電力供給を支える現場力③

-東北電力 原町火力発電所復旧の奇跡-


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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<関係者全員が「My Plant」意識>

 一日でも早い復旧を目指す思いを、メーカーであると協力企業であると東北電力であるとを問わず、また、東北電力の中でも部門を問わず、全関係者が共有していたことは、電力業界関係者には驚くことではないのだろうが、外部から見れば驚嘆すべきことだ。通常の企業同士の関係においては、契約が全てであり、契約締結後に、その履行として淡々と納期・工期を守りさえすれば十分であるはずだ。しかし、東北電力の方達の口からは、「どうやったら工期を短縮できるか、メーカーの方も協力企業の方も、とにかく全員が一緒になって寝ずに考えてくれた」、「他の契約先に自分で頭を下げて回り、こちらに必要な資材を優先的に届けてくれた」、「仙台火力発電所では、被災から2日後にはプラントメーカーの技術者達が自社のヘリコプターで駆けつけてくれた」といったエピソードと感謝の言葉が後から後から出てくる。関係者全てが「My Plant」という意識だったのだろう。

事務所の壁に貼られた各協力企業さんの掲げたスローガン。全てが熱い

<地域の方達の応援>

 そして、「わが町の発電所」の意識は地域の方達も感じることが出来る。送電線(原町火力線)を支える鉄塔建て替えのために必要な、地権者の了解を得るため地域を走り回った同社福島支店用地センターを通じて地域の方々からの応援の声を受け止めた工事担当の送変電建設センター小山主査は「ありがたかった。一日でも早く復旧することで、その応援に応えたいと思った」と語る。最近は、ごみ処理施設、発電所・送電線等の、社会的に必要ではあるが自分の裏庭にはあって欲しくない諸設備を「迷惑施設」と呼び、そうした施設の整備が進まないNIMBY問題(Not In My Back Yard )が社会の大きな課題となっているが、設備の社会的意義の認識共有など、コミュニケーションの在り方次第で迷惑施設は単なる迷惑施設ではなくなるのではないか、と思うのは、楽観的で手前勝手であろうか。女川原子力発電所が被災直後、360名を超える地域住民を受け入れ、その後約3ヶ月間所員とともに避難生活を続けたことは有名な事例であるが(下記に紹介する「とどける」に詳しく紹介)、地域における電力設備のあり方を考える好事例をいくつも見せていただいたように思う。「もう復旧しないのではないか」とまで言われた原町火力が見事復活した姿を見せることで、『「あの原町火力でさえ復旧するのだから」と被災地域の方達が思ってくれたら嬉しい』、と一昨年6月末以来復旧の陣頭指揮を執ってきた樋口所長は語ってくれた。

当日案内してくださった(左から)樋口所長、天野副所長、工藤運営企画課長。
手に持っているのは「不屈と前進」というスローガンのタオル。
この文字もOBが書かれたそうだ