福島原子力事故の責任 -法律の正義と社会的公正-
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
電力事業は莫大な長期投資を必要とする設備産業である。総括原価主義、地域独占、そして発電単価の安い原子力発電は、法的供給義務と引き換えに電力会社に安定的な収益を蓋然性高く確保させることで、資金調達力を保たせるための「3点セット」であったと言える。それが福島第一原発事故により、原子力発電は民間企業が行うにはあまりに大きなリスクを内包していることが明らかになった。全国のほとんどの原子力発電所が稼働できず「受電所」となり、そして、事故以降しばらく、沖縄電力を除く電力各社は、震災前のような低利での社債による資金調達が出来ずにいた。
今後資金調達コストが上がり続ければ電力事業にどういう影響が出るのか。原子力発電を民間が運営し続けるために必要な資金が金融によって供給され続けるには何が必要なのか。そんな課題を感じ始めた時に本書と出会った。
金融、特に資産運用の専門家である著者は、事故以降の首相を含む政府高官の発言を丁寧に追って、法や手続きを軽視した国家運営がいかに危険か、警鐘を鳴らしている。東京電力に対する債権放棄論や東京電力の法的整理論など、法的根拠に乏しい議論が一人歩きしている現状を憂い、また、緊急の課題である福島第一原発事故の被害者への賠償を「差し置いて」、脱原子力へ向けたエネルギー政策の転換、電気事業の構造改革や東京電力の企業統治構造の変革などが、どさくさ紛れになされていることに、憤りをあらわにしている。実際に東京電力が「原子力損害の賠償に関する法律」第3条第1項ただし書上免責とされるべきか否かについては、議論の余地もあろう。しかし政府内の検討過程も明らかにされず、結果だけが伝えられるのでは、民主主義の政治体制そのものをも、危機に陥れかねないという指摘は正鵠を得ている。
冒頭、筆者は問いかける。「この事件の主役は誰か」。
筆者自身がその問いに答えて、「おそらくは、主役などいない事件である。敢えて言えば、原子力発電という科学技術の利用自体が主役なのかもしれないが、その利用にさまざまな立場で国民のすべてが関わっている以上、そして原子力発電が国民の選択として行われてきた以上、主役は国民なのであろう。だとすれば、誰が何を批判し論評しようとも、それは、国民の一人として原子力発電の恩恵を受けてきたという事実を自覚した上で、自分なりの責任の果たし方として、なされるべきである。」と述べている。
今回の事故に限らずよく使われる、「国の責任だ」「国が責任を持って対応すべきだ」という文章の主語は、結局は、我々国民に他ならない。今後どのようなエネルギー政策をとるにせよ、それが国民の選択の結果であることを自覚し、その結果に責任をとる必要がある。
本書は、金融の領域を遥かに超え、日本社会が福島第一原発事故をどのように理解し、消化し、前に進むべきかを考える上での指針となる良書である。ぜひ一読をお勧めしたい。
『福島原子力事故の責任 法律の正義と社会的公正』
著者:森本 紀行(社団法人日本電気協会新聞部)
http://www.shimbun.denki.or.jp/publish/media/books/book95.html