等の設備の交換のみでも約10 兆円のコストを要する。(「50Hzと60Hzの周波数の統一に係る費用について」)
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/sougou/chiikikanrenkeisen/002_03_00.pdf