国民の省エネ意欲を削ぐだけの環境税

「エコ神話」の産物としての環境税の論理矛盾を突く


東京工業大学名誉教授

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「エコ神話」の非常識から生み出された環境税の論理矛盾

 上記したように、環境税は、石油・石炭税の改正として法案化された。この石油・石炭税は、石油危機の後に、化石燃料の消費量を少しでも減らすことで、その輸入金額を削減する目的でつくられた。この税収は、エネルギー特別会計として、省エネ技術の開発とともに、化石燃料の代替となる新エネルギーの開発・研究などの資金に使用された。しかし、その後、国際原油価格に連動する化石燃料輸入価格の低迷に伴う経済発展で、化石燃料の輸入量が増加して、この石油・石炭税で集められた金額が増加して行った。そこで、このお金の使い道として、エネルギー関連の項目とともに、環境保全の使用目的が加えられた。すなわち、エネルギー特別会計のお金として、環境保全の事業や開発研究などにもこの税金が使われるようになった。筆者自身も、ODAのお金として、途上国の環境保全に関連した海外技術協力にこのお金の一部を使わせて貰った。当時は、このお金を使うための何かよいテーマはないかと盛んに質問されたものである。ただし、この場合の環境保全は、あくまでも地域環境保全であった。それが、地球温暖化対策としてのCO2排出削減が国策として取り上げられるようになって、この環境保全が、地球環境保全にすり替わって、CO2排出削減事業の資金としても使われるようになった。
 しかし、CO2排出の削減にはお金がかかる。石油・石炭税だけでは間に合わない。かといって、現状の財政赤字の中で、多くの反対意見を抑えて消費税増税の決定を強行した野田政権は、このお金を一般財政の中から支出する余裕はない。そこで、考えついたのが、この石油・石炭税に上乗せして広く国民から徴収する炭素税=環境税であった。この税が施行された当日(10月1日)の朝日新聞は、社説で、この環境税を、「脱原発を進めながら、CO2の排出を抑えていくための公平で合理的な仕組みだ」と評価しているのを見て、筆者は、驚くというより、大きな悲しみを覚えた。それは、いまだに「地球温暖化防止のために、日本でのCO2排出の抑制のために国民のお金を使わなければならない」とする「エコ神話(筆者の造語?)」が、この国の知識層を支配していて、この新聞は、その旗振り役を演じ続けているからである。

 地球環境保全としての地球温暖化が地球大気中のCO2濃度の増加に起因するとの科学的な証拠はない。また、もしこの地球温暖化のCO2原因説が正しかったとしても、現状では、CO2の排出削減にはお金がかかる。地球温暖化は地球の問題である以上、世界の全ての国、特に、中国や米国などの排出大国の協力が得られなければ、地球大気中のCO2は削減できない。世界のCO2の排出量の4%程度の寄与しかしていない日本だけが、「エコ神話」を盲信して、国内のCO2の排出の削減に国民の経済的な負担を強いることには何の意味も見出だせない。エネルギー供給のために化石燃料に依存しなければならない状態が続く以上は、現代文明生活を支えている化石燃料エネルギーの確保のための金額の最小化をはかることが最優先されなければならない。そのなかで、やがて枯渇する地球資源としての化石燃料資源の保全に努めれば、結果として、地球のCO2排出量の積分値を小さくできる(文献2参照)。
 地球のエネルギー資源の保全のための国民の省エネ意欲を削ぐだけに環境税が、「エコ神話」の産物として、「革新的なエネルギー・環境戦略」のなかに入り込む理由はどこにも存在しない。

引用文献;
1.日本エネルギー経済研究所編;「EDMC/エネルギー・経済統計要覧2012年版」、省エネルギーセンター
2.久保田宏;「脱化石燃料社会―「低炭素社会へ」からの変換が日本を救い地球を救う」、化学工業日報社、2011年
3.久保田 宏;「科学技術の視点から原発に依存しないエネルギー政策を創る」、日刊工業新聞社、2012年

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