東電を反社会的企業と決めつける、
働く人たちへの視点を欠く経営者

吉原 毅 著 「原発ゼロで日本経済は再生する」 


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

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 城南信用金庫の吉原理事長(以下敬称略)の著書「原発ゼロで日本経済は再生する」(角川ONEテーマ21)は原発ゼロを主張する新書だが、エネルギー、電力問題に関する基礎データの間違いが多くある。一例を上げれば「遠隔地の原発の電気を東京に送れば半分ロスになる」「日本には黒いダイヤ石炭がある」「温暖化は疑わしい」との記述だ。エネルギー・温暖化問題の基礎知識がある方であれば、こういう主張はしないだろう。
 吉原が誤解とも思える主張をする理由は、原発ゼロが可能と訴えるためだ。日本には石炭があるから火力で代替できる。石炭火力から排出される二酸化炭素は問題ではないと主張することは、世界の多くの科学者から笑われるだろうが、それでもよいと考えているということだろう。経済問題、電力自由化、安全保障問題等にも多くの誤解と勝手な解釈に基づく説明があるが、詳しくは連載を行っている「地球環境とエネルギー」6月号の「快刀乱麻」で取り上げたので、お読み戴ければと思う。ここでは、違う点を正したい。

東京電力が反社会的な企業であれば、他にも反社会的企業は多くある

 データの誤解ではないが、吉原の経営者としての見識が問われる、見過ごせないと思った記述もあった。まず東京電力を反社会的企業と決めつけている点だ。吉原の主張の根拠は、「東電の清水元社長は、夏のボーナスも、5億とも6億とも言われる退職金を受け取っている。企業が本来持つべき倫理観、道徳観というものが失われている」とし、金融では公共性が重視されるとの話の後、「福島事故以降東電が見せた一連の対応は東電が反社会的企業であることを示すのに十分であった」と続く。
 吉原の反社会的企業の判断基準は何だろうか。本来道義的には払われるべきでない報酬が支払われたことだろうか。そうであれば、巨額の赤字を続けた前社長に、退任直前でも8億円以上の年額報酬を支払ったソニーも、道義的に支払うべきでない報酬を支払った反社会的企業ということになるのだろうか。
 利益を上げるためであれば、法令違反でない限り、なんでも許されていると考えている企業はかなりの数あるだろう。中には、ドイツ・シーメンスのように、南米、アジアなどで巨額の不正支出を行い、米独で12億ドルの和解金を司法当局に支払った企業もある。しかし、シーメンスを反社会的企業と呼んでいる人は多分いないだろう。東電が嫌いだから、反社会的企業と呼んでいるのだろうか。

電力業界が「たかり集団」であれば、鉄道会社も公共放送も「たかり集団」か?

 さらに、電力業界は日本に残された最大の「たかり集団」との指摘も吉原は行っている。「株式会社でありながら競争原理の適用外になったことで、視線は政治家と経済産業省そして株主にのみ向けられていく」と書き「費用の削減努力を謳いながら実施はことごとく先送りされ、経営の効率化はいっこうに図られない。顧客は常にないがしろにされる」と主張している。
 経済学の理論で、独占が認められる産業は電力以外にもある。無駄な二重投資を避けるためだ。鉄道もガスも公共放送も「たかり集団」というのだろうか。私は20年以上に亘り電力業界向けに燃料供給を行っていたが、1円、1セントに拘るタフな交渉相手との印象は持っていても経営の効率化はいっこうに図られない企業との印象は全くない。吉原はどういう事実と体験に基づきこういう主張を行うのだろうか。
 東京電力、電力業界では多くの従業員が安定的な電力供給のために働いている。海外で生活すれば日本の停電率の低さを実感するが、それは多くの人達の努力の賜物だ。「反社会的」あるいは「たかり」という根拠のない中傷に近い言葉が、働く人をどれだけ傷つけるのか、経営者として思い至らないのだろうか。

「貿易赤字は経済再生のチャンス」という誤解だらけの主張

 また、経済に関する説明にも首を捻ることが多い。原発が停止し、化石燃料の購入が増えても問題ではないとの説明が登場し「貿易赤字は日本経済再生のチャンス」と吉原は主張する。その理由は次のようなことだ。「貿易黒字と経常収支黒字を続けてきた結果、産業は空洞化し、失業が増え、デフレ不況が深刻化した」「原発停止によって貿易赤字に転換したことで為替が円安になりデフレ不況が解消しつつある」。
 「貿易収支黒字と経常収支黒字が産業の空洞化を招いた」というのが間違いというのは、例えば、小泉政権時代に一時的に日本経済が好況になったのは、輸出増によるものだったという事実を指摘すれば十分だろう。貿易黒字を作り出す輸出増により景気が悪化し、失業が増えることがあるのだろうか。
 さらに、貿易赤字により為替が円安になったのだろうか。東日本大震災以降、貿易は赤字基調になったが、11年後半から12年年初にかけ80円を切るほど円高が進んだことを吉原はどう説明するのか。13年になってから、急速に円安が進んだのは、日本の予想インフレ率が日銀の政策によりプラスになったからだ。岩田規久男は、為替は金利差と予想インフレ率の差で動くとし、対米ドルの円相場が過去そのように動いたことを実証的に示している。貿易赤字がデフレ不況を解消しているわけがない。

国際収支と燃料輸入に関する誤解

 吉原は国際収支に関しては次の主張をしている。「国際経済は相互依存体制が原則なので、日本が化石燃料を輸入すれば相手国も潤う」「貿易のバランスがとれてこそお互い豊かになる」「外国産の製品を買えば国内産業とバッティングしてしまう。しかし、燃料を買うぶんには誰も困らない」と書き、安倍首相の「1年間で4兆円近い国の富が海外に出ていく。ずっと続けば大変だ」を経済学の基本を知らないと批判している。では、吉原は経済学を知っているのだろうか。
 国際貿易が相互依存という主張は何を言っているのか意味不明だ。貿易黒字の国もあれば、赤字の国もある。貿易はバランスしてこそお互い豊かになるに至っては床屋談義だ。貿易が2国間でバランスする必要はないし、する筈もなく、豊かになることとは何も関係がない。日本が輸入すれば相手国も潤うというが、日本が輸出しても、相手国は必要なものを入手するという意味では潤っている。貿易とはそういうものだ。国際経済、国際金融に関する基礎知識からすると不思議な議論が続く。
 外国産のものを買えば、国内産業とバッティングしてしまうが、燃料を買う分には誰も困らないというのは、何を言いたいのだろうか。貿易収支は、家計、企業などの各経済主体が個別に輸出入の選択を行った結果が単純に合計されたものだ。外国産の製品を買ったほうがよいと判断する経済主体があれば、そうするだろう。国内産業とバッティングするからという理由で製品の購入をやめる経済主体はないし、バッティングするのは当たり前だ。
 燃料の購入額が増えれば、電気料金が上昇するので困る人はいっぱいいる。国際収支、貿易の基礎的な理解が間違っている。燃料を買う分には誰も困らないという主張と安倍首相発言の批判は、吉原の同じ誤解から生じている。
 年間4兆円の燃料代の負担は、主として発電コストと電気料金の上昇の形で表れる。企業も家庭も大いに困ることになる。経常赤字が長く続いても、ファイナンスができる限りは問題ではない。しかし、長期に亘ればファイナンスに問題が生じる可能性は否定できない。安倍首相の言葉通りだ。
 貿易赤字が長期に続いても成長した国は過去多くあったが、投資率が高ければ経済成長は実現されるというだけのことだ。この事実と日本の化石燃料輸入による負担増の問題とは理論的に何も関係ない。吉原は、貿易赤字は問題でないということを、化石燃料の輸入増が問題でないと誤解し、さらに貿易赤字で成長できると誤解しているようだ。貿易赤字と経済成長には関係がない。
 原発ゼロを間違ったデータと理解に基づき主張するのは世の中に誤解を広めるだけだ。経営者が行うことではないのではないか。

「原発ゼロで日本経済は再生する」 
著者:吉原 毅(KADOKAWA/角川学芸出版)
ISBN-10: 4046534257
ISBN-13: 978-4046534255

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