汽水の匂いに包まれて(その2)


NPO法人 森は海の恋人 理事長

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前回:汽水の匂いに包まれて(その1)

 気仙沼湾に危機が近づいていた1980年代、マスコミを賑わしていた話題が、長良川河口堰問題です。
 一級河川で唯一ダムの無い川と言われていた長良川の河口を塞いで、工業用水の需要に応えるという計画です。


長良川河口堰 画像提供:PIXTA

 ブラジルで第一回の世界環境サミットが開催され、遅まきながら環境という概念がクローズアップされ出した頃です。人気作家の開高健さんを筆頭に、いろいろな立場の方が中心になり反対のデモが繰り広げられていました。河口堰をテーマにしたシンポジウムに各地で開催され、何度か出席してみました。そこで感じたことは、反対運動の中心は釣り人やカヌーイストの方々であり、漁師が中心ではないということです。長良川河口の汽水域は日本有数のシジミの産地なのにです。また、当時の岐阜大学の先生方は、サツキマスという魚が長良川に遡上できなくなるから反対だという主張をしていました。「それでは魚道を造りますから」と言われれば簡単に躱されると思いました。国が計画を撤回した例はありません。
 案の定、強行的に河口堰が建設されてしまったのです。
 しばらくして、河口の汽水域を探索してみますと、名産のシジミ漁は壊滅状態になっていました。
 そこで学んだことは、長良川と伊勢湾の生物生産量の変化を科学的な調査を基に数字で証明しなければ、これからもこのような悲劇は続くということです。
 気仙沼湾に注ぐ大川に計画されていたダム建設予定地は、河口から僅か8km地点です。まるで、河口堰と同じような位置になります。危機感だけが募っていました。
 牡蠣の漁場は、世界中のどこを見ても河川水が海に注ぐ汽水域です。河川水に含まれる何等かの成分が、牡蠣の餌となる植物プランクトンとどのような関係にあるのかを知らなければ、ダムや河口堰建設計画に口を挟むことはできません。


気仙沼大島・牡蠣養殖 画像提供:PIXTA

 漁民の相談相手は水産試験場の先生方です。宮城県の場合は殆ど、東北大学農学部水産資源学専攻出身者です。
 森と川と海とのかかわりについて質問してみました。
 すると、「私たちは水産行政に携わる水産生物の研究者なので、管轄は海の生物です。河川水にはありとあらゆる陸側からの成分が含まれています。それを分析し、海の生物とのかかわりを調べるという仕事は、我々の管轄外です」と言うのです。
 大川に建設が予定されていた新月ダム建設計画についてコメントを求めると、「大川は二級河川ですので、宮城県の管轄です。我々は海の仕事をしているのでダムは管轄外のためコメントできません」と言うのです。
 ダムの建設を担当する土木課に環境アセスについて問うてみました。
 すると、「ダムから上流域の生物調査はしますが、下流域や海は管轄外です」と言うのです。
 森と川と海は繋がっているのではありませんか?と食い下がってみましたが、今の日本の法律はそうなっているのでという回答でした。
 管轄外という言葉の連続は、縦割政策によって自然をも分断して捉える、という思考です。法律も同じ思考ということです。大学も縦割りではありませんか。行政も学者も法律も当てにならないとすると、到底勝ち目はありません。
 素朴な作戦で行くしかないね。
 漁師仲間と何度も集まり作戦を練りました。海の生き物が好きでたまらない人間の集団なのです。赤潮にまみれた海を、青い海に戻したい、その一念で何度も何度も集まりました。
 そうしているうちに、長老格のSさんが発言しました。Sさんは気仙沼の牡蠣漁師なのですが、岩手県大船渡市の県立盛農業高校林業学科出身です。
 昔から、魚付き林といって、海に近い森林を伐採すると魚が寄り付かなくなるので、保全してきたものだ。理由はわからないが、牡蠣だって同じではないか。川の流域の森林が荒れると、雨が降ればすぐに泥水が流れてくる。気仙沼湾に注ぐ大川の上流は岩手県の室根山だ。室根さんは漁師の目印の山でもある。あそこに、漁師の森をつくってはどうか?牡蠣漁師の森だから「牡蠣の森」としてはどうか。山の住人が木を植えてもニュースにならないが、漁師が森づくりをすればニュースになるぞ。
 Sさんは役場に勤務していたこともあり、行政の仕組みや役人の考え方も熟知していたのです。そして、あなたが言い出しっぺなのだから、岩手県の室根村(現 一関市室根町)に行って交渉してきなさい。
 こうして、宮城県の漁師が岩手県の村に足を運んだのです。