私的京都議定書始末記(その14)
-COP13とバリ行動計画(3)-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
デボア事務局長の涙
さて、長い夜が空けて15日の朝、全体会合を前にバリ行動計画(案)が配布されたが、ここでアクシデントが起こった。複数の途上国代表が「バリ行動計画に関する途上国内のコーディネーションが終わっていない」とクレームをつけたのだ。 途上国は「G77+中国」で総称されるが、その中にはアフリカグループ、中南米グループ、島嶼国グループ等、多くのサブグループがある。G77+中国のコーディネーションを行う場合、まず、それぞれのサブグループで議論を行ってから全体で議論することになる。その議論が行われる前にペーパーが全体会合で配られたのは手続き上問題だということで、中国代表団が壇上のデボア事務局長に強い調子で詰め寄った。デボア事務局長は涙声で「申し訳なかった。自分は途上国コーディネーションのことを知らなかった」と言い、両手で顔を覆い、壇上を降りて会場の外に出てしまった。デボア事務局長は、常日頃、尊大とも言える物腰の人であり、その彼がこのような取り乱した態度を示したのを見たのは空前絶後であった。
Comma matters!
途上国のクレームにより、全体会合は中断し、途上国のコーディネーションを待つこととなった。午後になって再開された全体会合でインドが先進国、途上国の緩和行動のテキストについて途上国部分の記述を以下のように修正することを提案した。
(修正前)
Measurable, reportable and verifiable nationally appropriate mitigaion actions by developing country Parties in the context of sustainable development, supported and enhanced by technology, financing and capacity-building
(修正後)
Nationally appropriate mitigation actions by developing country Parties in the context of sustainable development, supported and enhanced by technology, financing and capacity builing, in a measurable, reportable and verifiable manner.
もともとの案は、先進国に関する記述とできるだけ対称の表現になっていたが、途上国の提案は、「計測、報告、検証可能な」(measurable, reportable and verifiable)を技術援助、資金援助、キャパシティビルディングの後ろに回し、先進国からの支援を計測、報告、検証可能なものにするという趣旨である。ここで重要なのは in a measurable, reportable and verifiable manner の前にカンマがついているか否かであった。仮にカンマがついていないと、in a measurable, reportable verifiable manner (MRV)は、technology, financing and capacity building にだけかかることになり、途上国の緩和行動 (nationally appropriate mitigation actions by developing country Parties) にはMRVがかからないことになる。カンマが入れば、緩和行動と支援と両方にかかることになる。このような時、文章聞き取り、書き取り能力の面でノンネイティブは辛い。インド代表団の席まで行って確認したところ、カンマは入るということであった。
米国代表団押し切られる
会議最終日を越え、土曜日の午後半ばである。会場の雰囲気はこの修正案を受け入れるというものであった。しかし、途上国と先進国のパラレルな表現に強いこだわりをもっていた米国代表団は、これに難色を示した。ドブリアンスキー国務次官が「米国はこの案を受け入れられない」という発言をしたところ、会場から大きなブーイングが起こった。南アのスカルベイク環境大臣は「先進国に関するパラグラフは我々の期待よりもはるかに弱く、途上国に関するパラグラフは条約で想定されるよりもはるかに強い。我々はこの文言には大いに不満があるが、それをあえて受け入れようと言っているのに、米国の態度は何事か」と論難し、パプアニューギニアの代表は「米国がこの案を呑めないのならば、会場から出て行ってほしい」と発言すると会場から大きな拍手が沸き起こった。暫く後、米国は「この案を受け入れる」と言い、会場はまたまた拍手に包まれた。全体会合の数の圧力の怖さを改めて認識した瞬間だった。
米国が土壇場で妥協したことにより、バリ行動計画は拍手の中で「目出度く」採択された。京都議定書特別作業部会(AWG-KP)に加え、長期協力問題特別作業部会(AWG-LCA)が立ち上がり、いわゆる「2トラック体制」の始まりである。米国も参加する交渉の枠組み (AWG-LCA) ができたこと、長期目標を含む共有のビジョンが議論されることになったこと、LCAにおいて先進国、途上国それぞれの緩和行動について議論することになったこと、2009年のCOP15において交渉妥結という道筋ができたこと、等の成果に日本政府代表団の気分は高揚していた。しかし、既に書いたように、バリ行動計画は「同床異夢の固まり」であり、爾後、その進め方、成果をめぐって対立が延々と続くことになる。この点については、これ以後の投稿の中で紹介していこう。
全体会合が終了した日の夕刻、私は環境省の和田室長、島田交渉官、経産省の岡本補佐と4人でバリ島の海岸でシーフードを食べながら夕日を眺めていた。資源エネルギー庁からの観戦武官であった私は、次の交渉のことよりも、自分にとって2008年前半の最大の課題であるG8エネルギー大臣会合のことを考え始めていた。