COP18参戦記 day3 (12月4日 火曜日)


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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 今日はCOP会場には行かず、以前からお願いしていたラス・ラファン(Ras Laffan)工業都市内のLNG基地を見学してきた。朝7時にドーハのホテルを出発、車で1時間強北上したところにラス・ラファン工業都市はある。この敷地の中に入るには、「ビジネスビザ」および「入構許可証」の取得が必要で、1980年代後半より先進的にカタールからのLNG調達に取り組み、現地で高い存在感を示している中部電力ドーハ事務所のご尽力のおかげでやっとその二つを得ることが出来た。

 現在カタールは、世界一のLNG生産国・輸出国であり、年間のLNG生産能力7,700万tを誇る。その繁栄ぶりは、立ち並ぶユニークなデザインの高層ビルや街を行き交う高級外車からも見て取れるが、実は日本は、カタールのLNG産業の礎を築くことに大きな役割を果たしたという。
 天然ガスの製造工程を知ると理解しやすいが、LNG開発は莫大な投資を必要とする。天然ガス田からは、LNGの原料となるガス(メタン、エタンなど気体の炭化水素)、コンデンセートと呼ばれる液体の炭化水素、水、CO2、N2などが混合状態で出てくる(ちなみにカタールという国名は「qatura (カトゥラ「噴出する」)に由来するそうだ)。これを、まずは重力によって気体と液体に分離し、次に気体を様々な冷媒を使った特殊な冷凍機で徐々に冷やし、沸点の違いによって不純物を取り除き製品化する。パイプラインによって気体のまま輸送することも可能であるが、中東やインドネシアから日本が輸入する際などは−162℃以下に冷却する事で液化天然ガスにして専用タンカーにより輸送する。採掘から冷却までの製造工程の多さ、LNGタンカーとその船が接岸できるための港など、そのプロジェクトの壮大さは圧倒的であり、世界各国が開発協力に尻込みしたという話もうなずける。そのような状況において、中部電力株式会社は1987年にカタールからのLNG購入計画に乗り出したという。LNGの安定確保と新規プロジェクト開発は電力経営の主要課題であるとの認識のもと、約4年にわたり調査・研究、交渉を続け、1992年には平年度400万t/年+オプション200万t/年(この200万t分は日本の他の電力会社、ガス会社によって購入される事となり、中部電力でその契約を取りまとめられているという)、受渡期間は1997年初頭から25年間という長期買取を約束する売買契約を締結している。長期に渡る安定した売買の見通しが明らかになって初めて開発に必要なファイナンスを得る事ができたため、日本は今でもカタール発展の基盤づくりに大きく貢献した特別な存在と認識されているそうだ。
 
 社団法人霞関会のホームページにある駐カタール大使の書かれた記事によれば、東日本大震災の後、3月16日にカタールガスCEOが来日し、年間対日輸出量の約6割近いLNG400万tやタンカー23隻分のLPGの追加供給に合意した他、その後も原子力発電の停止により化石燃料の安定調達が緊急の課題となった我が国に大量の追加供給を行っている。LNG生産能力においてカタールが他国に抜きん出ているから可能であったことであろうが、カタールガス社長に言われた「We are standing behind you(私たちはあなた達の後ろに立っている)」との言葉は、今でも忘れられないと中部電力ドーハ事務所の方が話してくださった。
 カタール国首長シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニ殿下による1 億ドルの寄付で、被災地の復興支援を目的とした「カタール・フレンド基金」が設立されたことも、もっと広く日本人の間で認識されるべきであろう。かくいう私も、今回のCOPで訪問するまで認識が無かったが、ここカタールは「遠くて近い国」なのだ。
 震災前まで約3割の電源をまかなっていた全国の原子力発電が停止した以降も、電力の安定供給に支障が出ていないことの理由の一つに、日本が官民を上げ、長年かけてカタールと良好な関係を築いてきたことがあることを今回初めて知った。そんなカタールがホスト国を務めるCOP18が成功裏に終わる事を、心から祈りつつ、ラス・ラファン工業都市を後にした。

追記:ラス・ラファン工業都市内は写真撮影が禁止されていたため、事務所建物内での写真以外掲載できない事をお許しいただきたい。

訪問先のラス・ギルタス発電海水淡水化事業会社にて
カタールガス社で頂いたミネラルウォーター。ラベルにLNG船が描かれている。ただしカタールでは水道水が飲用可能だ。カタールガス社の後に訪問したラス・ギルタス発電海水淡水化事業会社は発電と同時に、海水を脱塩して造水事業も行っている。カタール全体の電気の3割、水の2割をまかなうという。