外部評価にドアを開けた東京電力 -IAEAの評価チーム受け入れ-エネルギー・温暖化関連報道の虚実(8)
澤 昭裕
国際環境経済研究所前所長
東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が、IAEA(国際原子力機関)の専門家チームの安全性調査を受け入れることになったと日本経済新聞、朝日新聞他が報じています。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H5F_X00C15A1PP8000/
http://www.asahi.com/articles/ASH175SYWH17ULFA026.html
同発電所は、原子力規制委員会の新規制基準適合性審査はまだ完了していません。このチームの評価を受けたからといって、審査スピードが速くなったり、審査項目が省略されたりするわけではありません。では、なぜ東京電力はこうした調査を積極的に受け入れたのでしょうか。
これまで、原子力技術者の世界は閉鎖的で、外の世界と交流せず、情報も積極的に開示するという姿勢が見られなかったと批判されてきました。いわゆる「原子力ムラ」というレッテルです。特に福島第一原子力発電所の事故の後は、こうした批判がますます激しさを加えていきました。
私自身は役所時代に原子力行政に携わったわけではなく、いわゆる原子力ムラの住民ではないのですが、住民の人たちのことはある程度知っています。その個人的印象からすれば、意外かもしれませんが、世間でイメージされているような「悪人」は存在しません。一人ひとりの技術者は、基本的には原子力というテクノロジーの可能性を信じ、その安全な制御を実現するべく、研究、技術開発、運転管理等それぞれの場で努力している人たちです。
では、どうしてそんなに批判されるのでしょうか。
この短いブログで全てを語り尽くすわけにはいきませんが、一つだけ原因を挙げるとすると、それはこれまで原子力技術が日本の国としての存立にとって「特別に重要」だという位置づけを与えられてきたことと関係するのだろうと思います。
被爆国の日本だからこそ、この膨大なエネルギーを軍事ではなく平和的な利用に向かわせる義務も権利もある。その平和利用技術を発展させることが使命であるとともに、日本の戦後復興の柱になるのだという国民的合意が、1950年—60年代にはありました。このようにその発展が特別に期待された技術こそが、原子力だったわけです。
こうした「特別性」は良い方向にも悪い方向にも作用します。
自分たちのやっていることは常に最高峰、最先端を行っているというプライドは、物事が順調に進んでいる限り、それをさらにスピードアップさせる推進力になります。一方で、何か問題が生じると(最高峰・最先端にいるはずの)自分たちが解決しなければならない、これは専門外の人には頼れないし、自分たちだけで解決できるはずだという意識構造になってしまいがちです。こうしたマインドセットが事故時の対応の根底にある。つまり、「嘘をつく」とか「情報を開示しない」という批判は、微妙に的を外しているわけです。
今回の東京電力の試みは、確かにこれまでの同社の行動パターンからは一歩踏み出したものだと言えるでしょう。海外の専門家から国際的水準に照らした批判的な評価も受けたうえで、自らの安全性向上に向けての取り組みに活かそうとしている姿勢は、同社にはこれまで見られなかったものでしょう。泉田知事の批判も、そうした同社のこれまでの姿勢に向けられてきました。
ただ、今回の試みは自社外からの目を入れるといっても、まだ原子力の専門家同士による評価です。本当は、他の産業での安全性への取り組みを取り入れていく必要があります。原子力発電所の安全性は原子炉だけが問題となるわけではありません。
福島第一原子力発電所の事故で明らかになったように、プラント全体の運営をどうするかという観点での安全性評価が必要です。そのためには、電気、土木、建築等あらゆる工学の分野の知見を持った他産業にいる専門家に評価してもらうことが有益でしょう。
さらに組織や個人の対処能力の向上というソフトウェアの改善こそが本質的な問題であるという認識が必要であることは、泉田知事の指摘通りでしょう。東京電力は先日トヨタから品質管理の専門家を招き入れましたが、こうした点を改善するための試みだと思われます。
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0820141229caap.html
こうした取り組みが魂の入ったものなのか、またこれからどこまで拡げていくつもりがあるのか、外から同社を監視し続けていく必要があります。今回のIAEAの受け入れは、その第一歩でしょう。