電力自由化が向かう先は総括原価主義?
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
先月、英国政府の方から温暖化問題への取り組みと電力システム改革の現状についてお話をお伺いし、意見交換を行う機会があった。電力システム改革専門委員会の伊藤元重先生と松村敏弘先生も一緒に出席されていた。
1990年に電力市場を自由化した英国では、老朽化が進む石炭火力設備が廃止された後供給力不足により停電も想定される事態になっている。電力事業者が発電設備を新設すれば良いだけの話だが、自由化された市場では新設を行うかどうかは事業収益次第になる。例えば、発電コストが高く夏場と冬場のピーク需要がある時だけしか利用されない設備だと、投資に見合う収入は得られない。利用率に応じてしか収入は得られないために、発電コストが高ければ、電気が売れず設備は利用されず倒産するだけだ。他の電源より必ずコストが安く利用率の高い電源でなければ事業者は設備を作らない。
歴史的にみても、今の化石燃料市場でみても、常に価格競争力がある発電用の燃料は石炭だ。政治的に安定している国からの供給が多いことと、埋蔵量が多いことが石炭の価格競争力の源泉だ。石炭火力を新設すれば、競争力のある電源となり一年を通して運転される可能性が高い。燃料の価格面と供給面からは、事業者としてのリスクは少ない。だが、ここで問題が出てくる。石炭は二酸化炭素排出量が相対的に多いという地球温暖化の問題だ。英国政府は温暖化対策に熱心だ。古い石炭火力設備を新しくすれば効率は間違いなく上昇し、二酸化炭素は減少する。しかし、それでも同じ化石燃料の中で最も二酸化炭素排出量が少ない天然ガスで発電する場合の2倍近い二酸化炭素が排出される。
温暖化対策を進めている英国政府は石炭火力にはCCS(発電所から排出される二酸化炭素を地中に貯留することにより大気中への放出を防ぐ新技術・設備)を設置する意向だ。しかし、採算の問題などがあり直ぐには間に合わない。このため、英国政府は二酸化炭素排出量の少ないガス、あるいは原子力などの発電設備の新設を期待している。
しかし、設備の新設が英国政府の期待通り行われるかどうかは分からない。自由化された電力市場では発電設備を建設しても、電気を買ってもらえるかどうかは分からない。他の電源との比較で競争力のある価格で発電できなければ電気は売れず稼働率は低迷する。石炭以外の燃料では、こうなる可能性が高い。
その石炭火力も将来競争力を失う可能性がある。二酸化炭素の排出に課税される、あるいは排出枠の購入が義務付けられれば、税額あるいは価格次第では、石炭火力は競争力を失う。いずれの電源でも、将来にわたり競争力があるかどうかは不確定要素が大きい。発電設備のように長期に亘り利用される設備では環境の変化が予測できず、操業期間中の競争力、すなわち収益力、投資収益率を見通すことは至難の業だ。通常の企業であれば、不確実性が高く収益が見通せない事業には投資しない。
英国でも事情は同じだ。まして二酸化炭素排出量が少ない電源となると競争力に不透明感がつきまとう。先にみたように、炭素価格を別にすれば二酸化炭素排出量の多い石炭火力が最も競争力があり、排出量が少ない再生可能エネルギーのコストが高くなるからだ。結局、市場に任せた場合には誰も設備を新設しない可能性が高い。
事業者に設備を新設してもらうには、設備を作れば、利用の有無にかかわらず事業者の収入が保証される形を取るしかない。キャパシティペイメントと呼ばれる方式だ。既に米国のペンシルバニア、ニュージャージなどの市場では利用されている。この方式であれば、事業者は安心して設備新設のための投資を行うことができる。ただし、設備に対して支払われる額は電気の需要家が負担することになる。
英国でも、詳細は一部まだ決まっていないが、ガス火力発電設備については、この制度が利用されることになる。温暖化対策としてガス火力設備の建設を促進するためだ。一方、温暖化対策の観点から新設が必要な原子力発電設備については、変動費が少なく、固定費が大きくなることから、設備を建設した場合には必ず運転しなければ無駄が大きくなる。運転することが建設の前提だ。燃料代という変動費が大きく運転しない場合の費用が比較的小さいガス火力とは事情が違う。
英国政府は原子力発電については、一定の電気料金を常に保証することにより建設を促進する考えだ。発電された量を市場で売却した場合との差額を政府機関が保証することにより事業者は安定的な収入を得ることができる制度になる。
温暖化対策を進めるためとは言え、電気の需要家の負担が増加する制度だ。この制度では設備を建設した事業者には、常に設備投資に対する収益、あるいは運転コストに対する収益が保証される。考えてみれば、総括原価主義に極めて近いコンセプトだ。異なるのは、市場を利用しオークションにより事業者が選定されることだが、民間の事業者であればハードルレートと呼ばれる最低限の投資収益率が保証されなければ、応札しないだろう。自然独占ゆえに低い収益率が適用されている総括原価主義より、収益率が高くなる、即ち電気料金が上がる可能性がある。
結局、市場に任せれば、利用率、収入の保証がない設備の新設を行う事業者はいなくなるために、設備の新設を促進する制度が必要になるということだ。需要変動が大きく、設備により利用率が大きく異なる発電事業では必要な制度だろう。設備の新設を保証する総括原価主義は悪の巣窟のように非難する向きがあるが、自由化した時には設備新設のために「新たな総括原価主義」が必要になることは理解されているのだろうか。
英国政府の方との意見交換の場に一緒に出ておられた伊藤元重先生と松村敏弘先生は、英国政府の電力市場改革をどう受け止めたのだろうか。
この自由化の話は連載を行っているWedge Infinity(http://wedge.ismedia.jp/)のウエブマガジンに具体例を挙げ詳しく書きたいと思っているので、関心のある方は2週間後に掲載される記事もご覧いただければ幸甚である。