日本の約束草案は野心のレベルが足りないのか?(第1回)


東京大学公共政策大学院 教授・客員教授・客員研究員

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1.はじめに

 日本の約束草案が7月に発表されて以来、国内外の環境シンクタンクやNGOからの批判にさらされている注1) 。以下はその事例である。

多くの先進国が1990年や2005年を基準年としているにもかかわらず、日本の約束草案は2013年を基準年としている。日本の約束草案は1990年比では18%削減であり、EUの40%削減に比して野心のレベルが足りない。
目標の裏づけとなっている政策は既に存在し、日本は恐らく何の追加対策をとらなくても約束草案を達成できる(Japan can almost reach its proposed target without taking any further action)。
日本の中立的な研究機関の分析に寄れば原子力なしでも省エネ、再エネで13年比31%減が可能である。
日本のエネルギー戦略は石炭火力23%を含め、2030年のベースロード比率を46-38%としており、世界の潮流に逆行している。
温室効果ガス削減という日本の戦略とは裏腹に石炭火力発電所の新設計画が増大している。NGOによれば、日本の排出量を90年比10%増にする可能性がある。
日本の削減目標は2050年目標達成に必要な排出削減経路と整合していない。
目標達成のために二国間クレジット(JCM)を使うと言っている。厳格なアカウンティングルールがなければ、途上国における削減分がダブルカウントされ、グローバルな野心のレベルを下げることになる。
JCMを通じて途上国に高効率石炭火力技術を移転することは、途上国における脱炭素化の動きに逆行する。

 我々がまず認識すべきは、各国のINDCがそれぞれ固有の国情に応じて策定されたものであるということだ。その背景を正しく理解せぬまま、特定国のINDCをあげつらって指弾することは建設的なエクササイズとは言えない。そして上記の批判もそれに該当すると言わざるを得ない。本稿は上記批判に対して反論を試みるものである。

2.なぜ2013年が基準年として選ばれたのか

 2011年3月11日に発生した東日本大地震と巨大津波は、日本のエネルギー供給構造と温室効果ガス排出に大きな影響をもたらした。この「不可抗力」ともいうべき大災害により、2011年3月11日の前後で日本の温室効果ガス排出構造に明らかな不連続が存在する。
 具体的には、福島第一原子力発電所で事故が発生するとともに、本州北部の東海岸にある福島第二原子力発電所などが被災して運転を停止しただけでなく、定期点検中であった原発の再稼動をさせないという政治的な判断によって全ての原子力発電所が運転停止することとなった。これにより、我が国の有するゼロエミッション電源が大規模に失われ、電力不足を補うため、化石燃料電源を稼働させざるを得なかった。この結果、日本の温室効果ガスは大きく増加することとなり、不本意ながら2013年の温室効果ガス排出量は過去最大に近い数値となった。
 またエネルギーミックスにおける原子力の位置づけを含む日本のエネルギー政策議論も紛糾した。しかし、2014年4月のエネルギー基本計画において3つのEとS、即ちエネルギー安全保障、経済効率、環境保全、安全性を同時に達成するとの基本的な方向性が定められた。今回のINDCの根拠となるエネルギーミックスはこのエネルギー基本計画を踏まえて策定されたものである。
 即ち、26%削減目標を含む今回の日本のINDCは、上記の困難を克服し、気候変動枠組条約の究極目標を目指して真摯なボトムアップの努力を行うという日本の強い決意を示すものなのだ。
 従って、過去のトレンドと明確な断絶のある2011年よりも後に基準年を設定することは技術的にも、経済的にも、政治的にも全く正当なことである。2013年が基準年になったのは、最新データがあり、大震災後の擾乱が落ち着いてきたことによるものである。
 表1に示すように、EU、米国は1990年、2005年を基準年として選んでおり、彼らのINDCはそれぞれの基準年で評価すれば最も野心的に見える。また発展途上国のINDCにはそもそも基準年がない。条約事務局が最近出した分析レポートでは特定の基準年からの削減率ではなく、温室ガス排出量そのものに着目していることから見ても、各国のINDCをその基準年の選択を理由に批判することは無意味なエクササイズである。

表1 異なる基準年でみたINDC

表1 異なる基準年でみたINDC

3.日本のINDCは容易に達成できるのか

 日本のINDCは以下の3つの柱を前提としている。

実質GDP成長率1.7%を維持しつつ、2030年のエネルギー需要を自然体(BAU)から13%、2013年実績から9.7%削減し、電力需要をBAUから17%減少させ、2013年実績からの増加を1.4%に抑えるという野心的な省エネ努力
原子力の比率を22-20%とする
再生可能エネルギーの比率を22-24%とする


図1 2030年の電源構成 出所:経済産業省

図1 2030年の電源構成
出所:経済産業省

 しかし、日本のエネルギー、経済、政治をめぐる状況を考えれば、このいずれも容易に達成できるものではない。
 日本の最終エネルギー消費は、1990年代以降、2008年をピークに横ばい状況にあるが、2013年実績から約10%削減するには、エネルギー需要を1980年代後半の水準まで削減する必要がある。これは今後15年間の間に日本のエネルギー消費のGDP原単位を累積で35%、年率で2.3%改善することを意味する。これほどのエネルギー効率改善は1970年代の石油危機の直後に生じたのみである(図2)。主要国の中で英国に次いでエネルギー効率が高い(GDP原単位が低い)日本にとって(図3)、このような急速かつ大幅な省エネを達成するには「追加的な対策なし」には実現できるものではない。
 また日本の電力需要と実質GDP成長の間には強い相関関係が存在している。日本の電力需要のGDP弾性値は、1990年以降、1.0を超えている。他のOECD諸国のGDP原単位も1よりは小さいものの、プラスの値となっている。過去10年間の実績を見れば、OECD諸国で電力需要のGDP弾性値がゼロもしくはマイナスになったケースはわずかしかない(図4、5)。今後15年にわたって電力需要のGDP弾性値をゼロあるいはマイナスに保つことは世界的に見ても前例のない難題である。

注1)
http://climateactiontracker.org/countries/japan.html
http://www.wri.org/blog/2015/07/japan-releases-underwhelming-climate-action-commitment
http://www.e3g.org/news/media-room/japans-self-marginalisation-from-global-climate-change-politics
図2 過去40年間の日本のエネルギー効率改善 出所:経済産業省

図2 過去40年間の日本のエネルギー効率改善
出所:経済産業省

図3 主要国のエネルギー原単位(2011年)

図3 主要国のエネルギー原単位(2011年)

図4 日本の実質GDP成長率と電力需要の相関関係 出所:電力中央研究所

図4 日本の実質GDP成長率と電力需要の相関関係
出所:電力中央研究所

図5 OECD諸国の電力需要のGDP原単位(10年平均) 出所:地球環境産業技術機構(RITE)

図5 OECD諸国の電力需要のGDP原単位(10年平均)
出所:地球環境産業技術機構(RITE)

 原子力発電のシェアを現状の1%から22~20%にするには既存原発の着実な再稼働と運転年数延長が必要となる。大震災と津波を踏まえ、日本では世界で最も厳しい新たな安全規制が導入されており、再稼働のためには1兆円(約82億ドル)を超える追加投資が必要となっている。また、原子炉の運転年数は原則40年となり、例外的に延長が認められても一度限り最大20年とされた。上記の目標を達成するには、幾つかの原子力発電所で運転年数延長が必要となるが、延長に必要な安全基準は定められていない。Climate Action Trackerが指摘するように、原子力に否定的な国民感情が存在する中で、再稼働と運転年数延長を行うことは、膨大な政治資源を必要とする。事実、Climate Action Tracker自身が2030年の原子力発電のシェアは7%にとどまると想定している。原子力のシェア22-20%を達成することは「ほとんど達成可能」(can almost reach) とはとても言えない。
 日本は水力を除く再生可能エネルギー電源の発電量を、2013年から2030年にかけて31TWhから237-252TWhへ7-8倍拡大することを目指している。こうした急速な拡大は、ドイツ、英国、イタリア等が2000年から2014年にかけて実現した拡大に匹敵するものである(発電量の増分で見れば、より野心的である)。しかも日本は他国と接続された送電網なしにこの目標を達成しなければならず、目標をより難しくしている。
 もっと高い導入目標を設定できるとの見方もある。今回のエネルギーミックスの検討過程で三菱総研が提出した報告書の中には35%という数字が出てくる注2) 。しかし、この数字は、現実性のない仮定(太陽光及び風力について全てが出力制限可能、化石燃料削減効果のダブルカウント、送電網のほぼ無制限の広域運用等)に基づいて計算されたものであったため、目標検討に際して意味のあるインプットとはみなされなかった。
 日本のINDCの裏づけとなっているエネルギーミックスはエネルギー自給率の低下、化石燃料輸入に伴う国富の流出、エネルギーコストの上昇、温室効果ガスの増大という、他国が経験したことのない「四重苦」に直面する中で検討された。関係委員会や国民レベルでの徹底的な議論を踏まえ、エネルギー安全保障(エネルギー自給率の回復)、経済効率(エネルギーコストの引き下げ)、環境保全(温室効果ガスの排出削減)という3つのEの非常に微妙なバランスをとりながら策定されたものである。温室効果ガスの削減のみに着目してINDCを更に引き上げることになれば、上記の微妙なバランスを損なうこととなり、日本のエネルギー政策は持続不可能なものになってしまうだろう。
 電力市場自由化と並行して上記のエネルギーミックスを達成することは特に困難を伴う。政府と電力業界は協力しつつ、INDCと整合的なCO2原単位の達成に向け、早急に有効な枠組み、対策を策定し、実施していく必要があろう。

注2)
http://www.japanfs.org/en/news/archives/news_id035296.html

第2回へ続く