地球温暖化の科学をめぐって(2)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
ローソン議員の設立したシンクタンクGlobal Warming Policy Foundationの事務局長、ビリー・パイザー氏とも何度か議論したことがある。GWPFのホームページには温暖化対策に対する批判的なコメントや記事が多数掲載されている。GWPFの議論は、「温暖化が人間起源のCO2排出によるとの議論には疑義がある」、「温暖化の影響も過大評価すべきではない」という前提に立っており、その結果、英国が直面するエネルギー問題についても、「再生可能エネルギーに多額の補助金をつぎ込むのではなく、シェールガス、石炭を含め、安価な化石燃料を活用すれば良い」という処方箋になる。各国のエネルギー政策担当者は3E(エネルギー安全保障、環境保全、経済効率)の調和に苦労しているが、GWPFの議論は基本的に2E(エネルギー安全保障、経済効率)の感がある。
このようにローソン議員やGWPFの議論には、賛同できない部分もあるのだが、「将来のリスク、しかもその確度、規模に不確実性がある場合、それへの対策は費用対効果を十分考えたものにすべき」、「緩和に偏重するのではなく、適応にも取り組むべき」というローソン議員の視点は、筆者がしばしば指摘してきた欧州のエネルギー環境政策の問題点を鋭く突いたものであり、傾聴に値すると思う。温暖化対策も公共政策の一つであり、「限りあるリソースをどうプライオリティをつけて配分していくか」は公共政策で最も重要な視点の一つだからだ。公共政策を遂行するのは政治であり、政治には国民の支持が必要となる。欧州のエネルギー環境政策が混迷している一つの理由は、温暖化防止という高い理想を掲げるあまり、高コストの対策への国民の反発という政治的現実を過小評価したことである。そのような政策は持続可能性を失い、ひいては温暖化防止という大目的にとっても逆効果になる。
またBBCのように温暖化懐疑論を地球平板説と同一視して切り捨てることは、科学的態度だとは思えない。天動説、地動説を例に出すまでもなく、科学の世界では多数説が常に正しいとは限らないからだ。私自身は温暖化交渉に参加してきたこともあり、温暖化懐疑論に与するものではないが、地球温暖化の原因とその影響について、いわゆる懐疑論も含め、種々の学説があることは健全な姿だと思っている。BBCでのローソン議員発言に対する環境団体からの抗議に代表されるように、中世の異端審問さながらに、異なる見解を断固、排除する動きには強い違和感を感ずる。ローソン議員の著書にある「環境原理主義と温暖化が新たな宗教になっている」という指摘は、私が気候変動交渉に参加していたときに感じた独特の雰囲気とも符号する。