「政策を作る」とはどういうことか


国際環境経済研究所前所長


 政策を巡る議論は難しい。最近では安全保障法制、TPP、社会保障、財政赤字などのイシューに焦点が当たっているが、それぞれに専門的なバックグラウンドがなければ、建設的な議論を積み重ねて合理的な結論に至ることは困難だ。
 原子力や再生可能エネルギーを含むエネルギー政策もその一つだ。しかし、特に東京電力福島第一原子力発電所の事故以降は、エネルギー政策の議論は「アマチュア化」したと言える。議論は、マスメディアの他にもインターネット上で行われるが、番組やシンポジウムのディレクターやファシリテーターなどが視聴者やネット参加者が興味を持ちそうな論点だけを抽出し、招かれる専門家や有識者もその点だけに特化して、かつ厳しい時間的制約を課せられる中で議論することを求められる。実際テレビなどのインタビューや新聞でもそうだが、「尺」や「字数」の制約が最優先なので、有識者の方も妥協せざるをえない。また、どこを「つまむ」かは、編集権と称してメデイア側にあるため、有識者が本意としない映像や発言が流れてしまったりする。
 その結果として、政策論を行うための前提となる問題の設定や設計、政策目標の内容や程度についての適否、政策手段としての効果性や効率性、政策の達成を図る評価軸についての議論などが、きちんと順序立てて、かつ聞いている側が納得できるような形で進められることは期待できなくなる。そうなると、エネルギー政策のように、さまざまな歴史的、経済的制約要因やトレードオフが存在する場合には問題の全体構造を把握することはほぼ不可能であり、論者が推したいあるいは好みの政策オプションの宣伝合戦となってしまいがちだ。アマチュアに対峙するプロフェッショナルにとっては、こうした議論のプロセスは物足りないどころか、真剣に取り組む熱意も失ってしまいかねない。というのも、「ダメなものはダメ」的な議論、すなわち思考停止に続く議論の打ち切りを一方的に宣言し、政策論争ではなくポジショントークを拡声器で怒鳴りあげるという形になることも多いからだ。これではもはや、政策論争ではなく政治闘争だ。
 政策論に付きものの費用便益分析やリスク便益比較分析などは、こうした空気の中ではくすんでしまい、誰も省みなくなる。エネルギー政策で言えば、原子力のリスクと便益、電源を分散化させておくことの費用と便益との比較などについて、さまざまなデータや論理を冷静に吟味しつつ、政策オプションの比較検討を行っていくことが難しくなるのだ。
 複雑に入り組んでいるうえ、主要な論点について意見が割れているような問題については国民の関心が高いため、テレビやラジオなどはショー的な演出も凝らしながら取り上げることが多くなるが、すべて口頭でのやりとりになってしまうため、その場限り、その論点限りの言い合いに終わってしまうことが多い。政策論争というのは、少なくとも時間をかけて繰り返し読み直せる「文書」をベースに行うべきものである。感情的な表現や中傷的な言い回しを全部排除することは不可能かもしれないが、少なくとも読者はそれを読み飛ばすことができる。一方、テレビの視聴者の中には「それこそが面白い」という人もいるだろう。
 
 それでは政策議論を行おうとする際の場の作り方はどうすればよいのか。それは何層かに分けてそれぞれ適当な場を設定することだ。
 まず、当該分野の政策を立案するために必要なプロフェッショナルな知見や経験を持つ有識者を集めて、本格的に議論する場だ。利害調整の場である審議会ではなく、当該分野の知識や実務経験を重視し、思考のプロや現場のプロなどが集まって議論する場を設定する(アカデミアでも議論を感情的にしかできない輩がいることに注意)。この中には、政権与党の政治的意思決定者も含まれなければならない。
 第二層として、国民の中でも、政策の直接の利害関係者(地域住民、産業界等)や当該政策に特に関心が高く、データや情報に関して受容・理解できる層(アンケートや世論調査では、その層をなんらかの手法で選り分ける必要)を対象とした議論。これが現在の審議会に近い。このイシューは頻繁にあるいは集中的に考えたい、専門的な議論も知っておきたい層もこの中に入るだろう。
 第三層として、世の中で話題になっている重要そうな政策なので、自分の意見を持って判断できるようになるために、情報提供を望んでいる層にたいして、どのようにリーチするかが政策コミュニケーション上の重要な課題となる。実はこの第三層が良質な一般市民層であり、民主主義の根幹を支えているグループだ。

 そのほかに、「いちゃんもんをつける」ことによって自らの存在を示したい層 =「民主主義」を語りながら、自己主張しかせず、それも時と場合をわきまえない層(例えば、シンポの最後の質疑応答で、質問はせずに滔々と持論を述べる人)がいる。こうしたグループは、インタラクティブというより一方的情報発信をしたいと考えている人たちであり、実際にはこの層から流れ出る議論をみれば、現実のトレードオフの中で、どういった判断基準に沿ってどういう政策オプションを選択すべきなのかということについての建設的な対案が出ているわけではないことが多い。ところが、実際にはこうした「国民の声」を代表しているかのような大声で叫ぶ人たちへの対応に、政策立案者の時間とエネルギーを取られているのが実態である。

 「政策を作る」ということの難しさについて、政府関係の仕事の経験がない人に説明することは難しい。しかし、その難しさについて理解してもらわなければ、なぜある特定の政策が、いろんな反対や批判が多く存在するのに打ち出されるのかの根源的理由に到達しない。今後、情報技術のたゆまない革新とともに、さまざまなメディアのチャネルや方式が開発されていく中、建設的な政策論議を行うための基礎的な資料や概念の発信はどう行うべきか、誰がそれを行うべきか、またどのような場と方法で「政策論」を熟議していくのかといった問題は、政策立案担当者にとっても、その実行に責任を持つ政治家にとっても、また当然主権者である国民にとっても、極めて重要な課題となっていくだろう。


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