COP21 パリ協定とその評価(その4)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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※【COP21 パリ協定とその評価(その1)、(その2)、(その3)】

パリ協定をどう評価するか

 以上のパリ協定をどう評価するか。激しい交渉の結果、成立した合意であり、様々な立場から様々な評価が可能であろうが、ポスト2013年交渉に関与してきた立場から、私見を述べてみたい。

全ての国が参加する枠組みの成立

 何よりもまず、一部の先進国のみが義務を負う京都議定書に代わり、全ての国が温室効果ガス排出削減、抑制に取り組む枠組みが出来上がったことは歴史的意義があるということを特筆大書したい。これは京都議定書以降の国際交渉において日本が一貫して主張してきた方向性であった。京都議定書第1約束期間後のポスト2013年枠組交渉においては京都議定書第2約束期間が検討途上にあったこともあり、全ての国が参加する法的枠組みは実現せず、COP決定であるカンクン合意にとどまった。パリ協定はカンクン合意を発展させ、法的枠組みとしたものであり、日本が長く追及してきた目的がようやく実現したことになる。コペンハーゲン、カンクンの交渉を経験した筆者として深い感慨を覚える。

ボトムアップ型のプレッジ&レビュー

 パリ協定の中核をなすのは、先進国、途上国が約束草案を持ち寄り、その進捗状況を報告し、専門家によるレビューを受けるというボトムアップのプレッジ&レビューの枠組みである。この一連の手続が法的拘束力の対象となっている一方、目標値の達成自体は法的義務とはなっていない。目標達成が法的義務になっていないことをもって、パリ協定の実効性に疑問を呈する論者もいるだろう。しかし、米国、新興国の参加を得るためにはこの方式が唯一の解であることは自明であった。目標達成を法的義務化すれば、制度そのものは堅牢なものとなっても、米国や新興国の参加の得られない実効性の乏しいものになってしまう。また目標値を法的義務にすれば、各国は未達成時の遵守規定の適用を避けるため、必然的に「堅めの」目標を登録することになるであろう。かつて英Economist誌は「strong weak agreement is better than weak strong agreement」と述べた。堅牢だが参加国が限られ、実効性の弱い合意よりも、枠組み自体は柔軟でも全ての国が参加し、実効性の高い合意の方が良いとの意味である。京都議定書型の枠組みとプレッジ&レビューの枠組みの関係はまさにそれに一致する。日本は既に気候変動枠組条約交渉時からプレッジ&レビューの枠組みを提唱してきた。しかしその後の国際交渉の流れは先進国のみに目標達成を義務付けるトップダウン型の京都議定書に向かった。パリ協定は、堅牢だが主要排出国の参加を欠き、温室効果ガス削減にほとんど効果がなかった京都議定書の反省の上に生まれたものであり、「思えば長い回り道をしてきた」との感を禁じ得ない。

全体としてはやや途上国寄り

 このようにパリ協定は温暖化交渉の歴史上、大きな意義を有しているが、先進国のみが義務を負う京都議定書体制から途上国を含む全員参加型の体制に移行するためには、いろいろな代償を払わねばならなかったのも事実である。資金についての規定は金額こそ条約本文に書き込まれなかったものの、多くの面で途上国の主張を受け入れるものとなった。また資金とのパッケージディールとなった透明性の規定についても、先進国と途上国を手続上切り分けず、「一つの強化された透明性フレームワーク(an enhanced transparency framework)」に参加する形としつつも、個々の条文の中では途上国配慮が随所に盛り込まれることとなった。また透明性フレームワークの対象には緩和のみならず途上国支援も含まれ、5年に1度のグローバルストックテークの対象にも途上国支援が盛り込まれている。すなわち、今後のレビューやストックテークの度に先進国は途上国から請求書を突き付けられることになる。途上国は「自らの緩和行動が予定通り進まないのは先進国からの支援が足りないからだ」という主張を展開することになろう。パリ協定において緩和努力の主体が先進国から全ての国に広がったことは大きな成果である一方、途上国もその代償を確保し、全体をバランスして見ればやや途上国寄りの決着であったと言える。12月15日付のインドHindu紙が「インドは先進国と途上国の差異化を守るのに大きな役割を果たした。差異化は合意の各所に埋め込まれている」と評価しているのはその証左であろう。逆に言えば、これくらいの代償を払わなければパリ協定に合意することはできなかったということでもある。途上国は是が非でも合意を得たい議長国フランスや、オバマ大統領のレガシーを残したい米国の弱みを利用したとも言える。

非現実的な温度目標は将来の火種に

 世界の環境NGOや島嶼国は1.5℃安定化が努力目標として温度目標に書き込まれたこと、このため今世紀後半に温室効果ガス排出量と吸収量のバランスを図ることが緩和の長期目標に盛り込まれたことをパリ協定最大の成果として喧伝している。筆者はこの点がパリ協定最大の問題点であると考える。
 そもそも2℃目標の実現可能性は極めて低いものであった。IPCC第5次評価報告書においては、2℃目標に相当するとされる450ppmシナリオを達成するためには2100年まで温室効果ガスを100%近く削減することが必要と分析されている。このためには発電部門においてバイオマスCCSを大量導入することにより現在の発電部門の排出量をそのままマイナスにしたような規模のマイナス排出にするという、およそ実現性に疑問符のつくビジョンが提示されている。近年のIEAの世界エネルギー展望(World Energy Outlook)は450ppmシナリオを毎回提示しているが、途上国を中心とする足元の温室効果ガス拡大により、450ppmシナリオの実現可能性は年々低下しており、それを実現するためには、およそ現実味に乏しいエネルギーミックス、投資規模を描かざるを得ない状況であった。2℃目標ですらこの有様であるから、1.5℃あるいは350ppmシナリオとなれば「推して知るべし」であろう。
 温暖化防止のために志を高く持つことは良い。しかし実現可能性を顧慮せず、ひたすら野心的な目標にこだわるのはこのプロセスの通弊である。一般に政治家は長期の温度目標を安易に設定する傾向が強いように思われる。しかし既存の温度目標の実現可能性が厳しい中で更に厳しい温度目標を設定するというのは、戦時中、「精神力でB29を撃墜する」といった陸軍のマインドセットにも似た精神論であり、結局のところ枠組み自体のクレディビリティを下げるだけではないか。