COP21参戦記(その2)
気候変動問題解決のカギは革新的技術開発と普及・移転。その障壁は?
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
COP21が第2週に入り、議論の争点として急浮上したのが、知的財産権の扱いである。環境問題の会議においてなぜ知的財産権の問題が争点となるのか、想像しづらい向きもあるかもしれない。
気候変動対策を進めるには、化石燃料の高効率利用やクリーンエネルギーなど様々な技術を先進国から途上国に移転・普及させ、急速な経済発展を遂げるであろう途上国を低炭素型成長に誘導する必要がある。
気候変動枠組み条約第4条(約束)第1項は「すべての締約国は、それぞれ共通に有しているが差異のある責任、各国及び地域に特有の開発の優先順位並びに各国特有の目的及び事情を考慮して、次のことを行う。」としており、その中の項目の一つにあげられているのが「エネルギー、運輸、工業、農業、林業、廃棄物の処理その他すべての関連部門において、温室効果ガス(モントリオール議定書によって規制されているものを除く。)の人為的な排出を抑制し、削減し又は防止する技術、慣行及び方法の開発、利用及び普及(移転を含む。)を促進し、並びにこれらについて協力すること。」なのである。この条文を背景に、以前からインドは、知的財産権、その中でも特に特許は技術の普及・移転を阻む障壁(バリアー)であるとして、これを無償開放することは先進国の義務であるという趣旨の主張を繰り返してきたのである。
先進国と途上国が特許の扱いを巡り争った事例として有名なのは、エイズ治療薬であろう。製薬会社は、莫大な費用を長期間にわたって負担し、自らのリスクで新薬開発に挑む。その開発に成功した企業は、特許制度により利益を確保することを認められるので、リスクを承知で研究開発に取り組むのである。そのため、WTO(世界)貿易機関も「TRIPS協定」と言われる知的財産権取り扱いに関する基本的なルールを整備し、その保護を図っている注1) 。
しかし特許のライセンス料を支払えば医薬品は高額になり、途上国の低所得層にとっては手の出ないものとなる。医薬品の本来目的は人命を救うことであり、製薬会社が経済的利益確保のために特許権を主張することに対して、多くの批判が起きた。エイズ治療薬は一種の象徴ともなり、南アフリカやブラジルでの大きな訴訟を経て、2001年11月のWTO閣僚会議において、エイズの他結核・マラリアといった感染症により「国家的緊急事態と判断される場合にはTRIPS協定を柔軟に運用することを認める」と宣言されるに至ったのである注2)。
インドは今回のCOP21において、改めて気候変動は緊急性が高く、人命にも危険を及ぼす問題であるとして、先進国の知的財産権について強気の主張を繰り返している。もちろん個別企業の所有する権利の提供を求めることはいくらなんでも無理筋であることは彼らも承知しているが、先進各国の政府が権利を所有する場合には無償開放を行うこと、あわせて、何らかの基金を立ち上げてその基金が使用料を支払って途上国に対して無償提供することを求めているのである。
気候変動の緊急性や人命への影響についてはそれぞれの立場によって見解が異なるであろうが、少なくとも先進国企業にとってみれば企業の最大の財産とも言える技術を守る制度が脆弱になれば、リスクを冒して研究開発に邁進するという経営判断は不可能になる。そうなれば本来気候変動問題の解決に向けて必須となる、革新的技術開発を人類は手にすることができなくなる。これまでも繰り返し述べている通り、長期的かつ大規模な削減のためには革新的技術開発、技術のブレークスルーが必要なのだ。
また、技術の普及・移転の障壁は特許だけではない。医薬品の特許のように成果物を直接消費者が入手できる場合は別として、省エネ技術などはそれを使いこなす能力・ノウハウを途上国側が備える必要がある。途上国の省エネ型発展を支えるには、ビジネスをベースとした技術の普及・移転が起こるよう環境を整備していかない限り、持続可能にはならない。
中南米諸国などいくつかの国で、知的財産権という考え方にそもそも反発する向きもあったが注3)、インド以外の途上国が知的財産権について強い主張をすることもなかったため、今回のCOP第1週を含めてこれまでは争点として認識されることは殆ど無かった話題である。しかし、交渉をどうしてもまとめたいという意識から途上国に大きく歩み寄っている議長国フランス、オバマ大統領の政治的遺産づくりのためにこちらもどうしてもまとめたいと思っている米国の足元を見て、COP21の台風の目と言われるインドがこの問題についてこれまでになく強い主張を繰り返している。
日本が目指す、日本の技術による世界での排出削減を可能にするためには、知的財産権の問題は重要だ。技術の普及・移転を持続的なものとするには、関係者の合意に基づくビジネスベースでそれが行われる必要がある。COP21参戦記(その1)でご紹介した通り、日本政府は「エネルギー・環境イノベーション戦略」を来春までに策定し、有望な技術を特化して政府が開発支援を行うなど、今後日本が革新的技術開発において世界に貢献していく姿勢を明確にしている。知的財産権を気候変動問題に限って特別扱いするようなことになれば、民間企業はその戦略に参加しづらくなるだろう。インドの交渉団は昨晩(12月8日)になって若干歩み寄りを見せているとの情報もあるが、こうした主張を繰り返していると、先進国企業にとっての投資対象として魅力が減じていくということも踏まえるべきである。11日から安倍首相がインドを訪問し、モディ首相と会談を持つと報じられている注4) 。二週目半ばに差し掛かり交渉のモードも変わりつつあるが、もしその時点でもなおインドへの働きかけが交渉の行方を左右する構造になっていれば、パリ合意に向けてインドを説得し、特に強硬な主張をしている知的財産権の扱いについては適切な取り扱いがなぜ必要なのかを伝えていただきたい。京都議定書の最大の欠陥が技術の視点が抜け落ちていたことであることから考えれば、ビジネスベースで技術の普及・移転が起こる仕組みを構築することが今後の気候変動対策には必須なのだ。議長国フランスが手を焼くインドをこの点で説得することができれば、COP21における合意取りまとめの影の立役者と認識されるだろう。
- 注1)
- 経済産業省ホームページ TRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)
http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/wto/negotiation/trips/trips.html
- 注2)
- WTOホームページ Declaration on the TRIPS agreement and public health
https://www.wto.org/english/thewto_e/minist_e/min01_e/mindecl_trips_e.htm
- 注3)
- 本来、そうした技術も人類に等しく与えられた財産であり、誰かの独占が許されるものではないという思想に基づく
- <参考>