COP21 パリ協定とその評価(その1)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 12月12日(土)フランス時間午後7時半頃、京都議定書に代わる新たな法的枠組みであるパリ協定が採択された。ファビウス外務大臣が「パリ協定を採択する」といって木槌をおろすと、会場は大きな拍手に包まれた。筆者が陣取っていたプレスルーム周辺でも大きな歓声と拍手がわいた。その後の各国のステートメントも議長国フランスと新たな協定に対する最大級の賛辞が続いた。採択後、唯一、ニカラグアが合意内容に対する不満を長々と述べたが、ファビウス外相からは「早く発言を終えるように」と軽くあしらわれて終わった。2010年のCOP16でカンクン合意が採択された際、ただ一国反対をするボリビアに対し、議長のエスピノーザ・メキシコ外相が「ボリビアの発言は議事録に残す。しかしコンセンサスは全員一致を意味しない」として押し切ったことを思い出す。2009年のCOP15でボリビア、ニカラグア等の反対でコペンハーゲン合意の採択がブロックされたことを思うと隔世の感がある。
 土曜朝の新聞は10日(木)夜に出た議長第二次テキストをめぐって各国の意見は未だ鋭く対立しており、議長の最終テキストが出るのは早くても12日(土)の夜、会議が終わるのは13日(日)午前中であろうとの観測を伝えていた。京都議定書に続く新たな法的枠組みに合意するというミッションの難しさを考えれば、合意がそのタイミングまでずれ込むことは容易に想定され、土曜午後7時半にパリ協定が採択されたのは予想よりも早かった感がある。
 本稿では、COP21がなぜ成功したのか、パリ協定の主なポイント及びその評価について筆者の私見を述べてみたい。

COP21はなぜ成功したのか

 筆者は、COP21開催前から、「COP21に向けては多くの対立点があるが、合意形成については慎重に楽観的(cautiously optimistic)である」と述べてきた。今回、COP21が成功した背景には以下の諸要素があると考えられる。

米国、中国の前向き姿勢

 何より、世界第一位、第二位の排出国である中国、米国が合意を欲していたことは大きい。米国はCOP15の時も前向きであったが、オバマ大統領就任1年目の2009年と異なり、今回は大統領任期2期目を1年余り残すのみである。温暖化問題でレガシーを残したいオバマ大統領にとっては後がない。通常はトッド・スターン特使をヘッドとする米国代表団を二週目からはケリー国務長官自身が指揮し、各国との調整に精力的に動き回っていたのはその証左である。
 他方、中国にとって深刻な大気汚染問題に本腰を入れて取り組むことは体制維持のためにも不可欠であった。自動車排気ガス、発電所からの煤塵等の大気汚染問題に取り組むことは、そのまま温室効果ガス削減にもつながることになる。また2000年以降、右肩上がりであった経済成長にも鈍化が見えてきたし、その方向性もより高効率、高付加価値の産業を目指す意向が鮮明になってきた。COP15前のタイミングでは温室効果ガスのピークアウトのタイミングを示すことにすら後ろ向きであった中国が2030年ピークアウトを表明したのはこのような背景がある。更に南沙諸島等における拡張主義が周辺国との摩擦を引き起こしている中で、温暖化防止に積極的な姿勢を示すことは「国際的に前向きな役割を果たす中国」を演出する上で大きな意味がある。特に米国と協力することは中国の志向する「新たな大国関係」を印象付ける上でも外交政策上大きな意味がある。
 こうした要素はCOP15時点には存在しなかったものであり、COP21成功の大きな背景といえよう。

議長国フランスの不退転の決意

 議長国フランスは国の威信にかけて合意を作り出す決意であった。首相経験者であるファビウス外相が陣頭指揮をしたのもその決意の現れである。温暖化交渉の歴史の中でエポックメイキングなCOPが欧州で開催されるのはコペンハーゲンに次いで2度目である。コペンハーゲンの無残な失敗がデンマークのみならず欧州の威信低下を招いたことを考えれば、コペンハーゲン以上に重要なパリでの失敗は絶対に避けねばならない。またフランスは11月のテロ攻撃に屈せず、COP21を敢然と決行した。COP21で合意を取りまとめ、フランスの国威を世界に示すことが一層の至上命題となったことは想像に難くない。加えて13日(日)には第二回地方選挙がある。直前の第一回地方選挙で極右政党の躍進を許したオランド大統領にとっても国際協力、マルチラテラリズムの象徴ともいうべき地球温暖化問題で是非とも得点を挙げたいところであった。

合意を欲した脆弱国

 議長国フランスと第一位、第二位の排出国である中国、米国が前向きであったとしても国連交渉は190ヶ国を超える国が合意しなければ前に進まない。その意味で途上国の多数を占めるアフリカ諸国、LDC、島嶼国等が合意を欲していたという要素も大きい。彼らにとって最大の関心事は先進国からの支援確保である。経済力の強い新興途上国や、目減りしているとはいえ石油収入の蓄積のある産油国とは事情が違う。会議が決裂して資金援助や技術援助が宙に浮いてしまえば、困るのは脆弱国である。また脆弱国の目から見れば、大排出国となった中国、インドにも排出削減に取り組んでもらわねば困る。今回のCOPで米国、EU等と島嶼国、アフリカ諸国等が「High Ambition Coalition」を組んだことは、G77+中国の中で分断が進んでいることを示すものであり、特にCOP15における中国を髣髴させるような強硬姿勢の目立ったインドへの一定の牽制となったことは想像に難くない。

京都議定書ファクターの不在

 コペンハーゲンに向けての交渉を難しくしていた一つの背景は京都議定書第二約束期間の存在である。当時、国連交渉では長期協力特別作業部会(AWG-LCA)でポスト2013年枠組みの交渉が進んでいる一方で、京都議定書特別作業部会(AWG-KP)では第二約束期間の議論が進められていた。先進国のみが義務を負うという京都議定書的な二分法にこだわる途上国は京都議定書第二約束期間の設定をポスト2013年枠組み交渉の進展の条件とする戦術をとっていた。京都議定書が依然として「生きて」いたことが、全ての国が参加する枠組みの策定の阻害要因になったのである。しかしCOP21交渉では、こうした京都議定書ファクターは消滅していた。地球レベルの温室効果ガス削減にとって京都議定書のような枠組みは何の役にも立たないことは明らかであり、京都議定書第二約束期間の設定を受け入れたEUですら、第三約束期間という議論には見向きもしなかった。また京都議定書のように目標数値に拘束力をもたせる枠組みには米国や新興国が乗ってこないという点についても共通認識が広がっていた。もちろん、EUや島嶼国のように引き続き京都議定書のような目標数値に義務をもたせる枠組みを主張する国々、LMDC(Like Minded Developing Country Group)のように先進国のみが義務を負う枠組みを主張する国々もいたが、それは多分に交渉上のポジションあり、本気でそれが実現可能であると信じていたとは思えない(そうであるとすれば交渉官失格であろう)。交渉成果の暗黙の了解はカンクン合意をモデルとしたボトムアップのプレッジ&レビューであった。京都議定書策定後18年を経て温暖化交渉の地合いも変化・成熟しており、それが交渉妥結にプラスの要素となった。カンクン合意の元となったコペンハーゲン合意ができる前にはこうした状況ではなかった。