原子力問題再訪

自民党政権への期待


国際環境経済研究所前所長

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 自民党政権になれば、原子力推進の再び進軍ラッパが鳴り響くのではないかと期待していた人も心配していた人もいるだろう。しかし、実際にはそんなことは起こらなかったし、このままでは今後とも起こらないのではないかと思う。それはなぜか。
 日本で原子力事業を推進することを決めた1950年代半ば頃から黎明期の1960年代半ばまでの熱気が、今はそれほど感じられないからである。原子力技術といえば、時代の最先端の技術であり、その技術を保有しているかどうかは、先進国の仲間入りができるかどうかという国の威信に関わる。また米ソの冷戦構造に巻き込まれた日本の軍事的安全保障との関連でも、原子力は有力なオプションとして検討すべき対象である。さらに、経済的な意味でも、化石燃料の枯渇や自給率の低さという供給面での懸念と経済成長とともに急速に増大する電力需要への対応を考えれば、原子力は優先的な開発対象という判断も自然なものだったと言える。原子力を後押しする熱気は、今からは想像もできないくらいのものであり、技術面での特殊性も相まって、原子力事業に適用される法律や制度については、他の一般の産業とは異なる特別の枠組みが設定されてきたのである。
 そうした時代背景と比較して、現在はどうだろうか。温暖化抑制の有力手段という新たな時代的役割は与えられたものの、上記のような事情は相当変化を遂げてしまっている。例え福島第一原発の事故がなくとも、原子力事業の今後についてはエネルギー政策の範疇にとどまらず、さまざまな政策的切り口からその意義について再確認することの必要性が、早晩生じていたのではないだろうか。原子力委員会でそれなりの検討はしていたが、そこでの議論はエネルギー政策での観点に限定されており、私がここで必要だと主張している一部にしか過ぎない。
 しかし、役所ベースの検討や審議会での検討では、各官庁の所掌事務の範囲内に限定され、横串を刺しての議論はほとんど不可能だ。もともと原子力推進を緒につけたのも、中曽根衆議院議員(当時)他数人の議員が共同で補正予算を提案することから始まったのである。
 今般、自民党政権(当時は社会党も共同で推進していたのだが)が復活したことがいい契機である。今年後半くらいからは、原子力について、例えば党の政務調査会で「原子力問題調査会」といった一段格が高い組織を設置して、様々な観点から、新たな状況を踏まえて未来指向型で原子力技術や事業の意義を再検討・再確認してみてはどうだろうか。