日本経済が再び世界をリードするために[後編]

電力の安定供給確保が日本経済の浮沈を決めることになる


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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 電力不足の懸念が続くなか日本経済が東日本大震災をどう乗り越えていくのか――。先が見えない不透明な状況に不安を抱く人は少なくない。最大の課題となっている、原子力政策を含めた環境・エネルギー問題への対処法を日本経済団体連合会の井手明彦資源・エネルギー対策委員長(三菱マテリアル会長)に聞いた。

――今年の夏は、電力不足の懸念から厳しい節電目標が設定されましたが、多くの企業が目標をクリアしたようですね。

井手:この夏の対応は、産業界として多くの犠牲を払いながら実施したものです。一部報道や有識者、政治家は「やればできる」と安易にとらえていますが、簡単な状況ではなかったことを、まず申し上げたい。「今年の夏さえ乗り切ることができれば」ということで、いくつもの犠牲を払ってようやく達成できたのです。今年実現できた15%程度の節電なら簡単にできると思い、それを前提にされたのでは、今後、非常に困ることになります。

――厳しい電力状況が続くようだと、産業空洞化が進むのではないかという指摘もあります。

井手:未曾有の大震災による被害を受け、原発事故による大きな犠牲を払っている人たちを思えば、多少の犠牲は覚悟して、日本国民としてやり遂げなければならなかったと思います。しかし、今冬以降の電力需給については、政策責任者の意思による部分が大きい。何としても、経済活動への影響が最小限となるよう対策いだきたい。特に問題となるのは、今後の見通しが立たないことです。この状況が続けば、ご指摘された空洞化が現実のものとならざるを得ないでしょう。

――状況は、かなり厳しいということですか。

井手:我々の属している非鉄金属業界においても、新規の投資を考える場合に先の見通しが立たないのであれば、電力供給の不安がない国での投資を考えるのが自然です。さらに当社のように素材や部品を製造しているメーカーは、自社の投資判断だけではなく、お客様がどこに立地するのかにも左右されます。自動車メーカーなどの組立産業が海外での生産を選んだ場合には、必然的に、当社のような素材・部品メーカーも海外に出て行くことになります。

 雪崩をうつように空洞化が進行する懸念が非常に高いのです。政府は一刻も早く、3年~5年の電力供給対策の工程表、ロードマップを示すべきだと考えます。

井手明彦(いであきひこ)氏。1965年に三菱金属鉱業(現在の三菱マテリアル)入社。常務、副社長を経て、2004年6月に社長就任。2010年6月から現職。社団法人セメント協会会長、日本鉱業協会会長を歴任し、2010年から日本経済団体連合会評議会副議長を務める

電力の明日が分からなければ企業は投資できない

――電力供給体制がどうなるかわからないと、企業は安心して工場を動かすことができず、投資計画も立てられないということですね。

井手:企業の国内投資計画は、もともと、非常に少なくなっていました。その傾向が加速しているのではないかと思います。当社の場合でも、最近上がってくる案件をみると、国内の投資案件が非常に少なくなっていて、中国や東南アジア、インドネシア、タイを中心とした投資が非常に増えています。
 こうしたなかで、電力不足に陥る懸念があれば、余計に国内への投資を躊躇せざるを得ません。現実に、今年の夏は東日本の生産をやめざるを得なくなり、西日本に生産をシフトしたケースが多かった。ところが、来年からは西日本での生産も厳しくなる。西日本のほうが不足率はむしろ高いのです。
 産業界にとって電力問題は死活問題です。そういう意味では、もちろん、安全を確保したうえでのことですが原子力発電所の再稼働が急がれます。この夏を乗り切ればということで、産業界は無理して何とかやりとげましたが、これを何年も続けるわけにはいきません。自家発電も相当活用していますが、コストを考えると高くつきます。

――需給面だけを考えると、火力発電で代替できるのではないかという意見もありますが。

井手:そこで問題になるのは電力料金です。たとえば三菱マテリアルグループでは、電気代を年間で約200億円支払っています。火力代替で電力料金が2割上がると、コストが40億円増える。利益率がそれほど高くないなかで、費用がいきなり40億円も増えるということになれば、とても厳しいわけです。これは、各社とも同じだと思います。

――安価で安定的な電力を確保することが重要だということですね。

井手:非常に大きいです。製造業にとっては、きわめて大きい。我々よりも電力需要が大きい、たとえば鉄鋼業界などは、もっと大変でしょう。

松本真由美 国際環境経済研究所主席研究員

サプライチェーンから弾き出される日本企業

――原発の再稼働がない場合の電力供給不足について、あらためて状況把握させてください。

井手:政府のエネルギー・環境会議が7月29日に決定した「当面のエネルギー需給安定策」によると、今年の冬、原発を再稼働しない場合は、東日本で1.1%、中部・西日本で0.4%の供給力不足が見込まれるものの、電力使用制限は回避できるとしています。それよりも問題は来年の夏で、東日本で10.4%、中部・西日本でも8.3%の供給力不足が見込まれており、今年の供給力不足を大きく上回ります。しかも、電力不足が国内全体に及ぶため、国内の生産シフトでは対応しきれないと考えられます。
 原発の安全性が確認され、地元自治体や住民の同意を得て再稼働できれば、最悪の事態は回避されます。しかし、今のところ1年先の電力供給についてさえ、企業が安心できる状態ではありませんし、予測できる状態でもありません。

――電力供給が安定しないと、生産計画も立てられませんね。

井手:今夏については、各社とも、限られた準備期間のなかで懸命に対策を検討し、実行しました。国の電力使用制限に関しても、社会への影響の大きさを考慮し、限られた時間のなかで、ぎりぎりまで制度設計に知恵を絞り、産業や国民生活への影響を最小限にするように配慮がなされました。もちろん、国民一人ひとりも、この非常事態への対応に積極的に取り組んだことと思います。
 しかし、海外の企業は、電力の供給不安がある国の企業にサプライチェーンの一翼を担わせることを非常に不安視しています。現実に、日本企業に対する発注を減らし、調達ルートを分散しつつあります。

――原発が再稼働しない場合、電力コストが2割上昇するという試算を先ほど伺いました。

井手: 1kW時あたり、コストが3円前後上昇するという試算もあります。こうした状況下では、国内生産を維持したくても果たせず、海外に出ざるを得ない企業が増えることは避けられないでしょう。
 繰り返しになりますが、電力安定化の道筋を一刻も早く示していただく必要があります。先行きが見えないと、企業の投資判断が非常に難しくなります。決して、原発の再稼働を拙速に求めるものではありませんが、政府には産業界の危機感を共有していただき、的確な対応をお願いしたいと思います。

井手氏は「日本企業はグローバルなサプライチェーンから弾き出されようとしている」と懸念を示す

「脱原発」と「原発輸出」は両立しない

――今後の原子力政策については、どうお考えですか。

井手:野田首相に替わって、より現実を直視した政策に変わりつつあることを歓迎しています。もちろん、安全性の確保は最優先項目ですし、地元自治体や住民のみなさんの合意を得ることは大前提です。これらの手順を踏み、国民的合意を得て、原子力の特性を生かしたエネルギー政策を策定することが大切だと考えます。再生可能エネルギーには期待していますが、現状では、コスト負担や系統連系などの課題もありますし、雇用創出効果についても定量的な検討が必要です。

――「脱原発」ありきではなく、冷静な議論が必要ということですね。

井手:エネルギーについては、時間軸も意識しつつ、総合的かつ定量的に検討する必要があります。福島での事故があったにせよ、我が国の原子力発電技術は依然として世界最先端であることに変わりありません。世界に誇れる最新の原子力技術の活用についても、国民的議論を行う必要があると思います。十分な議論をせず、「原発=悪」という感情論で制約条件を増やしてはいけないと思います。

――政権与党である民主党は、一方で原発依存からの脱却を謳いつつ、国際社会に向けては原子力技術開発を継続し、原発輸出も続けると言っています。

井手:「脱原発」と言い続けると、今持っている原発の維持さえ難しくなります。就職先がなくなるわけですから、原子力を学ぼうという学生もいなくなる。つまり、新しい原子力技術を身につけた人が出てこなくなる。輸出についても、客観的に見て、技術者が育っていない国から設備や機器を買おうという国があるとは思えないでしょう。

野田政権は産業界の危機感を共有できるか?

――11月末には、南アフリカで「第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)」が始まります。東日本大震災の影響でますます厳しくなりましたが、日本の温室効果ガス削減の中期目標についてはどうお考えですか。

井手:中期目標は、何の裏付けもなく唐突に出てきた数字という印象です。温暖化対策基本法案の成立を待たず、再生可能エネルギーの固定価格買取制度が成立しましたが、エネルギー起源のCO2が主たる温室効果ガスである我が国では、エネルギー政策と温暖化政策は表裏一体です。ポスト京都議定書に入る2013年以降の我が国の政策や2020年の中期目標については、来年決定される国の新しいエネルギー基本計画を検討する過程で、ゼロベースで検討すべきだと思います。

――現状を踏まえた現実的な行動計画が必要になりますね。

井手:日本は当面、化石燃料の利用増が見込まれます。また、再生可能エネルギーの導入にも限界がある。国内で最大限の努力をすることは当然ですが、もっと柔軟に考えるべきだと思います。たとえば、日本の最先端技術を活用して世界のCO2削減に貢献し、その削減を日本の貢献策として国際社会に認めてもらう。目標数値の大小を競うのではなく、最先端の環境技術や省エネ技術の活用による間接的な貢献についても、きちんと主張すべきです。

――電力需給の問題だけでなく、日本企業は急激な円高や資源価格の高騰、地球温暖化対策など、さまざまな問題に悩まされています。

井手:当社は非鉄金属やセメントなどの複合企業体で、それぞれの事業によって将来展望が異なります。たとえば主力事業の一つであるセメントは、地産地消型の産業ですが、超硬工具はグローバルな商流のなかで激烈な競争をしています。しかし、国内が政治的に不安定であることは、どの事業にとっても大きなマイナスです。これまでは、紛争地域や新興国などで政治リスクが議論されることはありましたが、日本のような先進国で政治リスクが議論されることは、ほとんどありませんでした。早急に、安定的な政権運営を取り戻してほしいと思います。

■インタビュー後記
 井手さんには、9月30日にお話を伺いましたが、電力供給の制約が企業活動の収縮や国際競争力の低下、産業の空洞化につながるという強い危機感を感じました。これまで日本政府は、温暖化対策に重きを置いてきましたが、今必要なのは、電力の安定供給を実現する確固たる政策です。その具体策を強く政府に求めると同時に、野田政権に対する期待を繰り返し表明されたことも印象的で、これからの日本経済が、政策のあり方で大きく変わるのだということを井手さんの言葉から実感しました。野田首相が産業界の声に応え、具体的で現実的な道筋を示すことができるのか注目したいと思います。(松本真由美)

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