電力自由化論の致命的な欠陥


国際環境経済研究所前所長

印刷用ページ

 この議論をもう少し続けたい。政府の電力システム改革専門委員会は、「東日本大震災は、わが国の長年にわたる電力供給システムの持続可能性について大いなる疑問をもたらした」とする。だが私は、東日本大震災によって、かえって日本の電力システムの強靭さが証明されたのではないかと思う。
 事実、東北電力は、東日本大震災で停電した需要家の9割を1週間以内に、99%を2カ月で回復させた。電柱は津波に押し流されなかったのかと思わせるくらい、がれきの中に新たな電柱が次々と立てられていったのである。また東京電力も、震災直後に900万㎾分の停電があったが、茨城県を除きすべて1日で解消し、茨城県も1週間後にはすべて復旧させているのである。
 政府の電力システム改革専門委員会は東日本大震災によって、「原子力を中心とする大規模電源の限界とリスクが露呈した」という。これが発送電分離を推し進める理由の一つとなっており、地域ごとの分散型エネルギーを構築すべきだと主張する。
 しかし東京電力の電源配置は、6000万㎾の需要規模に対し、大雑把にいって、福島県から茨城県の太平洋岸に2000万㎾、新潟県に800万㎾、そして大需要地近傍の東京湾岸に3000万㎾になっている。遠隔地電源へ依存しているイメージがあるかもしれないが、じつは需要地近傍にも半分の電源が分散配置されているのだ。
 また、「遠隔地の大規模電源は災害リスクが大きい」という言い方もよくされるが、これも実態と外れている。震災で東北電力の管内の太平洋岸の火力発電所(計3カ所)は大きな被害を受けたが、日本海側にも大規模電源が立地していたことが幸いし、被災地にもかかわらず、計画停電を免れることができた。日本の国土は狭いが、電力会社は太平洋側、日本海側と電源を分散することによって、リスクの分散に努めていたわけである。
 もし政府が東日本大震災で「原子力を中心とする大規模電源の限界とリスクが露呈した」ことが電力改革の理由だというのであれば、その意味でも、やはり今回のニューヨーク停電がどのような原因で起こったのか(設備の配置や防護策の検証)、どのようなペースで、どのような組織がどのように回復作業を行ったのか、そのパフォーマンスはどうだったのかなどについて、現地調査は必須だ。今後、電力システム改革委員会の委員全員で訪米してもらいたい。

恣意的かつ強権的な介入につながる恐れ

 一部のマスコミや識者は「自由化すれば、新電力の参入が相次いで電気料金は下がる」と主張する。しかし、資金提供側のリスクをなくする総括原価主義を認めず、競争を前提とする市場になった場合、必ずしも新電力の参入が増えて電気料金が下がるとは限らない。発電設備を建設するには、計画立案から運転開始まで十年間かかり、そのためのファイナンスを確保する必要があるからだ。これまでも企業の小売り分野については、すでに全面的な自由化が進んできたが、それでも新規の参入が進まなかったのは、結局「儲からない市場」だったからである。
 そこで、現在の政府の改革案は、新しい電源をつくるというよりも、いまある電源をどう分割するか、といった流れになっている。新電力は自前の発電所だけでなく、既存の電力九社からも電気を調達できる仕組みをつくることによって、競争を促進させるというのだ。
 一方で自由競争させるといいながら、その一方で新電力は既存のガリバーに勝てないから、ガリバーの力を弱めるような規制をするという。本来であれば、このようなことは独占禁止法の範囲内で措置すべきことであろう。むしろ、本気で自由化を進めるのであれば、電気事業法の事業規制そのものを廃止することを検討してはどうか。電気事業法強化でガリバー的独占に対処するという方向では、むしろ規制機関による介入が恣意的かつ強権的になりかねず、本来の意味の自由化はより遠のいてしまう。自由化の目的は、あくまで電力ユーザーに対する低廉かつ安定的な電力供給を確保するために行われるものでなければならない自由化の看板の下に隠れて、「大事故を起こした電力会社を懲らしめなければならない」という政治的目的だけを追求するものになってはならないのである。