私的京都議定書始末記(その18)
-アクラ気候変動交渉に再登板-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
セクター別アプローチについてプレゼン
初陣となった私の担当はCOP13で設立が決まった長期協力問題非公式作業部会(AWG-LCA)である。ここでセクター別アプローチのワークショップが開催されることとなり、着任早々ではあるが、日本政府を代表してセクター別アプローチの考え方、目的をプレゼンすることとなった。エネルギーの世界では、省エネに絡めてセクター別アプローチの「布教」を行い、それなりの成果をあげてきたが、こちらは気候変動の世界であり、参加している人々の顔ぶれも大きく異なる。しかも会場が劇場スタイルでステージ上の演題にのぼり、聴衆に向かってプレゼンする形となる。「炎上」するのではないかといくぶん緊張して壇上に上ったが、マシャドAWG-LCA議長(ブラジル)が述べたように、「2008年は将来枠組みに関するブレーンストーミングの段階であり、交渉全開モード (full negotiation mode) に入るのは2009年に入ってから」というのが皆の認識であったため、思いのほか、穏やかな雰囲気であった。
とはいえ、セクター別アプローチについてのコメントは多かった。G8+3エネルギー大臣会合のときにカウンターパートとなったインドのマトウールエネルギー効率局長も同じワークショップに参加しており、「セクター別アプローチは途上国協力の手段として有益だが、同一セクターであっても各国の状況は異なっており、セクター別ベンチマークを統一したり、画一的なセクター別目標を強いるべきではない」と主張した。EUは「先進国の目標設定に当たって、セクター別の削減ポテンシャルを積み上げることのでは、野心的な目標設定につながらない」とコメントした。私からは「同一セクターであっても各国の状況が異なることは当然。しかし国際比較の観点からベンチマークは可能な限り共通のものを使うべき。実行可能性の評価を伴わない目標設定は無責任」とコメントした。久しぶりの出陣ではあったが、プレゼン+質疑応答を通じて、段々、昔の勘所を思い出してきた。
交渉の合間には欧州委員会との非公式意見交換も行った。EUは先進国の目標設定の手法としてのセクター別アプローチには後ろ向きだったが、セクター別アプローチを途上国に適用し、セクター別クレジットのような新たな市場メカニズムを作ることには関心を示していた。ここで気候行動局のアルトウール・ルンゲメツカー氏と知己になった。彼はEU交渉団の顔的な存在であり、会議での発言も明確かつウィットに富むものであった。我々と意見の食い違いが多々あるのは当然なのだが、手強く、学ぶべき点も多いカウンターパートである。彼とは後にAWG-KPやバイ会談等で何度となく顔を合わせることになる。
先進国・途上国の区分は永久不変?
LCAでは、将来枠組みに関するブレーンストーミング的な議論が中心であったが、先進国、途上国の区分の見直しについても日本代表団から問題提起がなされた。非附属書Ⅰ国(途上国)の中には、生半可な先進国よりも一人当たりGDPがはるかに高いシンガポールのような国も存在する。1992年の気候変動枠組み条約当時の区分を16年たってもそのまま維持するというのは不合理というものだ。この部分をコメントした環境省の島田交渉官とは、主要経済国会合(MEM)、COP13で親しくなったが、COP3の時には米国交渉団の手伝いをし、国連事務局で気候変動問題やPKOを担当し、「お雇い外国人」としてセネガルの首席交渉官を務める等、日本の交渉団の中で異色の経歴を持っていた。英語、フランス語を母国語のように話す彼が、「我々は(1992年以来、何も見直さない)氷河期にいるのではない(We are not in the ice-age)」と言って、国分類の見直しを求める姿は非常に迫力があった。これに対しては名指しされたシンガポールが激しく反論し、日本と再三の応酬となった。一度できあがった区分を変更することの難しさを改めて思い知らされた瞬間でもあった。この問題は、その後も何度となく浮上してくるが、結局、見直しに反対する国がいる限り、全員一致を旨とする温暖化交渉では、現在の制度を変更することはできない。
交渉の中間地点ということで、日曜日は休みになり、事務局のアレンジで、かつて西アフリカからの奴隷積出港であったサブサハラ地域最古の欧風建築であり、後に西アフリカからの奴隷積出拠点となったエルミナ城を見学した。アルミナ城から青々とした大西洋を眺めながら、それまでの数日間の交渉を振り返り、これから延々と続く交渉、特に「交渉全開モード」となる2009年に思いをはせ、兎に角、長丁場に向けて気力、体力をつけなければと自分に言い聞かせていた。