放射線をめぐる事実の確認

不安をなくす「相場観」を持とう


Global Energy Policy Research

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放射能をめぐる誤解を指摘する

しかしなお、これらへの反論はある。ネット上で散見される主張には次のようなものがあった。

(1)
人間は長年天然の放射性物質により被ばくしているので耐性がある。人工の放射線に対しては耐性がない。また内部被ばくは外部被ばくよりも恐ろしい。
(2)
ICRPの主張には間違いがある。推進側の団体で、意図的に被ばく線量を小さく見せている。
(3)
事故によるものは追加の被ばくであり、本来受けなくても良いもの。許せない。

(1) の主張についての答えは次の通りだ。放射性物質からでる放射能の種類(アルファ線、ガンマ線など)には差はない。特定の放射性物質に対する特別な耐性などはない。また経口摂取による放射性物質は警戒すべきだが、線量が等しければ外部被ばく(体外からの放射線による被ばく)も内部被ばく(放射性物質の摂取による被ばく)も影響は変わらない。また自然のものも、人工のものも、影響は変らない。

(2)の主張は、一種の怪しげな「陰謀論」と言えよう。前述のように、ICRPは科学者の任意団体であり、前身の科学者組織は1924年から活動をしており、現在の名称になったのは1950年だ。設立当時はその際に問題となっていた医療被ばくの被害を防止するための機関であった。原子力利用に伴う被ばくを扱うようになってからも一貫して放射線防護のための機関であり、推進の立場ではない。またICRPの提言は科学のプロセスを経て、現時点での多数説が採用されている。

(3)の主張への答えは、次の通りだ。個人が事故を起こした者を許すか許さないかはその個人の判断によるものであり、このように批判の意見は当然尊重されるべきだ。ただし上述の相場観を前提にして被害がないだろうと分かれば、冷静に議論を行えるのではないだろうか。福島事故の責任追及と、現在起こっている放射能への恐怖がもたらすパニックの沈静化は分けて考えるべきであろう。

ちなみに福島原発事故での直接的な人的被害は、地震・津波被災者の救助の遅れ、病人や老人の避難、あるいは長期の避難のストレスによるものだ。直接的な経済的被害は風評や避難解除の遅れによるものだ。これらは放射線の影響についての正しい「相場観」があれば、ある程度は防ぐことができたはずだろう。

「リスクの相場観」を持ち冷静な議論を

被害は今も進行中だ。それは放射能そのものよりも、それによって起こった出来事によって生じているものだ。これまで述べたような事実を丁寧に伝えるリスクコミュニケーションを、原発事故後に政府は福島や東日本の人々に行うべきであった。しかし不安が残るのは、それに失敗したためと言えよう。

原子力施設の事故では放射線の無用な心配がどうしても絶えない。事業者は事故を二度と起こさないという信念で施設の安全性を高めていくべきだ。一方で国、自治体、事業者、そして国民は「事故は起こるもの、人は間違うもの」との前提で事故への万全の備えをしていく必要がある。備えには過度に恐れることが無いような、放射能の教育も含むべきだろう。

最後に、子供を大切に思う一般人の気持ちを、金儲けや政治に利用する人が今でも散見される、くれぐれも騙されないようにして欲しいものだ。

放射線をめぐって、原発の是非を絡めるのではなく、事実を元にした冷静な議論を行いたい。そのためには、ここで示した「相場観」も、正しい認識に近づく思考のフレームであると思う。事実に基づいて議論と対策をしてこそ、福島の負担は軽減され、復興は早まる。

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