【追悼抄】 環境、原発 極論にくみせず

~NPO法人 国際環境経済研究所 前所長 澤 昭裕氏~


International Environment and Economy Institute


(読売新聞 夕刊からの転載:2016年4月16日付)

 エネルギー政策の専門家として、環境保護にも産業振興にも偏ることなく、現実的な観点から解決策を提言し続けた。原発問題では安易な反原発論と対峙しつつ、リスクを無視した無責任な推進論にもくみしない姿勢を貫いた。同期入省の菅原郁郎・経済産業省次官(59)は「前向きな、耳の痛い直言がどれだけありがたかったか」と惜しむ。

 一橋大3年の時、肝炎を患い留年した。「自分は長生きできないだろう。それなら社会に貢献できる仕事を」と選んだ道が国家公務員だった。1981年、通商産業省(現経産省)に入省し、資源エネルギー庁に配属された。

 2001年からは同省の環境政策課長を務めた。「京都議定書」の批准などで温暖化問題が注目を集めた時期。環境が全てに優先するという風潮もある中、エネルギーの安定供給や経済成長とバランスを取ろうと苦心した。産業界代表だった日鉄住金建材の小谷勝彦専務(64)は「企業イコール規制対象という世論だったが、問題から逃げず、男気にあふれていた」と振り返る。

 退官を決めたのは03年頃。表向きは「家業を手伝うため」だったが、「役所の制約にとらわれない自由な立場で発言、行動してみたい」という思いも同期には伝えていた。

 経団連「21世紀政策研究所」の研究主幹にNPO法人「国際環境経済研究所」の所長――。東京電力福島第一原子力発電所事故の後は、ライフワークに原発問題が加わる。

 事故を受け、極端な主張も現れる中、冷静な議論のできる貴重な論客として、反対派、推進派双方から引っぱりだこに。全国を飛び回る中、昨年9月に体調を崩して入院。そこで末期の膵臓がんと診断された。年明け以降は、痛みで夜も眠れない日が続いた。

 それでも「やり残した仕事がある」とぎりぎりまで病床で記事の執筆を続けた。手の自由がきかなくなると口述を交え、痛み止めでろれつが回らなくても、やめなかった。

 「60歳位までしか生きられないかも」。結婚する時にそう伝えられた妻の伊津美さん(56)は、最後まで仕事への情熱に理解を示した。図らずも言葉通り短い人生を駆け抜けた夫を「誰よりもものすごい勢いで時間を使い、エネルギッシュに生きた」と評する。

 遺稿となった月刊誌「Wedge」3月号。「原子力を殺すのは、原子力ムラ自身」で始まる。政府や電力会社への最後の「喝」だった。「思いを伝えないままでは死にきれない」。鬼気迫る執念で原稿を仕上げてから2日後、家族らが見守る中、息を引き取った時の表情は穏やかだった。

(東京本社経済部 山岸肇)


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