私的京都議定書始末記(その42)

-最後の「二押し」とカンクン合意の採択-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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脚注の挿入

 COP決定、CMP決定における先進国の削減目標のアンカリングについては、同一のSB文書を両決定で言及するということで収斂したが、日本、ロシアにとって、京都議定書第二約束期間に前向きなEUと並んで自国の目標がCMP決定でテークノートされることは気持ちが悪い。何らかの形で日本、ロシアが第二約束期間に入るつもりがないことを、間接的にせよ文字に残しておきたかった。

 そこで日本、ロシアの提案により、CMP決定の脚注に以下の文言を入れることとなった。

The content of the table in this INF document are shown without prejudice to the position of the Parties nor the right of Parties under article 21, paragraph 7 of the KP.

 京都議定書第二約束期間の設定は、議定書第21条7の規定に基づき、各国の数値目標がリストアップされた附属書Bの改正によって決定される。附属書第21条7では附属書Bの改正は議定書第20条に定める改正手続きで採択されると規定されているが、但し書きで関係締約国の書面による同意を得た場合にのみ採択されると規定されている。したがって日本、ロシアが書面による同意を出さない限り、第二約束期間は両国にとって効力をもたない。換言すれば、日本、ロシアを含む附属書Ⅰ国は議定書21条7に基づき、第二約束期間に参加しない権利を有することになる。

 「INFドキュメントの内容は締約国のポジションや議定書第21条7に基づく締約国の権利を予断するものではない」という脚注は、単に議定書に規定された締約国の権利を確認的に記述したものではない。「議定書第21条7に基づく締約国の権利」のみならず「締約国のポジション」を明記することにより、京都議定書第二約束期間への参加に関する締約国の政治的立場の違いを滲み出させることとしたのである。日本、ロシアと明記しているわけではないが、この脚注を根拠に「自分たちの目標がSB文書に記載されているが、だからといって第二約束期間に入るわけではないぞ」と言える土台を作ったということだ。

 ドラフティング会合はたびたび中断したが、その都度、杉山審議官をヘッドに松本大臣にも交渉状況を報告した。夜遅くの報告であっても松本大臣は律儀に対応され、「日本の交渉ラインに沿っていれば、細かい文言調整は任せる」と言っていただいた。田嶋政務官、岡田経済産業審議官をヘッドとする経産省交渉団への報告や、東京の菅原局長への電話連絡も頻繁に行った。少人数会合→小休止中の報告→少人数会合と、心身ともに消耗するプロセスであったが、コペンハーゲン合意のときと異なり、交渉経過の一部始終に立ち会うことができたのは得がたい経験だった。脚注の挿入を確保し、ドラフティング交渉が終了したのは10日午前3時過ぎ、9日午後3時過ぎの開始から12時間近くが経っていた。

事務局長へのレターの発出

 10日朝となった。しかしドラフティング会合の結果を盛り込んだCOP決定、CMP決定の全文はなかなか配布されなかった。その間を利用してロシアと共に「駄目押し」の一手を打つこととした。上記の脚注は、締約国が第二約束期間に参加しない政治的ポジションを有し、議定書上の法的権利を有し得ることを記述している。しかし、日本とロシアの立場が明記されているわけではない。そこでロシアと連絡をとりつつ、フィゲレスUNFCCC事務局長宛のレターを発出したのである。日本が坂場地球環境大使名で発出したレターの全文は以下のとおりである。

Japan confirms its readiness to achieve its target for emission reduction of GHG in 2020 in accordance with the Copenhagen Accord.

The submission of the target, dated 26th January 2010, is premised on a new, fair and effective international framework.

The Government of Japan would like to make it abundantly clear that it does not have any intention to be under obligation of the second commitment period of the Kyoto Protocol after 2012. The target submitted by Japan in accordance with the Copenhagen Accord is only relevant in the negotiation of the AWG-LCA not in the AWG-KP.

 第3パラグラフは私が起案したものである。これまでのAWG-KPでの交渉を頭に描きつつ、「日本は京都議定書第二約束期間に参加する意志はなく、日本がコペンハーゲン合意にしたがって提出した緩和目標はAWG-LCAに関わるものであり、AWG-KPに関わるものではない」ということを、これ以上ないほど鮮明にした。脚注の挿入と、事務局長へのレターの発出は、京都議定書第二約束期間に決して参加しないという日本の立場を貫くための「最後の二押し」であった。

カンクン合意

 10日午後5時過ぎ、ようやくCOP決定、CMP決定の全文が配布された。COP決定はコペンハーゲン合意の諸要素を盛り込み、CMP決定では京都議定書第二約束期間を継続検討する、その全体パッケージが「カンクン合意」である。COP決定に盛り込まれた諸要素は以下のとおりである。

先進国がコペンハーゲン合意に基づき提出した緩和目標を記載した文書(FCCC/SB/AWG/2010/INF X)を作成し、緩和目標をテークノート(同文書に盛り込まれた先進国の緩和目標はCMP決定でもテークノート。ただしCMP決定には「文書の内容が締約国のポジションや京都議定書21条7に基づく締約国の権利に何ら予断を与えるものではない」と脚注で明記)

先進国の緩和目標の実施に関するMRV(測定・報告・検証)に関するガイドラインを強化

途上国がコペンハーゲン合意に基づき提出した削減行動を記載した文書(FCCC/LCA/AWG/2010 INF Y)を作成し、緩和行動をテークノート

支援を求める行動と支援とのマッチングを図る登録簿を設立。MRV(測定・報告・検証)や国際的な協議及び分析(ICA)を規定

途上国支援のための新たな基金を設立

適応対策を推進するための「カンクン適応枠組み」の設立

森林の減少・劣化に起因するCO2の排出削減に合意

技術委員会など技術移転メカニズムの構築

全体会合におけるスタンディング・オベーション

 10日午前3時にドラフティング会合が終わって以降、我々はCOP決定、CMP決定の最終案が配布されるのをひたすら待ち続けていた。この約14時間の間に、議長国メキシコは全体会合での採択を確保するため、丹念な根回しを行っていたのだと思う。メキシコの頭の中には、コペンハーゲン合意が首脳間で合意された直後に、全体会合を召集し、1時間で中身を吟味して承認するよう求め、結果的に合意形成に失敗したデンマークの姿が焼き付けられていたに違いない。

 確かに少人数会合の面々はそれぞれの交渉グループを代表する面々が参加していたが、彼らが合意結果を持ち帰り、中をまとめる時間を与えることは極めて重要だった。また事実上、コペンハーゲン合意をCOP決定に昇格させることになるため、コペンハーゲンで大暴れしたALBA諸国に対する根回しも不可欠だった。この点、中南米に位置するメキシコは、ベネズエラ、ニカラグア等を説得しやすい立ち位置にあったと考えられる。

 いずれにせよ、6時過ぎにエスピノーザ外務大臣が登場したときは、全員が立ち上がって拍手で彼女を迎えた。拍手はなかなか鳴り止まず、エスピノーザ外務大臣は胸の前で両手を組み、感謝の意を表明した。全体会合はまず非公式会合の形で開催され、日本を含め、多くの国がフロアをとり、エスピノーザ議長に謝意を表すると共に、「カンクン合意」を強く支持し、これを採択すべきと発言し、そのたびに大きな拍手がわいた。

拍手で迎えられるエスピノーザ議長

 午後8時過ぎから公式会合に移り、AWG-KP、AWG-LCA、CMP、COPと4つの全体会合が順に開催されていった。そんな中でただ1ヶ国、結論文書の採択に反対を唱えたのがボリビアであった。メキシコの根回し工作もボリビアには奏功しなかったらしい。しかしコペンハーゲンの時と異なり、反対しているのはボリビア1ヶ国である。また文書作成プロセス、少人数会合の結論を消化するための十分な時間の確保等、デンマークと異なり、メキシコの進め方には落ち度がなかった。何よりも各国とも1年前のコペンハーゲンの無残な結果を繰り返したくないという思いが強かったのだろう。

 AWG-KP、AWG-LCA、CMP、COPと議事を進めるたびにボリビアは名札をあげ、「自分たちはこの合意案を拒否する。採択するためのコンセンサスがない」と主張した。エスピノーザ議長は「ボリビアの意見はテークノートし、議事録にも残す。しかし圧倒的な支持(overwhelming support)に対する拒否権(veto)はどこの国も持っていない」として次々に結論文書を採択していった。2010年の初め頃、デ・アルバ大使を訪問した際、「コンセンサスは必ずしも全員一致(unanimity) を意味するものではない」と言っていたことを思い出していた。

 盛大な拍手のうちに全ての議事が終了したのは午前3時過ぎであった。経産省作業室に戻り、日本への報告その他の後始末を行って部屋を出たのは明け方になっていた。共に戦った小林出交渉官と共に明け方のプールサイドのレストランで朝食をとった。2人で交渉の各局面を振り返りながら、あれこれ話をしたが、最後の2日間はほとんど寝ていない。何よりもゆっくり眠りたかった。カンクンを夜に出る前、少しだけリゾートホテルを楽しむ時間はありそうだった。

ムーンパレスの夕暮れ

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