グリーン雇用という「神話」
澤 昭裕
国際環境経済研究所前所長
雇用増は経済政策の結果にすぎない
ヒューズ教授は、そもそも経済発展への貢献として(あるいは政策判断の指標として)雇用の創出を指標として取り上げることを疑問視している。マクロ経済の視点では、政策評価指標としては付加価値の創出や社会的便益に与える影響に着目したものの方がより適切であり、雇用数は不適切だと教授は指摘する。雇用増加が価値を生み出すのは、その雇用によって新たにつくり出される生産高の価値が当該雇用によるコストを上回る場合に限られるからだ。ヒューズ教授はわかりやすい例えで、雇用の創出を指標として取り上げる誤りを示す。
『ここで2種類の小麦を作付けすることを考えよう。肥料や必要な機械、栄養素などの条件は同じと仮定して、それぞれ同量を生産するためには、小麦Aは1ヘクタール当たり50時間の労働が必要で、小麦Bは100時間の労働が必要であるとする。このとき、多くの雇用を“創出”しているのは小麦Bであるが、経済政策として小麦Bを採用することは正しい選択なのであろうか?答えは自明である。雇用を創出することを理由に小麦Bを選択することは経済を歪めることだが、実は、この議論はグリーンエネルギー推進論者が提唱している議論そのものだ』
雇用が増加するか否かが問題ではなく、雇用の結果、①社会全体の便益あるいは経済活動が活発化したか、②短期的に経済活動が変化しない場合でも、将来の経済活動が活発化するかどうか、が問われているのである。
ヒューズ教授は「グリーンエネルギー導入という公共政策を評価する上では、最も低コストで排出削減を行うことに焦点を当てるべきである」と主張する。なぜなら、温暖化対策推進派と慎重派の両方のグループに利益をもたらすことができるからだ。すなわち、推進派にとっては、低コストの技術を採用することでより大幅な排出削減が可能となり、慎重派にとっては、政策実施に伴う費用を最小化できる。温暖化政策を推進する理由として雇用の創出を挙げることは、大衆の目をごまかすことはできるかもしれないが、経済的な合理性を伴わないという大きな弱点があるのだ。
マクロ経済的には、予算政策、財政政策、為替レートなどのフレームワークが雇用の増減に大きく影響するが、グリーンエネルギー推進は長期的には雇用の増減に影響を与えない。雇用機会の移動が生じるのみだ。例えば、風力発電の実施で土地所有者は土地代を手にし、地元は風力発電のメンテナンスのための作業労働が増えるが、一方で家庭や会社が支払う電気代が上がれば、これらの影響で電力を使用する会社の利益は縮小、法人税などの納税額が減少し、従業員の賃金引き上げも抑制される可能性がある。電気料金値上げで雇用機会が失われる作業員は出るかもしれず、彼らは別の(安い賃金での)雇用を提供する会社に移るかもしれない。このように、高額の電気料金の支払いを余儀なくされる会社の従業員や株主は最も大きな被害を受ける。所得分配や雇用機会の構造変化は生じるが、経済全体でみた場合には、長期的には雇用増減に大きな影響はない。これが、ヒューズ教授の見立てである。
グリーンエネルギーを推進する場合の影響については、日本でも多くの研究機関が経済分析を行っているが、肝心なことは、分析のフレームワークにおいて、雇用数増加を単独で政策推進の目的とすることがないように注意することだ。政策目的とすべきは、経済活動が活発化するかあるいは国民の便益が全体として増えるか否かであり、雇用は結果に過ぎない。