温暖化交渉にプラグマティズムを


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 3月8日、パリのIEA本部でRedrawing the Energy Climate Map と題するワークショップにパネリストとして参加した。IEAは毎年、世界エネルギー展望(World Energy Outlook)を発刊しているが、世界のエネルギー情勢の展望と、国連気候変動交渉やMEF(主要経済国フォーラム)で目指している「2度目標」との相互関係について論ずることがここ数年のプラクティスになっている。昨年秋に発刊されたWEO2012の気候変動に関する主要メッセージは以下のとおりである。

カンクン合意で各国が出した目標値を踏まえた排出シナリオ(New Policy Scenario)では、3.6度温度上昇につながる可能性が高い
エネルギーインフラの耐用年数が30-40年あることを考慮すれば、2017年には2度目標を達成する「機会の窓」が閉じてしまう
各国が低コストの省エネ対策を抜本的に講ずれば、「機会の窓」が閉じる期限を2022年まで伸ばすことが可能、というものであった。

 今回のWSでは、上記のシナリオを踏まえ、カンクン合意に基づく各国の目標値と、2度目標達成のために必要とされる450ppmシナリオの乖離をどうすべきか等について議論が行われた。参加者は政府の交渉官、学者、産業界、NGO等約100名。私は第1セッション「科学の要請と政策・市場行動のギャップの拡大」でキーノートスピーカーの1人を務めた。私が述べたポイントは以下のとおりである。

各国のプレッジと科学の要請との間にギャップがあるのは事実。その背景は困難な経済情勢、エネルギー情勢の変化(シェールガス革命、石炭価格の低下、原子力政策の混乱等)、国連交渉における相互信頼の欠如等。
このような状況下で野心レベルの向上を図るためには、各国の努力に関し、効果的かつ支援的(facilitative)なレビューメカニズムが必要。AWG-KPの経験で明らかなように、目標値の引き上げを強制してギガトンギャップを埋めようとしても無意味。
各国の努力を慫慂するためには、先進国・途上国の二分論を克服し、将来枠組みが「全ての国に適用されること」が不可欠。先進国のみに義務を課し、国連が排出枠を割り振るようなトップダウンの枠組みはワークしない。まずプレッジ&レビューを通じて相互信頼を醸成し、その上で枠組みのレベルを引き上げるべき。相互信頼を醸成するための基礎インフラは透明性(MRV)とレビューシステム(途上国向けのICA: International Consultation and Analysis, 先進国向けのIAR:International Analysis and Review)。
次期枠組みは国別削減目標のみを見るような単眼的なものではなく、国別目標、政策措置、セクター別目標、技術開発目標等を含む複眼的なものであるべき。これらを全て国連の場で取り扱う必要はなく、セクター別目標、技術開発目標等は有志国、有志企業による国連外の取り組みの方が適切。
特に「ギャップ」を埋めるためには長期の排出経路を非連続的に変えるような革新的技術開発が必要。国連交渉では既存技術の移転ばかりを議論しており、イノベーションの側面が見落とされている。先進国+能力のある新興国で国際研究共同開発のようなイニシアティブを考えるべき。
将来枠組みは、国連における取り組み(基本的なルールやレビュープロセスの管理)、地域・プルリの取り組み(APEC、東アジアサミットの省エネイニシアティブ、APECにおける環境関連産品の関税引き下げ、Climate and Clean Air Coalition等)、二国間の取り組み(日本の二国間クレジット)、セクター別の取り組み(海運・航空におけるIMO、ICAOの取り組み、鉄鋼、化学、アルミ等の国際産業団体の取り組み)から成る多層的なものを目指すべき。
また気候変動のみを行動のドライバーとするのではなく、エネルギー安全保障、エネルギー貧困、大気汚染防止等、あらゆるイニシアティブを動員すべき。国連中心の単眼的なアプローチに基づき、ひたすら野心の引き上げを声高に叫ぶよりも、複眼的で多層的・分権的な枠組みを受け入れるプラグマティズムが重要。

 この考え方は、これまで好むと好まざるとにかかわらず、9回もCOPに参加した私の経験に基づくものであり、現在の米国政府のアプローチにも非常に近いと思う。スターン特使が本年1月にアブダビで行ったスピーチ内容を見れば、その共通性は明らかだ。http://www.state.gov/e/oes/rls/remarks/2013/202824.htm

 他方、欧州の気候変動関係者は京都議定書のように国連が中心的な役割を果たす法的枠組み、各国の目標値引き上げを通じてギガトンギャップを埋めるといったアプローチを志向する。私のプレゼンについても欧州の交渉官や環境NGOから「プレッジ&レビューでは野心のレベルが十分に積み上がらない。政治的な意志によるトップダウンが必要」という反論があった。これは十分予想されたところではあるが、彼らの議論の問題点は、「どうやってトップダウンで目標引き上げを各国に呑ませるのか」という処方箋がないことである。EUの中ですら、何の努力なしでも達成できる20%目標を引き上げようとするとポーランド等の抵抗で合意できない状況だ。日本ではもともと達成困難であった25%目標が福島事故以後、完全に不可能になり白紙見直しをしているところだ。米国もシェールガス革命と石炭火力発電所への排出規制で2005年比17%は達成可能だろうが、それ以上の深堀をするとは思えない。

 「目標値の引き上げが必要だ」と声高に叫ぶだけであれば、誰でもできる。先進国は経済低迷からの脱却、途上国は国民の生活レベル向上という課題を抱えている中で、しかも根強い先進国・新興国の対立がある中で、マイナスサムのゲームで最初に身を削る札を投じる国が出てくるだろうか?IPCC第5次報告書の内容如何では、2度では不十分、1.5度に抑えるべきという主張を惹起し、ギガトンギャップの議論を更に出口のないものにするのではないか?このことは、結果的に「出来ることからやっていこう」というプラグマティズムに基づく行動を遅らせることになってはいないだろうか。私がAdvocacyからPragmatismへと主張するのはそれが理由だ。

 ある米国政府高官が「自分が若いころ、研修生として欧州委員会に出向したことがあるが、委員会内部の議論では、プラグマティズムという言葉が軽蔑的(pejorative)な意味合いで使われていることに大変驚いた。米国ではプラグマティズムはポジティブな意味あいで使われるのが常だからだ」と言っていたことを思い出す。それから20年近く経っているはずだが、気候変動交渉関係者の間では未だに「プラグマティズム」は「現実妥協的」の同義語なのだろうか。

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