燃料電池自動車の販売開始が拓く道


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

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 日本で世界の先陣を切って燃料電池自動車(FCV:Fuel Cell Vehicle)が販売されようとしています。トヨタはFCVを2014年度内に700万円程度で発売すると6月25日に発表。ホンダも2015年の販売開始を計画していると伝えられています。

 私は、これは単に新たな製品の誕生とか、トヨタやホンダが世界の自動車市場を一歩リードしたとかそういった次元のことではなく、新たなエネルギー社会の幕開けを告げる、歴史的にもエポック・メイキングなことではないかと思っています。トヨタやホンダは、新たなエネルギー社会を切り拓くリーダー役を担う覚悟を決めて、FCVの販売に踏み切ったのではないか。多少の期待を込めて、私はそう思うのです。何故なら自動車メーカーの市場戦略として考えた時、今、FCVの販売に取り組むことは、市場戦略というにはリスクが大き過ぎるように見える一方で、FCVの事業化の先には、新たなエネルギー社会につながる道が見えるからです。

 今、FCVの販売を始める最大のリスクは、FCVの普及を支えるインフラが整っていないことです。FCVが普及していくためには、燃料の水素を供給する水素ステーション(ST)の整備が進むことが必要です。しかし、設置するのに一か所あたり4~5億円、規制緩和や規模の経済効果が働いて設置コストが安くなったとしても一か所1~2億円という多額の投資を要するだけでなく、安定的な需要が見込めなければ毎年、かなりの金額の損失を計上することにもなりかねない水素STの設置は、これまでのところあまり進んでいないと言われています注1)。実際、その設置、運営の役割を担うことが期待されているエネルギー企業にとっても、水素STへの投資リスクは、決して小さいものではないように見えます。

 FCVの普及と水素STの整備の進展は、“ニワトリと卵”の関係にあることもあって、国もFCV市場の立ち上げを支援するためにFCVの購入や水素STの整備に対する補助金の支給などの政策的支援を行っています。水素STの整備に関しては、国は2015年度内に4大都市圏を中心に100か所に水素STを設置するという目標を掲げ、水素STの設置を支援していくとしていますが、事業として水素STが成り立つかどうかは、エネルギー企業の投資判断に委ねざるを得ません。ガソリンスタンドの数が全国に約38,000か所あることを考えると、目標通り水素STが設置されたとしても、自動車会社にとってFCVの普及の前提となるインフラ整備の見通しが立っているとは到底言えない状況だと思います。

 加えてFCVを普及させるためには、FCVの価格もガソリン車並みに引き下げていけなければなりません。が、そこにも決して小さくないリスクがあると言われています。FCVが価格を引き下げていくために、今後克服していかなければならない技術課題としては、燃料電池に使用されている白金触媒量の低減などによる燃料電池コストの大幅な低減、耐久性の一層の向上、燃料を収納する高圧水素容器コストの低減などが挙げられています注2)が、中でも白金触媒量の低減は容易ではない技術課題と見られています。

 これだけのリスクがありながら、何故、トヨタやホンダはFCVの事業化に踏み切ったのでしょう?確かにFCVは水素と空気中の酸素を燃料とし、水しか排出しない究極のエコカーです。しかも電気自動車(EV)に比べて航続距離も長い。こうしたことから、FCVは「自動車」という乗り物に関して、ひとつの究極の姿を示していると思います。究極の自動車の開発に取り組むというのは、技術開発哲学としては分かるものの、しかし、それと事業化の判断は別でしょう。しかもFCVで目指す「究極の自動車」は、燃料の水素がCO2フリー水素にならなければ、「究極」とは言えないのです。

 その理由を説明するためには、燃料の水素について、若干解説することが必要でしょう。まず「CO2フリー水素」とは、製造時にCO2を排出することなく製造された水素のことです。太陽、風力エネルギーなどの再生可能エネルギーを用いて水を電気分解することにより得られる水素は、この「CO2フリー水素」の典型例です。他方、同じ水素でも「CO2フリー」でない水素があります。現在、国内で製造されている水素の大部分がこうしたCO2フリーではない水素で、化石燃料からの改質または副生水素注3)と呼ばれるものです。原料が化石燃料であることから分かるように、これは製造時にCO2を排出します。

注1)
現時点で設置が決まっている水素STは41か所と報道されている。(2014年7月16日付け 日経新聞朝刊1面)
注2)
例えば、「燃料電池自動車の現状と今後の課題」、飯山明裕、「エネルギーレビュー」 2014年7月号、p11~14
注3)
具体的には、天然ガスを改質して製造された水素や、原油の精製プロセスや石炭をコークスにする際に副生する水素。

 このため、FCVの燃料として改質または副生水素を燃料として用いた場合には、化石燃料から水素を製造する際に発生するCO2排出量も考慮すると、FCVの単位走行距離当たりのCO2排出量はEVのそれに比べてむしろ多くなってしまいます。具体的には、天然ガスを改質して製造された水素を燃料とするFCVは、走行距離1kmあたり78gのCO2を排出する一方、EVは2009年度の電源構成の電力では同55g、2012年度の電源構成の電力では同77gのCO2を排出すると分析されています注4)。また、ハイブリッド自動車(HEV)と比べても、改質または副生水素を用いたFCVの走行距離1kmあたりのCO2排出量はHEVのそれを約17%削減する程度です。

 HEVに比べて約2割のCO2排出削減、そしてEVにはCO2排出量ではやや劣るものの、EVの自動車としての大きな制約である走行可能距離の短さを克服できることは、決して小さなことではないかもしれません。しかし、この程度の効果を得るために、先に記したような大きなリスクを敢えて取ることを覚悟し、FCVの販売に踏み切る決断をしたのでしょうか。

 私は、トヨタやホンダはFCVのもっと大きな可能性に賭けて、FCVの事業化に踏み切ったように思います。そしてその可能性は、日本を新たなエネルギー社会に導く可能性でもあるのです。それはCO2フリー水素を燃料とすることにより開けてくる可能性です。

 CO2フリー水素を燃料とするFCVは、先の走行距離1kmあたりのCO2排出量を14g程度に減らすことが可能です注5)。これはガソリン車のCO2排出量を90%、HEVでは85%減らすことになります。さらにEVと比べても75~82%減るのです。FCVの価値は、CO2フリー水素を燃料とすることによって初めて出てくると言ってもよいでしょう。しかし、CO2フリー水素を安価に手にするためには、国内の再生可能エネルギー資源の質と量は限られているので、海外から再生可能エネルギー由来の水素エネルギーを運んで来ざるを得ません。つまりFCVの事業化に踏み切るということは、近い将来、海外からCO2フリー水素を導入することを視野に入れた決断とも考えられるのです。

 ところで、やや読者の方々を肩すかしするようで恐縮ですが、実は、そんな立派な判断があったかどうかにかかわらず、FCVの事業の拡大のためには、いやでも海外からのCO2フリー水素の導入を視野に入れておかなければならない可能性もあります。国内で調達できる改質または副生水素の量には限りがあるので、FCVの普及がHEV、EVと同様のペースで進んだ場合には注6)、2030年前後には国内の水素では不足する可能性が出てくるためです注7)

 海外からのCO2フリー水素の導入は、日本のエネルギー事情を大きく変える可能性があります。CO2フリー水素を海外から大量に導入する道が開かれるということは、化石燃料に代わるCO2フリーの燃料として水素エネルギーを発電用の燃料に使用する可能性を開くことにもつながります。もちろん他の発電用燃料と競合できるほど、水素エネルギーのコストダウンが実現することが条件となりますが、発電分野に水素エネルギーが導入されるようになると、日本のCO2排出量を格段に大きく減らすことが出来ます。太陽、風力エネルギーは、枯渇することがなく、かつ、政情の安定している地域にも多く存在しているので、そうしたエネルギーを利用したCO2フリーの水素エネルギーを海外から導入してもエネルギー・セキュリティの問題はありません。つまり、海外からのCO2フリー水素エネルギー導入の道が開かれることによって、日本が長い間、その解決に取り組んできたエネルギー制約、環境制約を克服することができるのです。

 私は、今般のFCVの販売開始に、こうした日本の新たなエネルギー社会の幕開けにつながる道を見ています。

注4)
「水素・燃料電池戦略ロードマップ」、水素・燃料電池戦略協議会、2014年6月23日で引用されている「総合効率とGHG排出の分析報告書」((財)日本自動車研究所、2011年3月)の分析結果。ここで電力構成によって大きくCO2排出量が違うのは、原子力のようにCO2を排出しない電源と石炭を始めとする化石燃料を燃料とする電源があるため。2012年度は多くの原子力発電所が停止していたことから、発電された電気のCO2排出量は大きい数字となっている。
注5)
同上。
注6)
プリウスの販売開始が1997年。2012年度末までにプリウスを含む日本国内のHEVとEVの保有台数の合計は約300万台となった((一社)次世代自動車振興センターの推定)。このペースで行くとプリウス販売開始から20年弱で、HEVとEVの国内保有台数が500万台程度になる可能性がある。
注7)
国内で供給可能な水素量の推定値には、65~180億N㎥と大きな幅があり、現時点で断定的なことは言えないが、65億N㎥程度しか存在しないとするとFCV1台が消費する水素量は年間約1,100N㎥なので、国内保有台数が500万台を超えると国内で供給可能な水素量では不足する可能性がある。

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