化石燃料の枯渇がもたらす経済成長の終焉(その5)
世界の化石燃料枯渇の鍵を握る中国の経済成長
久保田 宏
東京工業大学名誉教授
中国は、いま、GDPを基準としたCO2排出量を決める温暖化対策を計画しているが
上記したように、化石燃料のなかの石炭の比率が高い上に、人口が多いためにCO2排出量が世界第1位(2012年に、世界合計の27.9 %、次いで米国の15.8 %(第2位)、インドが5.8 %(第3 位))の中国は、高度経済成長の結果として、今では(2012年)、一人あたりのCO2排出量が6.71 トン/人と、世界平均の4.63トン/人をかなり上回っている。したがって、地球温暖化対策としてのCO2排出量の削減にも大きな責任が負わされるとして、今年(2015年)の暮れのCOP 21(第21回国連気候変動枠組条約の締結国会議)の対応で、2030 年に国内総生産(GDP)あたりのCO2排出量を2005 年比で60 ~ 65 % 削減し、排出量のピークとするとの目標を発表している(朝日新聞2015/7/1)。新興国中国における実質GDP(購買力平価ベース、2010年の価格、国際ドル)あたりのCO2排出量(CO2/GDP比)の値を、先進国並みの値(2012年の10-3 トン/USドルの値で、米国の0.328、日本の0.195に対し、中国は1.30)に低減することで、下記するように、成長を継続しながら、CO2の排出量を現状の値に近い値に抑えることができるとしていると見てよい。
この目標を達成した場合の2030年の排出量の値は明らかにされていないが、今後のGDP成長率をどのように想定するかで、下記の試算例に示すように、その値が大きく変わってくる。
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- 2005年のCO2排出量5,377×106トンCO2、GDP 3,486×109USドルから、(CO2/GDP比)の値は1.542×10-3トン/USドルとなる。
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- 現在(2012年)から2020年の8年間の平均GDP成長率を7 %、20 ~ 30年のそれを5 %
とすると、30年の対12 年の成長比率は、(1.07)8×(1.05)10=1.718×1.629 = 2.798倍と概算される。
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- 一方、(CO2/GDP比) の対05年比60 ~ 65 %(平均62,5 %)減の値は、(1.542×10-3)×( 1 – 0.625 ) = 0.578×10-3トンCO2/USドルとなり、
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- (30 年の一人あたりのCO2排出量)=(12年の一人あたりのGDP 5.166ドル/人)×( 30年の対12年の成長比2.798) ×(30年(CO2/GDP比)0.578×10-3トンCO2/USドル)= 8.35トンCO2/人 と試算される。
中国における一人当たりのCO2排出量、および(CO2/GDP比) の年次変化を表す曲線の延長線の上に上記の30年の試算結果を載せて図5 – 2に示した。なお、50年の値は、世界が化石燃料の保全を考えるのであれば、各国が今世紀中の平均化石燃料の消費量を現状の値以下に抑えるべきで、そのためには50年における各国の一人あたりの化石燃料消費量を現在(2012年)の化石燃料の消費量の世界平均値に抑えることを目標にすればよいとの本稿(その3)に記した私の提案目標をCO2排出量(世界平均4.63トン/人)に置き換えた値である。
中国政府は、この30年におけるCO2排出量の目標値を達成するためには、一次エネルギーに占める再エネ比率を20 % 程度に増やしたり、CO2を吸収する森林蓄積量を増やしたりするとしているが、それだけで、今までの経済成長率を余り下げないで、30 年のCO2/GDP比の値を対05年比で60 ~ 65 % 削減できると言う保証はない。むしろ、バブル崩壊が近づくと言われ、経済成長率が低下するなかで、CO2の排出量が削減することになるのではなかろうか。
したがって、このようなバブルの崩壊による経済の混乱を避けるためにも、積極的に成長を抑制することで化石燃料消費の節減、すなわちCO2の排出削減の努力をして頂くことを中国政府にお願いしたい。いま、中国における成長は、高度成長の結果生じた貧富の較差を是正するために必要だとされている。であれば、成長の抑制のなかで、この貧富の較差を是正する対策が用いられてよいはずである。いや、このような成長の抑制による化石燃料消費の節減策が採られない限り、いま、化石燃料エネルギーに大きく依存する中国経済が混迷の危機に陥る日がそう遠くないと考えるべきである。すでに、世界経済に大きな影響力を及ぼすまでに発展した中国には、自国の経済の安定化に努力する責任が背負わされているはずである。
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- 日本エネルギー経済研究所編;「EDMC/エネルギー・経済統計要覧2015年版」、省エネルギーセンター、2015 年