病院と原発事故(その3)


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師

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(前回は、「病院と原発事故(その2)」をご覧ください)

 前項では職員の安全確保のために早期に避難を決めた外注業者について述べました。このような外注業者とは異なり、病院に常勤するスタッフに対し「逃げろ」という指示を管理職が出すことは難しかったと思われます。

 病院管理者のお1人は、当時を振り返って、政府自体に「責任」や補償とのせめぎ合いがあったのではないか、と推測しています。

「本来は3日ダメだったら避難の準備を始めるべきだった。…恐らく補償の問題などが生じるため、『屋内退避指示』というあいまいな通告しかされなかったのだろう。しかし恐らく国も、この指示がどれだけのインパクトを与えるか分かっていなかったと思う。結局動ける人、子供、教育者などは皆いなくなり、動けない人が残され、物は入って来なくなった。」

屋内退避指示の招いた混乱

 当時の病院関係者のお話を伺うと、屋内退避指示というものにはいくつかの問題があったようです。
 まずは、「屋内退避」という行動が、現実的に難しかったことです。
「じゃあ、病院への通勤はどうなる、っていう話です。病院に一旦入ったら外に出ちゃいけないのか、とか。」

 さらに、政府の出す「指示」「勧告」などの緊急性の高さについても、住民にはほとんど知識がありませんでした。じつは私も、避難の命令系統は

避難指示<避難勧告

であり、その上に「避難命令」のような、強制力のある指示があるのだろう、と思っていました。しかし、実際には政府の発令するのは

避難準備情報<避難勧告<避難指示

であり、避難命令などの強制力を持った指示は出ないそうです。

 つまり「屋内退避指示」とは政府が出す中で最も緊急性の高い警告だったわけです。しかし、「避難指示」ではない。そこに混乱のもとがあった気もします。実際に退避指示という言葉を聞いたときに、

「強制でない、ということは自分で決めろということ?」
「避難勧告と屋内退避指示、どっちがより危険なの?」
「外に出たら捕まっちゃうの?」

などと、混乱した住民は多かったのではないかと思います。

常勤スタッフの混乱

 病院の内部で言えば、このような屋内退避、というあいまいさと、「指示」の緊急性や強制力に対する誤解が、スタッフ間でも口論となるような大混乱を来したようです。
「自分が避難したいもんだから周り中に逃げろ、逃げろ、って叫んで回っているスタッフも居ましたね。」
と、スタッフの一人は苦笑して話して下さいました。

 そのような混乱の中では、たとえ半端な指示だったとしてもある程度強制力を持った許可・あるいは命令がなされることがとても重要となりました。ここに、トップの指示がスタッフの心を軽くした2例を示します。

 ひとつは、院長自らが「自己判断で退避」という勧告を出したのが南相馬市立総合病院です。当時の勤務医は、その重要性をこのように語っています。
「院長が『逃げても良い』と言った一言は大切だった。その一言を言ってもらえなかったら、避難した人々は皆心の傷を負い、戻りたくても戻れなくなってしまったでしょう。それでも、残った人と避難した人の間で『あいつは逃げた』なんていうわだかまりはしばらく続きました。」
 
 逆に、「全員で残ろう」と呼びかけたのは相馬中央病院です。しかし面白いことに、これが救いになった、というスタッフの声も聞かれるのです。
「『俺も残る、お前も残れ』って言われましたね。皆が残るんだったらいいか、と思って。」
つまり決断そのものよりも、決断を誰かの責任に出来る、という事実が、個人の負担を軽くしていた可能性があります。

 もちろん後から振り返れば、前者は「患者を見捨てたのか」という非難、後者は「職員を危険にさらしたのか」という非難を免れません。しかし正解のない中で2つの選択肢がなかった場合には、誰かが責任を引き受けることは、職員の心の傷を減らすだけでなく、早期の復興を達成するためにも大切なのではないでしょうか。

二度と英雄を生まないために

 原発事故のあと、多くの医療スタッフが、自分の身を守ったが故に心に傷を負っています。

 この背景には、医療従事者は「いかなる状況でも患者さんを見捨てるべきではない」という信念があると思います。この、集団の為に個を抑える、という日本に深く根付いた文化が震災時の人災を最小限に抑えたことは間違いありません。

 しかしその副産物には、放射能から「逃げた」ことを「恥」と考え口をつぐむ人々が存在します。自分の身を挺して患者を守った、という1人の英雄の存在が、その他の弱者の声を殺してしまい、結果として今後の災害に共有すべき情報を隠ぺいしてしまっている。もちろん英雄的な行動は称えられるべきですが、その弊害は否定できないと思います。

 有事に英雄にならなかった多数の人々が口をつぐむことは、将来の災害に対してはマイナスに働きます。なぜならその人々が決して少数派ではないからです。今回の震災において「診療の継続か、目の前の患者か」「自分の生命か、患者の生命か」という究極の選択がスタッフの大きな精神的・肉体的負担となりました。個人に負担をかけることなくこのような問題をどうしていくか、という議論をしなければ、次の災害に活かすことはできません。

 東日本大震災では、数多くの英雄が生まれました。そのような英雄を生んだ地域の力は、もちろん後世に伝えるべきでしょう。しかし本来であれば、個人の決断がなくても機能する災害現場を作る事こそが、本当の減災・防災ではないのでしょうか。二度と英雄を必要としない。そんな現場をつくるために、様々な分野の方に現場の実情を知っていただければと思います。

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