長期戦略イコール長期削減目標ではない(その2)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 2050年80%減のマグニチュードを考えてみよう。2030年の26%目標を達成するためには、現在から温室効果ガス排出量を年率1.6%で削減しなければならない。そこから2050年に90年比8割減を達成するためには2030年~2050年に年率7%近い排出削減が必要となる。2030年目標は省エネ、原子力、再エネいずれの面でも非常にハードルの高いものであるが、一挙にその4倍以上のスピードで排出削減をせねばならないのである。
 80%シナリオでは、エネルギー消費量を現在のレベルから約1.5億キロリットル削減することが想定されている。2030年目標においてエネルギー消費は現在のレベルから3500万キロリットル削減することを目指している。これは第一次、第二次石油危機時並みのエネルギー効率改善を平時に達成するという極めてハードルの高いものであるが、2030年~2050年のエネルギー消費削減量は1.2億キロリットル近くにのぼり、一挙に3倍以上に膨れ上がる。
 発電電力量の9割以上が低炭素電源とされているが、このうち、原子力については原発再稼動や運転期間延長が順調に進んだとしても、新増設が無い限り、2050年時点で稼動可能なものは23基となる。80%シナリオでは2050年の発電電力量は2030年目標レベルの10,650億kwhとほぼ同じレベルが想定されているが、そうなれば原発のシェアは最大でも15%前後となる。そうなれば残りの75%以上は再生可能エネルギーあるいはCCS付の火力で賄わねばならない。仮に75%を全て再生可能エネルギーで賄うとしてみよう。
 再生可能エネルギーのシェアを2030年時点で22-24%にするためにはFITの買取費用が現状の0.5兆円から2030年には3.7~4.0兆円に膨らみ、系統安定費用も0.1兆かかると想定されていた。それが75%に拡大すれば、FITコスト、系統安定費用は単純計算で3倍に膨らみ、それによる化石燃料輸入コスト節減効果を差し引いても国民負担増は大きく拡大する。2030年目標策定の際に行われた感度分析(表4)では、エネルギーミックスの構成を1%変化させるとコストがどう増減するかを試算したものである。原子力のシェアが20-22%から15%に低下し、再生可能エネルギーで代替されれば、それだけでコストが約1兆~1.5兆拡大する。更に2030年時点のエネルギーミックスで56%(LNG27%、石炭26%、石油3%)を占めていた火力を10%に圧縮し、全て再生可能エネルギーで代替したとしよう。エネルギーミックスで想定された火力のシェアを変えないとすると、LNGのシェアは27%から4.8%に、石炭は26%から4.6%、石油は3%から0.5%に縮小する。LNGを22.2%縮小して再生可能エネルギーに振り替えるコストは約2.7兆円、石炭を21.2%縮小して再生可能エネルギーに振り替えるコストは約3.9兆円だ(注:石油火力から再生可能エネルギーへの代替コストは示されていないため、捨象)。したがって原子力のシェア低下、化石燃料のシェア低下を全て再生可能エネルギーで置き換えるコストは総計で約7.6~8.1兆円にのぼる。

表4:エネルギーミックスの構成を変えた場合の感度分析 出所:総合エネルギー調査会

表4:エネルギーミックスの構成を変えた場合の感度分析
出所:総合エネルギー調査会

 これに加え、更に最終エネルギー消費を4割削減するコスト、これまで排出量が拡大してきた民生・業務部門の排出をほぼゼロにするためのコスト、産業用大規模排出源にCCSを設置するためのコスト等も考えねばならない。これらは全体として日本経済に大きな負担をもたらすこととなろう。電力中央研究所の杉山大志氏は「1%イコール1兆円」において削減目標を1%深堀りするごとに1兆円のコストがかかるとの論考を発表している。
 より敷衍して言えば、温暖化防止をめぐる議論をする際に、「地球が直面する課題は温暖化だけではない」ということを忘れてはならない。昨年9月に国連で採択された持続可能な開発目標には温暖化防止以外にも貧困撲滅をはじめ、16にものぼる分野が提示されており、それぞれの課題が膨大な資金を必要とする。他方、世界全体の資金リソースには限りがあり、世界はどの分野にどれだけお金をかけるかを考えねばならない。少子高齢化、財政再建等、内容が異なるとはいえ、多様な課題を抱えるのは日本についても同じことだ。「とにかく野心的な排出削減目標を」という議論には、そうした課題間の資源配分という発想が根本的に欠けているように感じられてならない。

温暖化対策をすると経済成長する?

 「温暖化対策を経済への制約ととらえることは間違いだ。野心的な温暖化対策を構ずれば新たな技術、産業、雇用が生まれ、経済成長にも貢献する」という、いわゆる「グリーン成長」の議論がある。懇談会報告書には図4のグラフが掲示されている。これはOECD諸国で日本よりも一人当たりGDPが多い国(「OECD高所得国」)において温室効果ガスがピークアウトした年からの温室効果ガスの削減とGDP成長率の関係をプロットしたものである。懇談会報告書はこのグラフを根拠に「温室効果ガス削減率が大きくなると経済成長率が高くなる」と論じているのであるが、「珍説」と言わざるを得ない。
 例えば英国の排出量のピークは1980年である。その後30年超の期間にわたる英国の経済成長は高付加価値のサービス業への産業構造転換、積極的な外資の誘致等によるものであり、温室効果ガスの削減はサッチャー時代の石炭からガスへの燃料転換によるところが大きい。ドイツの場合も排出ピークは1981年である。ドイツの高成長の要因はドイツ経済の実力以下に評価されたユーロに助けられた輸出の好調であり、排出削減の主たる要因は東西ドイツ統合による老朽発電所、工場の閉鎖である。このようにGDP成長率、温室効果ガス削減率にはそれぞれ各国ごとの要因があり、「温室効果ガスを削減すればGDP成長が上がる」との因果関係を導くことは間違っている。

図4 温室効果ガス排出のピーク時からの温室効果ガス削減率と実質GDP成長率の関係 出所:気候変動長期戦略懇談会

図4 温室効果ガス排出のピーク時からの温室効果ガス削減率と実質GDP成長率の関係
出所:気候変動長期戦略懇談会