私的京都議定書始末記(その10)
-気候変動戦線波高し-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
2007年前半、私がエネルギーマルチで「気候変動問題に関するエネルギー面からの取り組み」であくせくしている頃、本家本元の気候変動フロントでも色々な動きが生じていた。これには理由がある。京都議定書は2005年に発効し、2008年に第一約束期間が始まることが確定したが、第一約束期間は2012年末で切れる。京都議定書の署名から発効までに7年を要したことを考えると、京都議定書第一約束期間後の法的枠組みについては2009年末には合意に達し、3年程度の批准期間を置くことが必要だ、というのが気候変動交渉担当者の見方であった。そのためには2007年12月に予定されているCOP13において将来枠組み交渉の目的、進め方、タイムフレームを決めておく必要がある(これを「交渉モダリティ」とか「マンデート」と呼ぶ)。したがって第1約束期間に入る前から、ポスト京都議定書の枠組みをめぐる外交戦が始まっていたのである。
まず5月に安倍総理が「美しい星へのいざない-クールアース50-」を発表した。6月のハイリゲンダムサミットにおいて地球温暖化問題が重要なイシューになることを踏まえ、気候変動問題に対する日本としての包括的な考え方を明らかにしようというものであった。
「美しい星50(Cool Earth 50)」は3つの柱から成っていた。第1の柱が世界全体の排出量削減のための長期戦略の提唱である。その中で「世界全体の排出量を現状から2050年までに半減する」という長期目標を世界共通目標とすること、その達成のため、革新的技術開発と低炭素社会作りの長期ビジョンを提示することが提案された。第2の柱は2013年の国際枠組み構築に向けた3原則の提唱である。その3原則とは、①主要排出国が全て参加し、京都議定書を超え、世界全体の排出削減につながること、②各国の事情に配慮した柔軟かつ多様性のある枠組みとすること、③省エネなどの技術を活かし、環境保全と経済発展とを両立することである。第3の柱は京都議定書の目標達成に向けた国民運動の展開である。第1の柱、第2の柱で示された考え方は現在にいたるまで日本政府の根幹をなすもので、それが初めて包括的に提示されたという意味で「クールアース50」は大きな意義があったと思う。特に「京都議定書を超え、世界全体の排出削減につながる」という部分は、米国、中国が義務を負っていない京都議定書の根本的欠陥を克服しようという強い決意を示すものだ。
ハイリゲンダムサミットでは「気候変動、エネルギー効率、エネルギー安全保障-世界経済成長に向けた課題と機会―」を含む共同声明が発出される予定になっていた。日本代表団のミッションは、安倍総理の打ち出したビジョンをハイリゲンダムサミット等、各種の首脳レベル会合の共同声明に打ち込んでいくことである。私も初めて政府専用機に乗せてもらい、事務方スタッフの一員としてドイツに赴いた。とはいえ、G8サミットの共同声明はシェルパといわれる外務省の首脳個人代表の間で交渉される。このため、各省の事務方は首脳やシェルパが陣取るケンピンスキーグランドホテルから遠く離れたホテルにいて、時折、外務省から現在の交渉状況についてデブリがあるのを待つのである。待機時間がひたすら長いため、私は7月に予定される東アジアサミットエネルギー大臣会合に向けた省エネ勧告のドラフティングを行っていた。
ハイリゲンダムサミットのコミュニケでは省エネも大きな位置づけを与えられており、日本が重視していたセクター別の取り組みについても、”work together with the major emerging economies towards a reduction in energy consumption in priority sectors”とか、”invite the IEA, its members and their respective industries to increase the dialogue with the major emerging economies on more efficient energy policies and develop guidance mechanisms” 等の形で盛り込まれていた。
「美しい星50」の第1の柱である長期目標については、”We will consider seriously the decisions made by the European Union, Canada and Japan which include at least a halving of global emissions by 2050” (パラ49)という形で反映された。米国がG8だけで数値目標を設定することに消極的であったため、「真剣に検討」でとどまったが、 まずますの結果だったと言えよう。