長期戦略イコール長期削減目標ではない(その1)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
焦点は国内対策に
昨年末、COP21で盛大な拍手の下でパリ協定が採択され、温暖化防止に対する国際的な取り組みに新たなページが開かれた。もちろん、パリ協定を実施可能なものにするためには、透明性フレームワークを初め、パリ協定発効後に開催される第1回締約国会合までに詳細なルールを策定する必要がある。当面はそうした詳細ルール作りが国際交渉の中心となろう。
パリ協定の最大の特色は、先進国、途上国問わず、全ての国が自国で定めた貢献、NDC (nationally determined contribution)を持ち寄り、その進捗状況を報告し、事後レビューを行うというプレッジ&レビューを中核としていることだ。京都議定書と異なり、各国の貢献内容そのものは国際交渉の対象とはならない。
だからこそ国内における議論、対策が重要になる。温暖化政策の焦点は国際枠組みから国内対策にシフトしたとも言えよう。我が国においてもパリ協定合意の興奮さめやらぬ12月末から議論が活発化している。12月22日には安倍総理を本部長とする地球温暖化対策推進本部が開催され、国内対策の取り組み方針、美しい星への行動2.0(ACE2.0)の実施、パリ協定の署名・締結に向けた取り組みを柱とする本部決定が行われた。国内対策については、日本の約束草案及びパリ協定を踏まえ、本年春までに「地球温暖化対策計画」をとりまとめ・閣議決定すると同時に、先導的な対策を盛り込んだ政府実行計画を策定すること、政府が旗振り役となって地球温暖化防止国民運動を強化することが決定された。また地球温暖化対策計画への反映も念頭に、抜本的な排出削減が見込める革新的技術を特定した「エネルギー・環境イノベーション戦略」、エネルギーミックスを念頭においた「エネルギー革新戦略」も同時期にとりまとめられることとなった。
同日午後には中央環境審議会・産業構造審議会合同部会が開催され、我が国の2030年度削減目標の達成に向けた道筋を明らかにするための「地球温暖化対策計画」の骨子案が示された。
2030年を目標年度とした約束草案達成の道筋を示すための対策計画であるため、当然ながら計画期間は2030年度となっており、骨子案にはそれ以降の目標は提示されていない。しかし、委員の中には「2030年は2050年あるいはそれ以降の通過点に過ぎない。2050年80%削減またはそれ以降の長期目標を見据えつつ、2030年までの対策を進めることが重要であり、そのためにも2050年80%削減、2度目標といった長期目標を温暖化対策計画に記載すべきである」という意見もある。環境大臣の私的懇談会である「気候変動長期戦略懇談会」(以下「懇談会」という)は1月末に温暖化対策計画の中に2050年80%削減目標を盛り込むべきとの提言案をとりまとめた。
http://www.env.go.jp/policy/kikouhendou/kondankai05/sidaisiryou.html
このように、春の地球温暖化対策計画取りまとめにあたって、長期目標の取り扱いが大きな論点となりそうである。本稿では、温暖化対策計画の中で2050年80%目標を記載することの適否について論ずることとしたい。
2050年80%目標は世界全体の削減目標とパッケージ
まず、「80%」という数字の来歴を振り返ってみたい。
我が国における長期目標の議論は、2007年5月に安倍総理が「美しい星50」において「世界全体の排出量を現状に比して2050年までに半減する」との目標を世界全体で共有することを提唱したことにさかのぼる。これは「世界では自然界の吸収量の2倍の温室効果ガスが排出されており、これをバランスさせるべき」という考えに基づくものである(なお、ここでは後述のIPCCのシナリオと異なり、特段の基準年が提示されていない)。
同年11月にとりまとめられたIPCC第4次評価報告書政策担当者向け要約には温度安定化とそれに必要な温室効果ガス濃度、地球全体の排出削減量に関するシナリオ分析が提示された(表1)。産業革命以降の温度上昇を最も低く保つカテゴリーⅠにおいては地球全体のCO2排出量を2000年比50-85%削減する必要があると試算されている。
地球温暖化問題はグローバルな問題であるから、世界全体で温室効果ガス削減のビジョンを共有することには大きな意義がある。それでは「2050年までに80%」という数字はどこから出てきたのか。IPCC第4次評価報告書には450ppm,550ppm、650ppmの3つの濃度シナリオそれぞれにつき、附属書Ⅰ国と非附属書Ⅰ国の温室効果ガス削減イメージを示したBox Article13.7が掲載されている。温度上昇を最も低く抑える450ppmシナリオでは、附属書Ⅰ国が2020年に1990年比25-40%削減、2050年に90年比80-95%削減するとの絵姿が示されている。これが、我が国を含め、「先進国2050年80%削減」という、たびたび言及される数値の出所となったのである。
この囲み記事は、注にあるように政治的フィージビリティやコストを顧慮したものではなく、しかも附属書Ⅰ国について削減幅を特定する一方、非附属書Ⅰ国については「ベースラインからの顕著な乖離」と示されているのみで、グローバルな排出削減を考える観点では、極めてバランスを欠いたものとなっている。にもかかわらず、筆者が関与したポスト2013年枠組み交渉の際、「先進国は2020年までに90年比25-40%削減すべき」というEUや途上国の主張の根拠となった。2009年に鳩山元首相が、何らのフィージビリティスタディもなく打ち出した90年比25%削減目標もこの囲み記事が発端となっている。そして2050年80%削減という数字もこの記事に淵源を有する。