私的京都議定書始末記(その43)

-COP16を終えて-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 後知恵になるが、わずか3ヵ月後の東日本大震災とその後の展開を考えるとき、「日本が京都議定書第二約束期間に入っていたらどうなっていたか」としみじみ思う。停止した原発の代替電源のための化石燃料輸入に伴う国富の流出が年間3.8兆円に及ぶことに加え、目標達成のためのクレジット購入で更なる国富の流出が生ずるのである。やはり、あの時、カンクンで京都議定書第二約束期間と決別しておいて良かったと思うのである。

初日のステートメントの評価

 京都議定書第二約束期間に参加しないという日本の方針はよしとしても、初日にプレナリーで宣言する必要があったのか、という議論もある。カンクンの3ヶ月後、東京で日本ブラジル主催の非公式協議で来日していたデ・アルバ大使は「日本のレッドラインはよくわかっていたし、あえてあそこで宣言する必要はなかった。議長国としては冷や冷やしたよ」と言っていた。初日に沈黙を保ちつつ、その後の交渉で日本のレッドラインを守りぬくという選択肢もあったかもしれない。そうしていれば2日目に「ぶち抜きの化石賞」を取ることはなかったろうし、「日本が悪役」といった1週目の論調はもう少し違っていたかもしれない。他方、最初から絶対に譲れないラインを明確にしておくことは交渉上、重要なことではないかとも思う。「それまでの日本の京都議定書第二約束期間拒絶は交渉上のタクティクスであり、条件次第で日本は譲歩する」という誤解がEUや途上国にあったと思われるからである。また、京都議定書第二約束期間に関する問題提起という点では初日のステートメントの意味はあったのではないかとも思う。12月8日に Centre for American Progress のAndrew Light 主任研究員が、「Has Japan Killed the Kyoto Protocol? – Even If It Has, There’s Still Hope for a Climate Agreement」という論文を発表した。その一部を抜粋する。

The U.N. climate summit here in Cancun, Mexico, has been consumed this past week over Japan’s announcement at one of the opening plenary sessions that they would not renew their emission reduction pledges under the Kyoto Protocol once the first round of required carbon cuts expire in 2012. This could mean the potential demise of the world’s only climate treaty with binding emission cuts, but the reasoning of the Japanese leadership on this issue is practically unassailable.

What’s more, by taking this position, Japan may also help to settle an issue that has been haunting these talks for a decade: the standoff between those who want to hold onto the protocol’s crude division of the world between developed and developing countries and those who want to move to a framework that may be more in line with the reality of solving the problem

 そうした論文が発表されたのも、初日のステートメントが色々な議論を巻き起こしたことと無関係ではあるまい。ただ当事者である私が何を書いても自己正当化に映るであろう。初日のステートメントの評価については、大げさだが、歴史の評価に委ねることとしたい。

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