COP21 パリ協定とその評価(その3)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
資金援助
資金援助(第9条)は今次交渉において透明性(第13条)と並んで最も交渉が難航した部分である。ほとんどの途上国にとって交渉に参加している動機は先進国からの支援の上積みであるから、それも当然であろう。
交渉の大きな争点の一つは資金援助の出し手を従来のような先進国オンリーから中国等、能力のある途上国にも拡大できるかであった。この点については資金援助の主体を先進締約国及び「その(資金援助)立場にある他の締約国(in a position to do so)」、「その能力のある(with the capacity to do so)」、「その意思のある(willing to do so)」等がオプションとされていたが、パリ協定最終案の一つ前の議長テキストでは「他の締約国は自主的かつ補完的な形で資金供与するかもしれない(Other Parties may, on a voluntary and complementary basis, provide…)」という途上国に大幅に譲った表現となっていた。
パリ協定第9条第1項では「先進締約国は、条約に基づく既存の義務の継続として、緩和と適応に関連して、開発途上締約国を支援する資金を提供する(Developed country Parties shall provide financial resources to assist developing country Parties with respect to both mitigation and adaptation in continuation of their existing obligations under the Convention)」とされ、第2項では「他の締約国は、自主的な資金の提供又はその支援の継続を奨励される(Other Parties are encouraged to provide or continue to provide such support voluntarily)」とされた。「支援するかもしれない」という直近の議長テキストに比べて「支援することを奨励される」という、より前向きな表現となり、先進国の主張が一部取り入れられた形となった。
第3項では「世界的な努力の一環として、先進締約国は、公的資金の重要な役割に留意しつつ、広範な資金源、手段、経路からの、国の戦略の支援を含めた様々な活動を通じ、開発途上締約国の必要性及び優先事項を考慮した、気候資金の動員を引き続き率先すべき。気候資金の動員は、従前の努力を超えた前進を示すべき(developed country Parties should continue to take the lead in mobilizing climate finance from a wide variety of sources, instruments and channels, noting the significant role of public funds ……. Such mobilization of climate finance should represent a progression beyond previous efforts)」と規定された。弟1項の助動詞がshallであるのに対し、第3項の助動詞はshould であり、米国と中心とする先進国の懸念を踏まえ、公的資金を中核とすることや資金動員の増額が法的義務とならないような表現ぶりとなっている。
カンクン合意では2020年までに先進国から途上国に対し、年間1000億ドルの資金援助を行うことが規定されていたが、今次交渉では条約本体に新たな数値目標を書き込むかどうかも大きな争点であった。激しい交渉の末、協定本体ではなく、COP決定パラ54に「先進締約国は開発途上締約国の意味のある緩和行動と透明性のコンテクストの下で既存の資金動員目標(注:年間1000億ドルを指す)を2025年まで継続する意向であり、2025年に先立ってパリ協定締約国会合は1000億ドルを下限として新たな数値目標を定める(Also decides that… developed countries intend to continue their existing collective mobilization goal through 2025 in the context of meaningful mitigation actions and transparency on implementation; prior to 2025 the Conference of the Parties serving as the meeting of the Parties to the Paris Agreement shall set a new collective quantified goal from a floor of USD 100 billion per year)という文言が入った。協定本体から法的拘束力のないCOP決定に落とすことにより先進国の懸念に対応した形である。
数値目標がCOP決定に落とされたとはいえ、先進締約国は開発途上締約国に対する公的資金の移転を含め、資金援助に関する量的、質的報告を2年に1度行うことを義務付けられ(第5項)、公的介入を伴う資金援助に関する透明性のある情報を2年に1度提供することが義務付けられる(第7項)。また第14条のグローバルストックテークの際にも先進締約国による資金援助の情報が考慮される(第6項)。先進国に対して間断なく途上国への資金援助についてのプレッシャーがかかる形となっており、途上国の主張が相当部分取り入れられている。換言すればこの部分なくして途上国の同意を得ることは不可能であったというべきであろう。
技術開発・移転
パリ協定第10条は技術開発・移転について規定している。この部分での最大の論点は知的財産権の扱いであった。特にインドが知的財産権を技術移転のバリアーとみなし、エイズ特効薬と同様に環境に優しい技術の知的財産権の強制許諾や知的財産権に守られた技術獲得に対する資金援助を強く求めていたのである。知的財産権は技術開発の基礎インフラともいうべきものであり、多大なリスクとコストをかけた知的財産権が強制許諾の対象となったのではイノベーションを阻害することになりかねない。このため先進国は一体となってインドの主張に反対してきた。
幸いなことに技術交渉グループの調整努力により、パリ協定からは知的財産権に関する言及は一切なくなった。もちろん火種が皆無ではない。第10条第4項では技術開発・移転を推進する技術メカニズムに横断的なガイダンスを与える目的で「技術フレームワーク」を設置することが規定された。COP決定パラ68では、来年5月の補助機関会合(SBSTA)で技術フレームワークの詳細の検討を開始することとされているが、技術フレームワークの目的の一つとして、「社会面、環境面で健全な技術の開発・移転を可能にするような環境整備と障壁への取組を強化する(The enhancement of enabling environments for and the addressing of barriers to the development and transfer of socially and environmentally sound technologies)」が盛り込まれている。この「障壁」の中で知的財産権の問題が蒸し返される恐れもある。しかし「障壁」というのは色々なものを含み得る概念であり、先進国の目から見れば、途上国の投資環境の悪さや知的財産権制度の未整備等も立派な「障壁」であり、双方向の議論が可能だ。
またパリ協定第10条第5項には「イノベーションの加速、促進は長期的な気候変動への対応や経済成長の促進、持続可能な発展にとって重要。そうした努力は研究開発の協力的アプローチに対する技術メカニズム、資金メカニズムや特に技術サイクルの早期段階に対する開発途上締約国のアクセスの容易化を通じて支援される(Accelerating, encouraging and enabling innovation is critical for an effective, long-term global response to climate change and promoting economic growth and sustainable development. Such effort shall be, as appropriate, supported, including by the Technology Mechanism and, through financial means, by the Financial Mechanism of the Convention, for collaborative approaches to research and development, and facilitating access to technology, in particular for early stages of the technology cycle, to developing country Parties)」という文言が入った。これは気候変動問題の究極的な解決のためのイノベーションの重要性を明記したものであり、高く評価される。これまでの交渉においても技術分野は資金や緩和分野に比して現実的な議論がなされる傾向が強かった。相対的に技術に知見を有する者が交渉を担当し、とかく先進国との対立軸から議論をスタートする途上国の職業交渉官の関与が少ないからかもしれない。