「水素社会」の実現近づく!

水素を常温で安全に大量輸送へ


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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(「月刊ビジネスアイ エネコ」2017年6月号からの転載)

 最近、家庭用燃料電池、燃料電池自動車、水素ステーションなど、水素が話題になることが増えています。水素は、石油随伴ガス、製鉄所や工場からの副生ガス、再生可能エネルギーでつくった電力など多様な源からさまざまな方法で製造できる二次エネルギーです。同じ二次エネルギーである電気と異なり貯蔵・輸送ができることもメリットとされています。今、「水素社会」の実現に向けて、水素供給インフラ整備の動きが活発化しています。

水素の貯蔵・輸送方法

 横浜市神奈川区にある千代田化工建設(株)の子安オフィス・リサーチパークを訪ね、同社で実用化を目指している水素チェーン事業推進ユニットの、水素事業企画・開発セクションチームリーダーの大島泰輔氏とシニアアドバイザーの中田真一氏に話をうかがいました。

 「当社は、世界60カ国以上で、石油精製や石油化学・化学、天然ガス受け入れ基地など、さまざまな分野のプラント設計・建設を行ってきた総合エンジニアリング会社です。現在、事業分野のさらなる多様化と『エネルギーと環境』の創成を目指して、水素供給インフラ整備に向けて、水素を安全かつ大量に貯蔵・輸送する方法である、有機ケミカルハイドライド(OCH)法(図1)を提案しています」(中田氏)

 水素の貯蔵・輸送方法として実用レベルないしそれに近いものには、①パイプライン、②圧縮水素、③液化水素、④OCH法の4つがあります。パイプラインは、日本では全面的なインフラ整備が大変でコスト面での課題もあることから、局所的な利用になるといえます。圧縮水素は、もっとも普及している方法ですが、高圧ガス保安法による制限で圧縮率の向上に限度があり、輸送効率の観点から長距離輸送には向きません。また、液化水素は、-253℃で液化して輸送するため、輸送効率が高い反面、液化・輸送・貯蔵において専用設備が必要です。また、長期間になるほど気化する割合が高くなるため、長距離輸送への適用には、断熱効率の向上や気化水素の再利用技術確立などの課題を解決する必要があります。
 一方、OCH法は、液体の有機媒体に水素を反応させ、異なる化学物質に変換、安定化させて輸送する方法です。「水素を常温・常圧で扱うことができるので、より安全に、大量貯蔵・長距離輸送ができます」(大島氏)

脱水素触媒のブレークスルー

 同社は、子安オフィス・リサーチパークに2013年、デモ(実証)プラントを設計・建設し、海外拠点で産する水素をOCH法で運搬しやすくし、日本で水素を取り出すこと(脱水素)を前提に、実用化に向けたさまざまな検証試験を行っています。

千代田化工建設(株)子安オフィス・リサーチパークにある
SPERA 水素®デモプラント=横浜市神奈川区(千代田化工建設(株)提供)

 「デモプラントの反応設備は、水素化反応セクションと脱水素反応セクションからなります。水素化反応セクションでは、トルエンと水素を結合させ、メチルシクロヘキサン(MCH)を作ります。MCHは、6wt%の水素を保持し、1リットルの液体状態で水素ガス0.5㎥を貯蔵できる“水素キャリア”です。また液体のMCHには、約500倍の水素ガスが含まれます。このMCHを、“SPERA水素®”と呼んでいます」(中田氏)
 現在、同社は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの受託で、“海外から水素を一定期間輸入する水素サプライチェーン実証”(第1期:2015~16年度、第2期:17~20年度)プロジェクトを進めています。このプロジェクトでは、2020年に東南アジアから副生水素由来のSPERA水素®を日本に運んで、川崎市臨海部の拠点で水素を取り出して活用する計画です(図2)。

 「OCH法においてMCHから水素を分離する研究は、これまで脱水素反応で用いる触媒の一定の性能を示す期間、つまり触媒寿命が1〜2日であったため、実用化には至っていませんでした。しかし、当社は、2002年からこの触媒の開発に取り組み、実験室規模を経て実証規模での試験を行い、1万時間以上、作用する高性能な触媒を実用レベルでつくることに成功しました。すなわち、水素を安定的に取り出す商用プロセスの構築に目途がたち、時代の要請に応えられるような、水素供給の実用化に弾みがついたといえます」(中田氏)
 「SPERA水素®とその原料となるトルエンは、およそ-100~100℃の広い範囲で液体状態を保つため、世界中どこでも常温・常圧で取り扱うことができます。さらに貯蔵や輸送のための専用設備を必要とせず、タンカーやタンク、ケミカルローリーなど既存の石油流通インフラを利用できるのも大きなメリットです」(大島氏)
 SPERA水素®(MCH)のサンプルを見せていただきましたが、無色透明の液体です。MCHは文房具の修正液にも使われる汎用的な有機溶媒で、化学物質としてのリスクも比較的低いレベルにあります。なお、“SPERA”はラテン語で“希望せよ”という意味があるそうです。

商業的な実用化に向けて

―水素供給インフラ整備に向けた課題は?
 「水素が従来の燃料と比べてまだコストが高いことが課題の1つとして挙げられます。しかし海外から水素を大量に調達することは、コスト面でもメリットがあります。コスト低減には、需要面から火力発電用の燃料(混焼あるいは専焼)として水素を使う、水素発電の実現が求められます。また、現在、当社ではNEDOからの受託(2016〜17年度)で“水素ステーション向け小型脱水素装置開発”を実施していますが、これが全国の水素ステーションに併設できれば、燃料電池自動車(FCV)への燃料供給の普及とコスト低減の相乗効果が期待できます」(中田氏)
 2016年3月に改訂された政府の“水素・燃料電池戦略ロードマップ” では、FCVを2020年までに約4万台、2025年までに約20 万台導入し、水素ステーションを2020年度までに約160カ所、2025 年度までに約320カ所設置することを目指しています。2020年代後半での水素発電と大規模な水素供給システムの確立を目指し、2030年ごろには水素発電の本格導入を見据えています。
 「世界を取り巻くエネルギー問題や地球温暖化問題に目を向けると、その課題解決を見据えた技術開発が求められています。2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催時には、海外の人たちにも千代田化工が提案する水素供給ネットワークの新しいモデルを見てもらいたいと思っています」(大島氏)
 日本のエネルギー自給率は6%しかなく、発電電力量に占める火力発電の割合は約85%(2015年度)に達し、燃料輸入に毎年何兆円もの国富が流出しています。同社も進めている、国内での再生可能エネルギー由来の水素利用が実現していけば、自給率向上にも寄与すると思われます。一方で、地球温暖化問題への対応も重要です。日本にとって、水素利用はエネルギー自給率向上と二酸化炭素(CO2)排出削減の可能性を秘めた有力な選択肢の1つとみられることから、本格的なインフラ整備の実現が待たれます。