地球温暖化の科学をめぐって(2)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 前回紹介したBBCの討論番組の放送終了後、英国緑の党を含む環境団体から「ローソン議員は、気候変動対策を陰謀であるとして否定している。科学者でもないローソン議員を今後BBCに出すな」との抗議が殺到したという。BBCはこれらの抗議に対し、「ローソン議員の見解はコンピューターモデルが示す証拠に支持されたものではない」と謝罪し、「気候変動懐疑派に対しては同等の放送時間を割り振らない」とした。マット・リドリーの記事は、このBBCの対応を強く批判するものである。彼の論旨は以下の通りである。

「ローソン議員の見解はコンピューターモデルが示す証拠に支持されたものではない」とのBBCの謝罪は撞着語法(oxymoron)である。モデルは元来、「証拠を提示できる」ものではなく、「予測を提示して現実の証拠と照らし合わせる」ことができるのみ。
ローソン議員は「異常気象を気候変動と確度を持ってリンクさせることはできない」「過去15-17年間、気温は上昇していない」の2点を述べているが、これはいずれも事実に基づく正しい発言であり、ホスキンス卿もこの点について賛成している。
2007年に英国気象庁はモデルに基づき、2014年までに2004年比で温度が0.3度上昇すると予測したが、現実には温度が上昇するどころか若干低下した。
BBCの姿勢はモデルによる将来予測へのチャレンジを許さないものである。
BBCに寄せられた環境団体からの批判は「ローソン議員は、気候変動対策は陰謀(all a conspiracy)と述べた」というものだが、ローソン議員はそんなことは言っていない。
BBCは、温暖化懐疑論に同等のウェイトを与えることは「誤ったバランス」(false balance)であり、「ヨットの世界一周について言及するたびに地球は球体ではなく、平板であると主張するFlat Earth Society のメンバーにインタビューする必要はないのと同じことだ」と言うが、地球温暖化の影響予測については多くの幅があり、議論の余地は確実に存在する。これは現在に関する議論ではなく、将来に関する議論であり、将来については確実性がない。
温暖化懐疑論は少数派だというが、遺伝子組み換え作物やシェールガスのフラッキングに反対する議論はもっと少数派である。にもかかわらずBBCの番組にはこうした活動家がしばしば登場する。
BBCは税金で運営されており、BBC憲章によって公平性を求められているにもかかわらず、一方で危機感をあおる議論を推奨し、危機感を下げる議論を封殺するというダブルスタンダードを適用している。

 ローソン議員自身も、デイリーメイルに寄稿し、「自分は温暖化問題についてのシンクタンク(Global Warming Policy Foundation)を設立し、多くの著名な学者のアドバイスも受けている」 「自分が科学者でないとの理由で、BBCで地球温暖化問題について発言するなと言うならば、自民党のエド・デイビーエネルギー気候変動大臣、エド・ミリバンド労働党党首(元エネルギー気候変動大臣)、スターン卿等も科学者でないのだから同じ基準を適用すべきだ」とBBCの対応を批判している。

 私は科学者ではなく、地球温暖化と異常気象の関係について発言できる立場にはない。そもそも、地球温暖化の原因がCO2なのか、太陽黒点なのか、はたまた宇宙線なのか、「わからない」というのが正直なところだ。しかし、多くの科学者が参加するIPCCの累次の報告書において、温暖化問題の進行とその影響について警鐘が鳴らされてきたことには真摯に向き合わねばならないと思っている。温度上昇がこの10-15年間止まっていることをもって「温暖化とCO2排出は無関係である」と結論付けたり、ホスキンス卿の言う「海洋への吸収」を「憶測だ」と切り捨てたりすることもできない。ローソン議員やリドリー氏自身が指摘するように地球温暖化の科学には不確実、未解明の部分が多いのだが、これはリスクマネジメントの議論でもあり、リスクに不確実性があるからといって、それに対する対応策をとらず、地球環境に不可逆的な影響が出てからでは遅い。

 ローソン議員の設立したシンクタンクGlobal Warming Policy Foundationの事務局長、ビリー・パイザー氏とも何度か議論したことがある。GWPFのホームページには温暖化対策に対する批判的なコメントや記事が多数掲載されている。GWPFの議論は、「温暖化が人間起源のCO2排出によるとの議論には疑義がある」、「温暖化の影響も過大評価すべきではない」という前提に立っており、その結果、英国が直面するエネルギー問題についても、「再生可能エネルギーに多額の補助金をつぎ込むのではなく、シェールガス、石炭を含め、安価な化石燃料を活用すれば良い」という処方箋になる。各国のエネルギー政策担当者は3E(エネルギー安全保障、環境保全、経済効率)の調和に苦労しているが、GWPFの議論は基本的に2E(エネルギー安全保障、経済効率)の感がある。

 このようにローソン議員やGWPFの議論には、賛同できない部分もあるのだが、「将来のリスク、しかもその確度、規模に不確実性がある場合、それへの対策は費用対効果を十分考えたものにすべき」、「緩和に偏重するのではなく、適応にも取り組むべき」というローソン議員の視点は、筆者がしばしば指摘してきた欧州のエネルギー環境政策の問題点を鋭く突いたものであり、傾聴に値すると思う。温暖化対策も公共政策の一つであり、「限りあるリソースをどうプライオリティをつけて配分していくか」は公共政策で最も重要な視点の一つだからだ。公共政策を遂行するのは政治であり、政治には国民の支持が必要となる。欧州のエネルギー環境政策が混迷している一つの理由は、温暖化防止という高い理想を掲げるあまり、高コストの対策への国民の反発という政治的現実を過小評価したことである。そのような政策は持続可能性を失い、ひいては温暖化防止という大目的にとっても逆効果になる。

 またBBCのように温暖化懐疑論を地球平板説と同一視して切り捨てることは、科学的態度だとは思えない。天動説、地動説を例に出すまでもなく、科学の世界では多数説が常に正しいとは限らないからだ。私自身は温暖化交渉に参加してきたこともあり、温暖化懐疑論に与するものではないが、地球温暖化の原因とその影響について、いわゆる懐疑論も含め、種々の学説があることは健全な姿だと思っている。BBCでのローソン議員発言に対する環境団体からの抗議に代表されるように、中世の異端審問さながらに、異なる見解を断固、排除する動きには強い違和感を感ずる。ローソン議員の著書にある「環境原理主義と温暖化が新たな宗教になっている」という指摘は、私が気候変動交渉に参加していたときに感じた独特の雰囲気とも符号する。

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