第6話(3の1)「ポスト『リオ・京都体制』を目指して(1)」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 第5話までは、外からは見えにくい気候変動交渉について、少しでも臨場感を持って理解してもらうため、COPの交渉現場での議論と日本の対応に焦点をあてて論じてきた。
 「武器無き戦争」に臨む以上、それに勝つ(少なくとも負けない)事は重要である。そのための様々な戦術行動についても、これまでに触れた。しかし、それだけに終わってはならない。一部の国々・交渉官にみられるような、交渉のための交渉であってはならない。交渉現場で戦術を駆使している最中でも、「戦後秩序」構築のための戦略を描くことは、日本のような技術力、資金力、外交力を備えた大国の責務といえる。ともすると、日本は京都議定書「延長」に賛成か反対かといった問題に関心が向きがちだが、これは一見華々しく見えるものの、戦術的次元の命題に過ぎない。気候変動問題対処のために真に実効的な国際秩序の構築こそが戦略的命題である。そのために日本の優れた知的資源は活用されるべきである。

 今回からは、21世紀の国際社会に相応しい気候変動問題対処のための新たな国際枠組み(将来枠組み)の構築について論じてみたい。
 この問題はしかし、大変困難なものである。
 まず、気候変動問題が単なる環境問題ではない、重要な外交問題であることを認識する必要がある。詳細は本文に譲りたいが、「環境外交」が「環境」問題である以上に「外交」問題であることは常に念頭におく必要がある。
 また、実効的な国際秩序づくりにおいて大国間の協調は不可欠である。本稿では、これまでの将来枠組みを巡る問題が「米国問題」、「中印問題」、「欧州問題」の側面を合わせ持っていると論じている。これら問題点の適切な把握は、将来枠組みをデザインする上で欠かせない。更に、日本の果たすべき役割についても触れている。日本は、米国、中印、欧州のいずれとも異なる柔軟性を持ち合わせている。将来枠組みのデザインを提案するだけの知見と経験もある。しかしながら、ともすると日本国内の議論は現行「リオ・京都体制」、特に京都議定書「延長」を受け入れるか否かについての「環境派」と「経済派」の論争が中心となりがちであった。こうした受身の発想から脱却し、将来枠組み構築の国際的議論に能動的に関与していくことこそが日本の課題であろう。
 将来枠組みのデザインには並大抵でない構想力を要する。自国の国境を越えた地球全体の問題を、生身の人間のライフサイクルを遥かに超えるタイムスパンで考えなくてはならないからである。科学技術上、政治経済上の現実に照らして一歩一歩進める実際的アプローチも必要になる。「リオ・京都体制」の問題点は既に明らかになっているが、ポスト「リオ・京都体制」が完璧である保証もない。
 しかし歩みを止めてはならない。日本として如何なる国際秩序を目指し、そのために如何なる貢献をしていくのか、具体像を示しながら国際的議論に臨む必要がある。
*本文中意見にかかる部分は執筆者の個人的見解である。

1.外交の主要課題としての気候変動問題

 近年の気候変動交渉をみると、各国の環境専門家の集まりの性格を超えて、首脳、外交当局の関与が高まっているのに気づく。グレンイーグルズやハイリゲンダム、北海道洞爺湖でのG8サミットで気候変動問題が主要議題にとりあげられたり、COP16でメキシコの外務大臣、COP17で南アフリカの外務大臣が議長を務めたのはその具体例である。日本でも、COPに臨む体制として、環境大臣が政府代表団長を務める一方、実務レベルでは外務省が、環境省、経産省等の関係省庁と協議しながら、交渉方針をとりまとめる役割を果たしてきたことは既に述べた。
 まず、気候変動交渉が、なぜこれほどまでに重要な外交課題として扱われるようになったのかを考えてみたい。

(1)第1の理由:「マルチの中のマルチ」外交としての気候変動交渉
まず、気候変動交渉が、多国間外交の持つ様々な役割を多く含んだ、「マルチの中のマルチ」外交であることがあげられる。
 外交交渉を大きく二つに分ければ、「バイ」(二国間, bilateral)と「マルチ」(多国間, multilateral)に分けられる。日米、日中、日韓など特定の相手国との間で様々な懸案について協議をするのが「バイ」であり、G8やAPEC、WTO、東アジア首脳会議(EAS)など複数の国々が集まる場でマクロ経済や貿易、環境などのグローバルな課題について協議をするのが「マルチ」である。もちろん、バイの協議でマルチのテーマについて議論することもあるし、マルチの機会をとらえてバイの協議を行うなど、両者は密接に関連している。
 ここでいう「マルチ」外交に特有の主要な役割としては、以下のものが挙げられる。

(イ)「アジェンダ・セッティング」(Agenda setting)
 「世界で今重要な課題は何か」ということを指し示す役割である。年に一回、主要国の首脳が集まるG8サミットがその典型である。マクロ経済や開発、環境、地域情勢など、その時々の課題について、主要国の首脳がメッセージを出すことは、世界の関心を集め、それらの課題に対処するための国際的取り組みに弾みをつける働きがある。

(ロ)「ルール・メイキング」(Rule making)
 複数の国々に適用されるルールを作る役割である。国際貿易ルールを定めるWTO交渉がその典型である。OECDで、開発援助や輸出信用など様々な分野において、先進国間の紳士協定的なガイドラインを作ることもこれに当てはまる。

(ハ)「運用面の協力」(Operational coordination)
 様々な分野での各国関係当局間の実施面での調整を行う役割である。WHOやIAEA、ILOなどの国際機関における協力はこれにあたる。国際機関以外でも、ASEAN地域フォーラムの下での防災協力や、Proliferation Security Initiativeにおける不拡散防止協力など様々なものがある。

(ニ)「資金動員」(Resource mobilization)
 特定の地域・テーマについての資金動員を促す役割である。アフガニスタンやパキスタンなど、特定国への支援資金を国際的に動員する支援国会合や、資金援助と同じインパクトをもつ過去の公的債務の減免を協議、決定するパリ・クラブがこれにあてはまる。

 もちろん、ある枠組みが、複数の役割を果たすことは当然ある。たとえば、北朝鮮のミサイル発射や核実験など、特定国の行動に対し、国連の安全保障理事会が非難決議や議長声明などを出すことは、世界に問題の重大性を認識させる「アジェンダ・セッティング」の意味合いがあるし、更に踏み込んで、拘束力のある制裁決議を採択し、加盟国にその実施を促すことは、ルール・メイキング、運用面の協力にあたる。また、G8サミットは、アジェンダ・セッティングだけではなく、資金動員的な役割も果たしてきた。2000年の九州沖縄サミットで国際保健分野の取り組みとして沖縄感染症対策イニシアティブが打ち出され、それが後の3大感染症に対処するための世界基金の設置につながったのはその一例である。
 気候変動交渉は、以上の4つの役割のいずれも含むものとなっている。
 すなわち、「アジェンダ・セッティング」の点では、毎年末に開催されるCOPが、世界各国の環境関係者が集まり温暖化対策の重要性を訴える場となっている。近年のG8サミットでも気候変動は主要議題を占めてきた。
 「ルール・メイキング」でも、国連のみならず、欧州排出量取引制度(EU-ETS)や、日本が提案する二国間オフセット・クレジット制度など、グローバル、リージョナル、バイラテラルなど様々な局面でのルール作りが気候変動交渉の主要課題となっている。
 「運用面の協力」では、各国がCO2の排出削減努力の透明性を高め、MRV(測定、報告、検証)により、相互にチェックしようという流れが強まっている。
 「資金動員」では、途上国支援は、当初より気候変動交渉における大きなテーマであり、いくつかの基金も国連の枠組みの内外で設置されており、二国間協力でも日本の「クールアース・パートナーシップ」や「鳩山イニシアティブ」に代表されるように、気候変動対策は途上国支援の主要な柱となっている。COP17の成果の一つである緑の気候基金の設置の動きを含め、こうした傾向は引き続き続くと思われる。

(2)第2の理由:交渉対象が複数の政策分野にまたがること
 第2に、気候変動交渉で扱われる対象が、幅広い政策分野にまたがるようになったことが挙げられる。
 国連気候変動枠組条約や京都議定書が成立した90年代は、気候変動交渉の焦点は、日米欧など主要先進国の排出削減であった。これ自体、先進国の経済政策全般に影響を及ぼすものとして大きな議論をよぶものであったが、その後の展開に比べればまだシンプルなものであったと言える。
 2000年代に入り、状況はより複雑になる。その要因としては、1)中国をはじめとする新興途上国の排出の割合が多くなり、これらの国々の排出削減も交渉の俎上に上るようになったこと、2)先進国/主要途上国の排出削減(緩和)だけでなく、アフリカ、小島嶼国などの脆弱国に対する適応支援を重視すべきとの議論が強まったこと、3)京都議定書の下での京都メカニズムや、EU-ETS導入により、炭素市場の要素が新たにクローズアップされたこと、等があげられる。環境、エネルギーのみならず、国際貿易や開発援助、金融といった政策分野に及ぶようになったことで、交渉の論点や各国のスタンスも複雑化するようになった。

(3)第3の理由:様々なステークホルダーの参画
 第3に、交渉に直接関与する各国政府のみならず、民間企業、研究者、NGO、メディアなど、様々なステークホルダーが参画し、かつその数が年々増えていることが挙げられる。IT技術の普及が後押ししていることは言うまでもない。1997年のCOP3の頃は日本でも携帯電話が普及し始めていた頃だが、現在の国連の気候変動交渉では、少し前まではブラックベリー、今ではiPadが必須アイテムである。
 国際会議が年々肥大化しがちなのは、他の分野でも見られるが、国連の気候変動交渉はとりわけそれが顕著である。京都議定書が採択されたCOP3の際は、会議参加者は数千人と言われ、その規模が当時話題をよんだが、2009年のCOP15では約4万人に膨れあがった。交渉の実質的プレーヤーが先進国から途上国に拡大し、交渉の論点が複数の政策分野に拡がった結果、交渉の結果に利害関心を有する関係者も拡がったためといえる。また、参加者の規模が増えるとメディアの関心が高まり、そのメディアの関心を引くためにNGOなど利害関係者の数も増えるといった「雪だるま」効果もあると思われる。

(4)第4の理由:科学、イデオロギーの役割
 最後に、特に環境・気候変動交渉に顕著な、科学とイデオロギーの果たす役割である。
 気候変動交渉の現場では、各国代表、環境NGOなどの発言において、scienceとかevidenceといった表現が頻繁に出てくる。地球温暖化による悪影響は様々な証拠(evidence)が示しており、科学(science)の要請に基づき、各国は対策をとるべきといった文脈で言及される。自らの主張は「科学的根拠」に基づいており、「正義」は我にありということになる。温暖化懐疑論は勿論、経済、社会への影響とのバランスで温暖化対策を判断すべきといった常識論さえ、科学の要請に沿わない安易な妥協として否定的にとらえられがちになる。
 科学とは別個のもう一つの「正義」として、南北問題のイデオロギーがある。現在の温暖化問題の責任は、産業革命以来CO2を大量に排出してきた先進国が専ら負うべきとの発想から、衡平性(equity)や歴史的責任(historical responsibility)といった、科学の論理とは別個の価値を含む言葉が途上国や一部NGOにより多用される。先進国、途上国の個別国毎の事情は捨象され、先進国vs途上国の二元論(dichotomy)的発想が、強いイデオロギー性をもって交渉全体を覆うようになっている。
 科学であれ、南北問題のイデオロギーであれ、「正義」が前面に出てくる国際会議では、各国の「利害」を調整する交渉は著しく困難になる。年々増える様々なステークホルダーの衆人環視の下では、なおさらそうなる。また、論点が複雑多岐にわたるため、各国とも自国の「利害」を正確に認識することすら難しくなっている。
 このような中、「アジェンダ・セッティング」、「ルール・メイキング」、「運用面の協力」、「資金動員」の各方面で交渉を前進させるためには、「正義」を巡る各国の主張の背後にある「利害」を見極めつつ、その調整を図り、かつ「利害」の調整が「正義」と相反するものではないことを、様々なステークホルダーに粘り強く説得していく必要がある。これは並大抵の作業ではない。各国の外交力が問われることになる。「環境外交」が「環境」である以上に「外交」である所以である。

(つづく)

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