経済学を知らない経営者と経営を知らない経済学者


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

印刷用ページ

 11月4日付ニューヨークタイムズ紙のポール・クルーグマン・プリンストン大学教授のコラムは、「ビジネス対経済学」とのタイトルで、日銀の更なる金融緩和を取り上げていた。政策には大賛成としながら、失敗の可能性もあるのではと懸念を示している。その理由は日銀の政策委員会9名のうち、実業界に近い4名の委員が更なる金融緩和に反対したことにある。
 教授は、実業界のリーダーは経済学の知識に欠け、国は企業とは違うということを理解していない可能性があると指摘している。不況に陥った時に、実業界の人間は事業での成功体験を国の経済に当てはめようとする。苦境に喘ぐ企業を救うためには、費用を削減し競争力を付けることが必要だ。同様に雇用を増やすためには、人件費と費用を削減する必要があると考えるのだ。しかし、不況下で費用を削減すれば需要は減少し、事態はもっと悪化する。
 教授の見方は少し極端かもしれないが、逆もあるかもしれないと同日11月4日の日本経済新聞を読み思い至ることがあった。つまり、経営をよく理解していない経済学者もいるかもしれないということだ。
 同日の「経済教室」で、ある経済学者が固定価格買い取り制度(FIT)の解説を行っている。事業用の買い取り価格を高く設定したのが、そもそもの間違いというのはその通りだ。だが、「FITは温暖化対策ではなく時間を買う政策だ」辺りから疑問符が出てくる。
 まず、FITで太陽光発電に設定されたIRR(内部収益率)8%を、8%もの資本コストと誤記しているが、ファイナンスの基礎知識があれば、まず間違う筈のない言葉だ。資本コストは、事業者が外部から調達する資金の金利と自己資本部分に対して株主が要求するコストを加重平均したものだ。収益率ではないし、当然事業者により異なる数字であり、8%に固定されることはあり得ない。経済学者も経済学の全てを知っている訳ではないし、専門外では間違うこともあるだろうが、学部の学生でも知っている企業ファイナンスの基礎を理解せずに、収益性を議論するのはいかがなものだろうか。
 彼は、さらに太陽光発電からの接続が保留されている問題を取り上げ、電気を無駄に消費する、あるいは安くてもよいから需要を作り出せば接続可能と主張している。送電線等の能力で物理的に接続が不可能な案件には効果がないが、需要の問題、つまり供給量が需要量を上回るために接続ができない問題は解決可能になる。しかし、太陽光発電の事業者に支払われる資金は誰が出すのだろうか。
 彼は、どこまでの費用負担ならば受け入れられるかの問題としているが、買い取り価格が高すぎたために、大きな電気料金上昇が問題になっている時に、さらなる電気料金上昇はあり得ない。そうすると彼が言うように『「大手電力にとって費用の持ち出しになる対策は取らないから、安定供給が維持できない」と言っているにすぎない』のだろうか。 
 固定価格買い取りに係る費用は、回避可能費用と呼ばれる通常の発電に係る部分と賦課金部分に分けられ、結局両方とも電気料金で回収されている。電気を無駄に消費するだけであれば、収入はないし、安く電気を売れば収入が減るが、再エネの事業者には支払いを行う必要がある。使ってもいない電気の費用を賦課金として消費者に請求することはできないだろうし、経営の視点から考えれば、回避可能費用相当分を電力会社が負担すれば、株主から訴訟されるだろう。費用の問題だが、それは負担の問題であり、結局実現性はない。
 さらに、彼は、『蓄電池を備えるなど発電事業者に追加負担を要求する場合には、最低でも「大手電力側が無駄に電気を消費する」よりは、費用対効果に優れた要求であるかを検証する必要がある』と主張している。これも経営の視点からは理解が難しい。蓄電技術は、日本は無論のこと、米国、ドイツなども政府支援のもと開発に必死だ。蓄電池の導入は技術開発を促進する。FITは時間を買う政策という彼であれば、蓄電池の導入が、習熟曲線によるコスト引き下げに結び付くことも分かっていると思うのだが。
 クルーグマン教授は、企業は作った製品、あるいはサービスの大半を外部に販売するが、国は製品あるいはサービスの大半を自分たちに売るという違いがあり、国はビジネスでは問題にならないようなことも考慮する必要があると述べている。逆もあるだろう。