私的京都議定書始末記(その44)

-カンクン以後-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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その後の温暖化交渉

 2011年4月にロンドンに赴任してから、特別調査員としてCOP17(ダーバン)、COP18(ドーハ)、COP19(ワルシャワ)に出席した。COP17、COP18では交渉官としてAWG-LCAの緩和のドラフティング交渉にも参加した。しかし予備役軍人がピンチヒッターで再召集されたようなもので、これらについて詳しく語ることはやめておこう。

 カンクン以後の大まかな流れを示せば以下の通りである。

 2011年のダーバンでは、「全ての国に適用される(applicable to all)新たな法的枠組み(a protocol, another legal instrument or an agreed outcome with legal force)を可能な限り早く、遅くとも2015年中に作業を終えて2020年から発効させ、実行に移す」との「ダーバン合意」が成立した。またそのための交渉の場として「強化された行動のためのダーバン・プラットフォーム特別作業部会」(ADP)が設置された。他方、京都議定書第二約束期間については、AWG-KPの合意文書の別表の中で日本、カナダ、ロシアの数字の欄を黒塗りにし、更に「2012年以降、京都議定書で義務を負う意図がない」との脚注もつけた。名実共に京都議定書第二約束期間の議論から「足を洗った」ことになる。

 2012年のドーハでは2020年以降の新たな法的枠組みに関する2015年までの合意に向け、交渉の基礎的なアレンジメントを記した「ドーハ気候ゲートウェイ」が採択された。AWG-KPは第二約束期間を設定する議定書改訂案を採択してその役割を終え、終了した。EU、豪州、スイス、ノルウェー等が第二約束期間に参加することとなった。第二約束期間のカバレッジは世界の総排出量の14%程度となった。日本、ロシア、カナダに加え、ニュージーランドも京都議定書第二約束期間に参加しないこととなった。AWG-LCAも終了し、積み残しの案件は補助機関会合で引き続き検討することとなった。これにより、COP13以降続いてきた2トラック体制は終了し、ADP一本となった。

 2013年のワルシャワでは、全ての国の参加を再確認し、各国が自主的に提出する約束草案(intended nationally determined contribution)の提出方式、時期について合意された。

 ロンドンからCOPに年1回参加するだけであったが、ADPを傍聴していると、かつてAWG-LCAで聞いた言い回しや議論が相変わらず繰り返されており、「日暮れて道遠し」の思いを新たにした。器は新しくなっても参加する面々は同じなのだから驚くにはあたらないのかもしれない。

 議論の中身は大して進歩していない一方、ハード面では進捗著しく、ドーハでは経産省代表団のほぼ全員がiPad を持ち、必要なドキュメントは全てiPadに入れて身軽に交渉しているのに驚いた。交渉状況も携帯を通じてリアルタイムで共有されている。カバン一杯にドキュメントを詰め込んで交渉に当たっていた自分と引き比べ、今昔の感がある。私の後任の関総一郎審議官、その後任の赤石浩一審議官、更にその後任の三田紀之審議官の下で、経産省チームは素晴らしい働きを見せていた。「ロートルの出る幕ではないな」としみじみ思った。

 ということで、44回にわたって書いてきた私的京都議定書始末記に「始末」をつける時が来たようだ。

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