コロナ禍はドイツの環境政策をどう変えるか(その1)


ジャーナリスト

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 ドイツの新型コロナウイルスの感染者数は約15万人、死者数は5575人(2020年4月24日現在)。イタリア、スペイン、フランス、英国など周辺国の惨状に比べればまだ深刻ではないとも言えるが、死者数は日本の人口規模に置き換えれば約8000人となる。日本でこの規模の死者が出たとなれば、社会に深刻な動揺をもたらすだろうし、政治責任を問う声も高まるだろう。


画像提供:PIXTA

 ところが、ドイツ人の大勢は、我々はよくやっている、という現状認識である。与党キリスト教民主同盟(CDU)の関係者とメールでやりとりし、「死者数が圧倒的に少ないアジア諸国(日本、韓国、台湾。中国を除く)と比較して、ドイツはもっとこうするべきだった、という議論はないのか」と書き送ったところ、「死者のほぼ全てが基礎疾患があった人で、そうした議論はない」という回答が返ってきた。いかにもドイツ人らしい割り切り方だな、と思う。
 そこには、ドイツ人特有の視野の狭さ(ヨーロッパ人一般に多かれ少なかれ当てはまるだろう)もある。今回の問題に限らないが、そもそも、自国の事情をアジアの事情を引証基準に考察しようという発想は少ない。感染を制圧した成功例として韓国のコロナ禍対策を公共放送ARDが報じていたが、それは例外で、日本、台湾の実情をきちんと分析した番組や記事はまだ報じられていないと思う。
 しかし、ドイツもこのまま推移すれば、1万人近い死者が出るかも知れず、ヨーロッパ全体ではすでに10万人を越えている。コロナ禍はいずれ収束するだろうが、ヨーロッパに深い傷跡を残すだろう。ドイツも例外では済まされないだろう。
 環境問題からは離れるが、コロナ禍のヨーロッパへの衝撃は次のようなことが言えるのではないか。
 まず、ヒトの「移動の自由」を中心に、国民国家の超克を目指すというヨーロッパ統合理念は大きな後退を余儀なくされるだろう。
 周知のように欧州連合(EU)のほとんど全ての加盟国がシェンゲン条約に加盟し、国境検問を廃止している。
 2月21日にイタリア北部で集団感染が発覚したが、フランスやオーストリアなどは25日開かれた保健相会議で国境を閉ざさないことを決めた。ヨーロッパ各国が国境閉鎖などの措置に踏み切ったのは、ようやく3月10日を過ぎてからである。
 ドイツのシュピーゲル誌によると、ドイツのメルケル首相は最後までEUの根本理念である「移動の自由」にこだわった。すでに2月22日に、ドイツ連邦警察は国境検問を導入することを提案したがメルケルは拒否した。ゼーホーファー内相もオーストリア、フランスなどとの国境閉鎖を主張したが、メルケルは反対し続け、結局国境検問導入に同意し実施したのは3月16日からだった。
 こうしてみると、理念としての「移動の自由」こそが感染症拡大の一つの要因となった姿が浮かび上がるのではないか。
 そして、危機の深化に従ってヨーロッパ各国がとった行動は、ヨーロッパの連帯という建前とは裏腹に「自国第一主義」であった。それは、究極的に人々の健康、安全を守るのは、一旦事あれば強制力を持って人々を従わせることができ、その財政的な裏付けもある各国家でしかない、という原点に、ヨーロッパも立ち返ったことを意味する。
 国境を閉じたことに加え、3月上旬にドイツなどが医療用マスクや消毒液に輸出制限を掛けたことはその端的な例である。さらに、コロナ禍の打撃を受けたイタリア、スペインなどがヨーロッパ共通債権、いわゆる「コロナ債」発行を求めたのに対して、ドイツをはじめ北ヨーロッパ諸国は反対した。言うまでもなく、南欧諸国の債務の肩代わりを嫌ったためである。
 さらに、本来はEU諸国を束ねるはずの欧州委員会が機能しなかった。フォンデアライエン委員長は4月16日の欧州議会での演説で、「イタリアはもっと支援されねばならなかった。ヨーロッパ全体はそのことを謝罪し、助け合わねばならないことを認識した」と率直に認めた。機構としてのEUの機能不全、その背後にある加盟国の分断は、すでにユーロ危機、難民危機で顕在化したが、今回も如実にその欠陥が現れた。
 長期的に見れば今回の事態はヨーロッパの自信喪失にもつながるかも知れない。いくら認めたくなくても、東アジアの日本、韓国、台湾などとの人口当たりの死亡率の顕著な差は、まだ最終的な帰結は明らかではないにしても、一目瞭然である。「移動の自由」や私権の制限、公衆衛生制度の脆さに現れた、ヨーロッパがこれまで誇りに思ってきた価値や制度の失墜は、「西洋の没落」論にも通じるような深刻な文明史的反省をヨーロッパの知的世界にもたらすかもしれない。


出典:ジョンズ・ホプキンス大学「コロナウイルス資料センター」

 さて、コロナ禍がドイツ、そしてヨーロッパの環境問題に与えている影響だが、日本も含め世界のどの国でも同じ状況ではあるのだが、有り体に言えば、コロナ禍対応に忙殺され環境問題どころではない、ということである。日々の主要ニュースからほぼ完全に脱落してしまった。
 ただ、少ないながらもニュースから拾うと、以下のような出来事が起きている。①ドイツ議会で環境問題関連の法案審議が滞っている②景気後退で温室効果ガス排出量が減っており、ドイツの2020年の削減目標は達成されそうである③窒素酸化物(NOx)の排出量が減り、特に都市部の大気がきれいになった④電気料金の高騰が予想される⑤政治的には環境政党「緑の党」の支持率が若干下がり、環境保護運動に勢いがなくなっている⑥EUは「コロナ後」の経済復興の重点を気候変動対策と結びつける方針――である。
 まず①に関してだが、公共放送ARDの電子版によると、今ドイツ政治の状況は「コロナファースト、その他全ては後回し」という状態で、3月18日に予定していた水素エネルギー戦略についての閣議決定も無期限延長された。そのほか、この欄に以前書いた、風力発電施設と居住地との距離を少なくとも1km離さねばならない、という新しい建設指針や、脱石炭の法制化なども審議が中断している。
 ドイツはこれまで厳しく課されてきた外出制限などの措置に関して、4月22日から小規模商店の営業が再開したが、まだコロナ禍収束の気配は見えない。ある種の「政治空白」はまだしばらく続くだろう。
 ②以降については、次回、詳しく見ていきたいと思う。