EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その3)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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前回:EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その2)

3.国境調整税の難しさ

 欧州委員会は3月4日にEUグリーンディール政策の一環として、「国境調整メカニズム」のロードマップに関するパブリックコメントを開始しており注9) 、そこで集約した意見を踏まえて具体的な制度内容を検討し、20年の第3四半期に具体的な提案を示して改めてパブコメを実施、最終的に21年第2四半期に欧州委員会で採択することになっている。従って、今年の秋に具体的な案が発表された後、国際社会を含めてEU内外でさまざまな議論が巻き起こることは必至である。その際の論点を今から整理しておくためにも、本章ではこの国境調整税にまつわるいくつかの問題点について考えていきたい。

 ただEUが現時点で具体的な「国境調整メカニズム」の詳細を明らかにしていない以上、現時点でそうした措置の問題点を具体的に指摘することはできない。3月4日に開始されたパブリックコメントの招請文書では、「国境調整メカニズム」のいくつかのオプションの例として、内外無差別の製品炭素税、EU-ETS (欧州排出権取引制度)の域外適用、EU-ETS におけるベンチマーク制度に基づく輸入品の炭素課金調整、といった案が例示されているのだが、その詳細は明らかにされていない。また調整メカニズムの対象となるセクターについても、カーボンリーケージリスクの評価を行っているところであるとして、具体的に明らかにはされていない。そこで本稿では、すでにEU内部で議論されているいくつかの国境調整メカニズムの具体的なアイディアに基づいて、仮にそうした措置が導入されると、どんな問題が起きるかについて頭の体操をしておくことにしたい。

3.1 ETSセクターに関する国境調整税案

 筆者が昨年来、欧州の産業グループと議論してきた中で聞くところでは、鉄鋼やセメントといったEU-ETS(欧州排出権取引)の対象セクターに対して考えられている国境調整税は、以下のような仕組みになる可能性があるという。

 先ず大前提として、欧州鉄鋼連盟などEUの産業グループは、前述したEU-ETSにおける排出枠の一定量の無償配布や、FIT賦課金の減免措置等の継続は必要との立場をとっており、これらの緩和策を継続することを前提とした上での「国境調整メカニズム」の導入を求めている。

 EU-ETSでは、対象セクター産業のすべての事業所(=工場)について、そのCO2炭素排出原単位(製品一単位を製造する際に直接排出されるCO2の量)について、最も効率の良い(排出原単位の低い)事業所から最も悪い事業所まで並べ、効率の良い上位10%の水準でベンチマーク原単位を決定した上で、各事業所の年間生産量にその原単位を乗じた排出量までは、政府が無償で排出枠を付与(フリーアロケーション)し、それを上回って排出する場合は、政府の行う排出枠オークションか、排出権市場から排出枠を購入して相殺しなければならないことになっている(CO2の総排出量が無償枠以下に収まり、排出枠を余らせた場合は、その事業所の炭素価格の負担は不要となり、むしろ余剰枠を市場で売却できることになる)。従って当該事業所が生産する製品が実際に負うことになる製品1単位当たりのEU域内炭素価格CPEUは、以下の式で示される。

ここで

 この域内事業所の製品が、EU域内で課される炭素価格CPEUと等価の炭素価格を、「国境調整メカニズム」によって域外で生産された輸入品にも同等に課そうとした場合、輸入品1単位当たりに課されることになる国境調整税CTの設定には以下のような方式が考えられる。

【ケース1】製品1単位あたりの炭素価格負担差分の課税

 この場合、CPEUは、ETSの無償配布やFIT賦課金減免措置といった炭素価格補償措置を従来通り行った後での、EU域内生産者が負担する炭素価格である。ここで問題となるのは、輸入品がEU域外の生産国で負担した炭素価格CPEXをどう算定するかということである。筆者が以前から本サイトで紹介してきたように注10) 、炭素価格には、日本でいう地球温暖化対策税にあたる炭素税のように、明確にCO2排出1トン当たりに一定額が課税される「明示的炭素価格」の他にも、様々な化石燃料に対して従量制で課されるエネルギー税や、電力料金を介して間接的に課されるFIT賦課金があり、また日本の省エネ法に規定されているような排出効率の改善義務も「暗示的」な炭素価格になりうる。

 さらに、仮に輸出国側でも排出権取引制度(ETS)が導入されていたとした場合注11) 、話はより複雑になりうる。例えば輸出国の排出権価格がCPEXだったとしても、それが①式のように無償配布枠を付与するものとなっているのかどうか、またその前提となるベンチマーク原単位にどのような計算式や数字を使っているのかによって、輸出国のCPEXをCPEUと等価な炭素価格と見なすことができなくなるという問題が生じる。こうした輸出国における多様な(EUと異なる)炭素価格制度の下で、輸出製品1単位当たりに輸出国側で課された炭素価格CPEXをどのように計算して、EU国内製品に課された炭素価格CPEUと比較するかは、真面目に考えれば考えるほど大変複雑な作業となる。実際にはCO2原単位の計算方法や投入エネルギー種毎のCO2排出係数、企業の報告制度の有無といった制度の細則を考えると、輸出国側政府の協力なしには正確な算定や比較は不可能だろう。果たしてEU政府として、輸出国政府からそうした炭素価格のEUとの比較考量についての協力が取り付けられるかどうかという課題も残る(中国や米国、ロシアを相手にした場合を考えてみてほしい)。

 仮に輸出国政府が、そうした政策的協力やデータ提供を拒否した場合、EU側としては「勝手推量」で、輸出国企業の負担している製品一単位当たりの炭素価格CPEXを決めて、輸入品にCTを課すことになるが、上記のように単純比較ができないことが明らかな中で、そうした一方的な措置をとれば、輸出国企業側の強い反発を招いて、通商係争化することになることは必至だろう。仮にその時点でWTOの調停機能が回復していたとしても、論争を招くことは不可避だし、ましてやWTOの調停機能がマヒしていたら、おそらくは輸出国側が報復措置に訴えることで貿易戦争を引き起こすことは想像に難くない。

【ケース2】輸入品の炭素原単位にEU並み課税

 このケースでは、輸出国側の事業者に対して、EU-ETSと同等のベンチマーク基準で見て同等以上の炭素効率で生産が行われる場合は、国境調整税を無税とし、ETSベンチマークを超える部分について、EU域内事業者と同等の炭素価格を課すという考え方である。輸入品が輸出国内で負担した炭素価格は考慮しないことになるが、それは出国側で免除してもらえばよいということだろう。この方式では、EU域内の事業所に対して、ETSベンチマークの範囲内の排出については排出枠の無償配布を続けることが前提となっており、輸入品についてもEUベンチマーク原単位を超えたCO2排出分についてだけ、炭素価格を課すという考え方である。これは基本的に欧州の鉄鋼産業界が求めている国境調整メカニズムに相当する注12)

 この方法は一見、内外無差別の原則に即しているように見えるが、この方式の問題は、式②を前提とすることで、輸出国側の事業所について、EU-ETSのCO2排出量計算方式に基づく詳細なデータ収集、報告、検証が求められるということである。実はEU-ETSの排出量計算方法は、EUの排出量取引制度を目的に設計された方法論であるため、日本などで一般的に考えられる工場からのCO2排出量の計算方法(日本では省エネ法、温暖化対策法の下で、一定規模以上の事業所ごとにこの方法で定期的にデータ収集・計算し、政府に報告することが義務付けられている)とは全く異なる算定方法が用いられており、これをEU-ETSの適用国でもない輸出国側の工場に適用しようとすると、かなりやっかいな問題が生じることになる。

 具体的な例を鉄鋼産業の場合で見てみよう。まず、EU-ETSにおけるベンチマーク方式では、複雑な内部プロセスを複数抱えている製鉄所(=事業所)の全体をカバーした、一貫排出量を一括でカウントするのではなく、製鉄所を高炉~連続鋳造、コークス炉、焼結炉、普通鋼電炉といった8つの主だったサブプロセスに分解し、それぞれのプロセスの詳細な物質収支に基づくプロセス毎の直接CO2排出量を算出し、それぞれのプロセス毎のCO2排出原単位のEU域内上位10%の水準をベンチマークとして定め、それを基に各事業所に無償配布が行われている。排出量取引という金銭価値の取引を前提としたデータであるため、正確性・公平性を期してこうした複雑な計算方法を採っているのである。このように事業所内のプロセスを細分化した中間段階の工程に関する原単位の積み上げ計算は、通常の生産活動では必要とされないため、EU域外ではまず行われていない、かなり特殊な計算方法である。

 またEU-ETSにおいては、実際に工場の煙突から出ていくCO2の「直接排出量」だけが排出量としてカウントされるため(いわゆるスコープ1排出だけがカウントされる)、製鉄所内の、例えば高炉やコークス炉から発生する副生ガスを使って自家発電を行うと、そこから出たCO2は当該工場のCO2排出としてカウントされることになる一方で注13) 、外部の送電網から購入した電力はゼロエミッションエネルギーと見なされる。そうすると、総排出量にETSの上限枠がかけられているEU域内の鉄鋼業としては、副生ガスを外部の発電会社に売却してCO2を工場の外に持っていってもらった上で、「きれいな」電力を外部から購入することで、工場のCO2排出量と排出原単位を人為的に下げることが可能となる注14)

 一方、日本では省エネ法、温対法の下で工場のCO2排出量を計算・報告する際に、外部から購入した電力については、外部の発電所で発電時に排出されたCO2を「間接排出」として電力に「抱かせて」工場に持ち込むことになっており(スコープ2排出である)、鉄鋼製造における「抜けのない」実質的なCO2排出効率が評価されるような設定になっている。EU-ETSのような排出権取引制度を目的としていない日本のCO2算定・報告制度では、生産プロセス全体の効率性が見えるようになることに主眼が置かれていて、「間接排出」(スコープ2排出)を考慮することで、副産物の工場外への外出しによる見かけ上の効率化ができないようになっているのである。

 この「間接排出」を含めた計算方式という考え方は、工場の効率性比較に有効なため、鉄鋼生産プロセスの効率性比較を行うためのCO2排出原単位計算方式として2013年に策定・設定されたISO14404シリーズとして国際標準になっており、また世界鉄鋼連(Worldsteel Association)が毎年行っているCO2データ収集プログラム(Climate Action Program)でも、この算定方式が採用されていて、世界各国の50社余り、200を超える製鉄所がこれに基づいてCO2排出原単位を毎年計算・報告している注15) 。日本流の、実質的な効率性の「見える化」を意図したCO2原単位計算方式が、すでに国際標準となっているのである。

 鉄鋼セクターにおいて、そうした国際的なデータ収集のインフラがすでにあり、実際に広く使われている中、EUがETSをベースにした特殊な排出量算定方式を域外の工場に適用して、ケース2のような算定方式による国境調整税を導入しようとすると、厳密にいえば、輸出国側の製鉄所の側で、国際慣行や国内法の要求とは異なるEU-ETS方式の複雑なCO2算定、報告方式を導入しない限り(それは世界鉄鋼連盟方式=日本方式のCO2排出計算を行っている現状に加えて、EU方式の複雑な計算も強いられるという二度手間となることを意味する)、フェアな課税はできないことになる。

 欧州委員会が3月4日に発表したパブコメの中で、「EU-ETSの域外適用」という案が例示されているが、これはまさにこうした背景から提案されているものと推察されるが、EUの求めに応じて、国内で複雑なEU-ETSと同じ排出権取引制度を導入しようという(殊勝な)国がどれだけいるかは疑わしく、またそうした政策導入を考えていない多くの鉄鋼生産国、あるいは韓国のように既にEU-ETSとは異なるETS制度を導入、運用している国注16) にとっては、既存の国内政策に混乱を招くことになり、受け入れがたいのではないだろうか。
 もちろん、EU側に立ってみれば、そうした輸出国側の協力が得られない場合でも、②式における輸入品のCO2原単位を「勝手推量」で決めてCTを課税することはできる。その上で、輸出企業側に不満があれば、自らの事業所の製品CO2原単位について、EU方式に基づいて算定して「正しい」原単位を挙証することで、税額に是正を求める権利を認める、といった、輸出国側政府の関与や国内政策との矛盾を迂回する方式もあるだろう(EUに輸出したい企業は、個社でEU-ETS方式のベンチマーク計算を行うべし、ということである)。

 ただその場合でも、輸出国企業が自国では法的に求められてもいない(EU-ETSが施行されていない国では生産活動に全く不要な)複雑なデータ収集・計算を行って、EU政府に対して挙証する手間とコストを負うというのは、企業にとって大きな負担になり、一種の人為的な貿易障壁だとしてWTOにクレームをすることになるだろう。

 ちなみに既述の通り、欧州の鉄鋼業界(Eurofer)は、現在EUで採用されている炭素価格負担の減免措置(無償配布やFIT賦課金の減免措置)の継続を前提とした国境調整メカニズムを求めている。実際に、例えばドイツの鉄鋼産業では、再エネ導入政策の結果、FIT賦課金加算が加算されて高騰している電力料金について、9割もの減免措置を受けているが、例えば日本のFIT制度の場合、同様の減免措置が設定されてはいるものの、適格要件がドイツより厳しいため、高炉業界は賦課金の減免措置の対象から外れていて、多額の負担を余儀なくされている。そうした中で、仮にEU側で上記のケース1、ケース2のような「国境調整メカニズム」が導入された場合、日本の高炉鋼材がFIT賦課金という形で負担している炭素価格を、EU域内鋼材は負担していないということになり、この差分に相当する国境調整税を日本としてEU鋼材に課すといった報復措置を取ることも考えられる。

3.2 より簡便な国境調整メカニズムの提案

 以上解説してきたように、炭素価格負担について「真面目に」公正な国境調整メカニズムを講じようとすると、様々な技術的な課題が発生し、いずれにせよ当事者国間での通商摩擦を生むことはほぼ間違いないだろう。そうした係争がWTOの上級委員会に持ち込まれた場合、判事に指名された委員は(委員が再任されていれば、の話だが・・)、上記のような製品CO2原単位計算やベンチマーク計算の方式の等価性や妥当性を考慮し、各国の国内炭素価格(明示的、暗示的を含む)の実態を踏まえた上で、EUの導入する「国境調整メカニズム」が、国際的に公正かつ公平な措置であるかどうかの判断を迫られることになるのだが、実際にはそうした作業は困難を極めることになるだろう。

 問題を複雑にしている原因の一つは、EUの産業界が、既存の炭素化価格緩和措置の継続を前提とした国境調整メカニズムの導入を求めていることにある。ETSにおけるベンチマークに基づく無償配布をやめてしまえば(製品製造にかかわるCO2排出枠を全量、排出権市場ないしは政府からオークションで購入することになる)、鉄鋼で見られるような製造プロセスを細分化する複雑なベンチマーク計算は不要となり、域内製品と輸入品のCO2原単位の比較だけで国境調整が可能となる。

 EUのシンクタンクBRUGEL(ブリュッセル欧州世界経済研究所)は、「国境調整メカニズム」の設計をめぐる論考の中で、製品製造時のCO2排出を公平に算出・比較するプロセスの複雑さを指摘し、そうした措置の導入が困難であるとした上で、以下のような簡便な代替措置を導入することを一案として提示している注17)

 すなわち、輸入製品についてはまず、EU域内で製造された同種の製品の中で、最もCO2原単位が悪い製品が域内で負担することになる炭素価格と同額の炭素価格を課することとする。もし輸入品の実際のCO2原単位がそれよりも少ない場合には、輸出国側の生産者がそれをきちんと立証できれば、それに応じて減免するというものである。少なくともこれであれば、例えば1トンの鉄を輸入する場合、定額の炭素課税をするだけであるから、通関時の手間はほとんどかからない。一方、EUの国境で課される国境炭素税の減免を受けたい輸出国側事業者は、自らの製品のCO2原単位がEU域内事業者より優れている、ないしは遜色ないことを立証できれば、免税を受けることができる。一見内外無差別の原則にも当てはまるようにも見え、この方式であれば少なくとも、EUの複雑なベンチマーク方式に基づく無償配布分による炭素価格減免措置の調整まで、海外事業者に計算・報告させるといった複雑さは回避することができよう。

 しかしこの場合も、原単位計算のやりかたについては、EU域内の製造者と同じ(EUの)計算方式に基づいてEU政府に報告することではじめて、「適切な」炭素価格を課されることになるとすると、輸出事業者にとっては、国際標準とは異なるEU方式で、製品のCO2原単位を計算・報告しなければならないという手間は依然として発生するため、完全に貿易摩擦を回避できるとは考えにくい。

 FIT賦課金等の間接的な炭素価格負担の扱いについては、BRUGELの報告書では触れられていないが、例えば、もしEU域内でFIT賦課金の減免を廃止する場合には、EU域内企業の負担増による国際競争力喪失を補償するために、輸入品が生産地で負担した電力使用に対して、EU域内の電力排出係数と輸出国の排出係数の差分について調整金を課すといったことも考えられる。上記の例に倣えば、輸入品の電力原単位については、同一製品を作る域内事業者の最も劣位な電力原単位を「見なし原単位」として使って調整課金し、それに不服のある輸出国側事業者は、自らの製品の実際の電力原単位をEUに報告することで、課金の低減を図ることができるようにすればよい。

 ただこの場合複雑なのは、輸出国においても電力使用にFIT賦課金のような間接的な炭素価格が課されている場合には、ダブルカウントを避けるために相殺調整する必要がある。その場合、輸出国側で特定の事業者やセクターに対して複雑なFIT賦課金減免措置が導入されているような複雑なケースでは、実際に輸入品が負担した間接的な炭素価格の実態を立証・報告する手間を輸出事業者が負うことになる(しかもこの場合、減免を受けていることで相殺される炭素価格が小さくなってしまうため、輸出企業側には、複雑な制度の下で減免されている賦課金=炭素価格を正直に報告するインセンティブはなく、それを強制する方策もEU側にはないことになる)。

 BRUGELが言うように、輸入品に対してまずはEU域内で成績の悪い事業者に合わせて、考えられる最大限の国境調整税を課し、それが不服な輸出側企業に対して、自らの効率がより優れており、負担すべき調整税がより低いことを挙証する権利と義務を(EU域内企業と同等の扱いの下に)課すという方式は、一定の手間は残るものの、理論的には成り立つ措置かもしれない。

3.3 国境調整メカニズムはEU市場での製品価格上昇を意味する

 「国境調整メカニズム」が、こうした比較的簡便な形で施行された場合、EU域内の事業者にとっては、従来から享受してきたETS制度の下での炭素価格減免措置、すなわち排出枠の無償配布や、FIT賦課金減免措置を失うことを意味する。それはとりもなおさず、EU域内で対象となる製品に対して減免されてきた炭素価格が、一挙に製品コストに上乗せされることを意味しており、それがEU市場で製品価格に転嫁できるかどうかという問題が生じることになる。仮にこのコストアップ分が価格転嫁できたとしても、それは必然的に「国境調整メカニズム」の対象となる製品のEU市場での価格上昇に繋がることになる。つまり国際競争の公平性は維持できるとしても、絶対的な製品価格上昇をもたらし、結果としてEU市場での需要の縮小に繋がることになる。

 冷静に考えてみれば、そもそも炭素価格制度が、炭素排出に対して価格ペナルティを課すことで消費者や社会の行動変革をもたらすことを目的としているのだとすると、炭素排出の大きな産業に対して、国際競争を配慮して様々な減免措置を導入してきた、今までのEUの政策は、結果的に、額面通りの高い炭素価格を域内市場に課してこなかったということである。つまりEUの一見厳しい気候変動政策は、実態としてEU市場で十分な消費者行動変化をもたらしてこなかったのではないだろうか?

 つまりEUの一見野心的に見える気候変動政策は、実は様々な抜け穴があり、定量的な検証は必要ではあるものの、肝心な炭素価格が消費者に実感されておらず、看板倒れだったといってもよいのかしれない。EUの炭素価格はCO2トン当たり30ユーロ強と、世界でもトップクラスという発言をよく聞くが、実際には鉄鋼やセメント、化学といったエネルギー多消費産業は、今までのところ、ETSの無償枠配布やFIT賦課金減免などの補償制度を通じて、額面よりかなり低い炭素価格の中で活動を続けてきたことになる注18)

 こうしてみると、今回の「国境調整メカニズム」の導入にまつわる様々な議論は、一義的には国際間の通商問題として議論を巻き起こすことになるだろうが、その裏で、EU域内の消費者個々人や社会全体が、2050年までにネットゼロ排出を目指して、いったいどこまで高額の炭素価格を「実際に」負担するべきか、あるいはどこまでの負担を容認できるのかといった議論は、これから起きることになるということに注目していく必要がある。実際、フランスではディーゼルなどの燃料増税をめぐるイエローベスト(ジレ・ジョーヌ)運動により、19年1月に予定されていた燃料税の増税を見送らざるを得なかったが注19) 、ETSの排出枠無償配布やFIT賦課金免除措置を廃止して、輸入品にも国境調整税をかけて、EU域内の鋼材やセメント、化学品などのコストを人為的に上昇させることは、とりもなおさずEU域内の物価上昇を招き、消費者の生活に負担を強いることに繋がる。社会が炭素価格を実感することで消費行動を変更するというのは、理屈の上では可能だが、鉄鋼やセメント、化学品といった基礎素材には、現状で安価で低炭素な代替品が存在しない以上、これらの価格が上昇することは目の前の消費生活を圧迫することになり、現実社会の中でそれをどこまで継続することができるかは大きな政治的課題となろう(理論的には、国内価格の上昇を抑えるために、ベンチマークに基づく無償配布による減免措置と同等の減免を、輸出企業にも与えるというコスト上昇緩和措置も可能だが、既述のように、国内排出権取引制度がなく、したがって無償配布枠を獲得するために複雑なベンチマークを行う必然性の全くない輸出国側企業に対して、欧州に製品を輸出することのみを目的として、EU-ETSベンチマークのための複雑なデータ収集・計算・報告を求めることが、国際通商ルール上認められるかどうかは疑わしい)。

次回(その4)につづく。

注9)
https://ec.europa.eu/info/law/better-regulation/have-your-say/initiatives/12228-Carbon-Border-Adjustment-Mechanism
注10)
手塚宏之,「炭素価格をめぐる論考①、②、③」国際環境経済研究所(2016年2月)http://ieei.or.jp/2016/02/special201511016/ 参照
注11)
例えば米国でもカリフォルニア州では主要産業を対象としたETSが導入されており、また中国では2020~21年には電力や鉄鋼を対象としたETSの導入が予定されているが、その制度の建付けはEUとは異なったものになることが想定される。
注12)
“A Regulatory Framework for CO2-Lean Steel Produced in Europe”, Discussion Paper, September 2019, EUROFER
注13)
厳密に言うとEU-ETSでは、高炉の副生ガスの排出係数と天然ガスの排出係数の差分のCO2は高炉の副生ガス生成プロセスからの排出量としてカウントされ、一方所内で高炉から発生した副生ガスを使って発電する自家発電所の排出量は、同じ熱量を天然ガスで発電した場合のCO2排出量に置き換えるという、更に複雑な計算方法を採用している。
注14)
実際EU内の製鉄所では、購入電力がゼロエミ扱いになるため、日本の製鉄所にみられる工場内部の排熱や副生ガスを回収して自家発電を行うというインセンティブがなく、そうした省エネ設備があまり普及していない。
注15)
Climate Action Program: https://www.worldsteel.org/steel-by-topic/environment-climate-change/climate-change.html
注16)
韓国の排出権取引制度(KETS)では、生産実績に基づく無償配布は行われているものの、原単位をベースとしたベンチマーク制度は導入されていない。
注17)
“Demystifying carbon border adjustment for Europe’s green deal”, Guntram B.Wolff, December 31, 2019, BRUGEL Blog Post
注18)
そうした中で、電力に関しては国際競争にさらされていないということで、様々な減免措置が回避されてきたので、確かに電力料金はEU域内で上昇を続けており、消費者もそれを実感しているとみるのが公平な評価だろう。
注19)
仏政府は19年1月1日にディーゼル6.5セント、ガソリン2.9セントの増税を予定していたが、それに反対するトラック運転手、農民などが18年11月から黄色いベストを着た反対デモをはじめ、デモの激化と国内の混乱から増税を断念した。