CO2削減目標△26%をどう「位置づける」べきか
杉山 大志
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹
この観点から重要になるのは、数値目標の「位置づけ」である。
専門家会合では、「資料4 日本の約束草案要綱(案)」も提示された。その冒頭には、以下の記述がある:
「2020年以降の温室効果ガス削減に向けた我が国の約束草案は、エネルギーミックスと整合的なものとなるよう、技術的制約、コスト面の課題などを十分に考慮した裏付けのある対策・施策や技術の積み上げによる実現可能な削減目標として、国内の排出削減・吸収量の確保により、2030年度に2013年度比△26.0%の水準にすることとする。」
この記述の問題点は2つある。まず「コスト面」を、特に省エネについては全く考慮していないにも関わらず「十分に考慮した」としたことである。更に、コストを考慮していないに拘わらず「実現可能な削減目標」としているのも問題点である。
これを訂正するならば例えば以下のようになるだろう:
「2020年以降の温室効果ガス削減に向けた我が国の約束草案は、エネルギーミックスと整合的なものとなるよう、技術的制約を考慮した裏付けのある対策・施策や技術の積み上げによる最大限のポテンシャルとして、国内の排出削減・吸収量の確保により、2030年度に2013年度比△26.0%を野心的な目標として掲げ、それに向けて最善の努力をすることとする。」
では、このような言い回しは、国際交渉において受容されるだろうか。
今のところ国際交渉においては、数値目標を掲げるところまでは合意されているが、その性格付けについては決まっていない。ただし、趨勢としては、それは法的拘束力のないものであり、数値の性格付けは各国に任される方向である。
既に提出された約束草案を見てみると、EUは交渉ポジションとして全ての国に法的拘束力ある目標設定を求めているので、「The EU and its Member States are committed to a binding target of an at least 40% domestic reduction in greenhouse gas emissions by 2030」というように、commit, binding targetといった法的拘束力を感じさせる言い回しになっている。ただし、米国は、intends to achieve target, ないしはmake best effortsといった言い回しをしており、法的拘束力を感じさせない言い回しになっている(the United States intends to achieve an economy-wide target of reducing its greenhouse gas emissions by 26-28 per cent below its 2005 level in 2025 and to make best efforts to reduce its emissions by 28%).(なお各国の約束草案についてはウェブで公開されている)
COP21の結果としては、数値目標は法定拘束力が無くなる可能性が高く、数値目標の位置づけは個々の国の裁量に委ねられることになると予想される。
注意しなければならないのは、日本だけが、あたかも数値目標が拘束的なものであるかのように、勝手に自らを縛ってしまうことである。△26%という数値目標は、コストを度外視して設定したものであり、最大限見積もった削減ポテンシャルに過ぎない。国際的には非拘束であるにも関わらず、これに自ら囚われるようなことになれば、莫大な国民負担が懸念される。
プレッジ・アンド・レビュー制度の本意として、プレッジした内容は、その実現に向けて政策を実施することは当然である。だがそれは、PDCAを回す中で、他の諸事情も勘案しながら、他の政策的課題との調和を図りつつ、民主的な手続きに乗っ取って実現していくべきものである。その中では、目標達成のコストも精査しなければならないし、その結果によっては、今後の目標変更も当然にありうる。初めに言った△26%という数値目標が神聖視されて、あらゆることを犠牲にしてそれを確実に達成するという性格のものではない。