ニカラグアはなぜパリ協定を「拒否」したのか


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

印刷用ページ

 筆者にとって新鮮な驚きはニカラグアが先進国・途上国二分論に基づき、先進国だけが義務を負う京都議定書の単純な深堀りを求めているのではなく、中国やインドを含む主要排出国の目標深堀りと義務化を求めているという点であった。この点では彼の主張は実現可能性を横に置けば、ある意味、正論とさえいえる。
 しかし、オキスト首席交渉官の議論に決定的に欠けているのは、まさしく、その実現可能性の視点である。各国が国内でそれぞれ検討して出してきた目標を、「今すぐに大幅に引き上げ、義務にせよ」といっても実現するわけがない。米国や中国が義務化をのまない中で他の主要排出国が義務化を受け入れるとも思われない。ニカラグアは中南米で二番目に貧しい国であり、温暖化対策によるコストが国際競争力に与える影響を心配しなければならないような産業集積も無い。主要排出国に入っていないのだから、いかに非現実的な案であっても主要排出国の厳しい目標、義務を「堂々と」主張できる。永遠に政権をとることのない野党の「首尾一貫した」主張や、実施責任を負わないNGOの「理想主義的」主張に通ずるところもある。
 当たり前のことだが、国際交渉というものは、様々な国益がぶつかる中で、各国がそれぞれ不満を抱えながらも妥協することで妥結する。だからこそ圧倒的多数の国がパリ協定を歓迎したのであり、ニカラグアの働きかけによってどれくらいの数の国がパリ協定の批准を拒否するのかはわからないが、ほぼ全ての国がパリ協定を批准するであろうことは間違いないだろう。
 国際交渉の中で、自らの主張こそが正論であり、それに現実がついてこないのは現実のほうがけしからん、というのでは交渉局面での影響力を失うのみであろう。2009年にニカラグア、スーダン、ベネズエラがコペンハーゲン合意を攻撃している中で、モルジブの大統領が「島嶼国にとって1.5度目標が盛り込まれていないのは残念だが、自分はこれを受け入れる」と発言して会場に深い感銘を与えたのは、まさしくその対極をいったからだ。
 恐らくニカラグアはそうした点は百も承知であろう。オキスト首席交渉官は国連事務局にも勤務したことがある経験豊富な人物だ。主要排出国であればともかく、ニカラグアが参加しようとしまいとパリ協定の実施にとって何のインパクトもない。途上国の数の多さを考えれば、パリ協定に参加することでニカラグアが得られる便益も極めて限定的であろう。それであれば、エッジのたった主張をして国際的にニカラグアの見える化を図った方が、外交戦略としてよいと判断したのかもしれない。だとすれば、「パリ協定を拒否したニカラグア」というブランドネームが関係者の間に刻み込まれたのは間違いない。
 これまで直接やり取りすることのなかったニカラグアとの意見交換は、ほとんど全ての点でagree to disagreeだったとはいえ、なかなか興味深い経験だった。最後はがっちり握手して2時間半のセミナーを終えた。

special201511019_02

左より日本の明日を考える女子学生フォーラムの皆さん、筆者、オキスト首席交渉官、
フーリア在京フランス大使館一等書記官、松本理事

記事全文(PDF)