3つの視点から気候変動問題を巡る国際交渉を考える


国際環境経済研究所主席研究員、(一財)日本原子力文化財団 理事長

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 気候変動問題についていろいろと考えるときに、どうしても頭から離れないいくつかのことがある。問題が深いと言わざるを得ない。列挙してみたい。

【身勝手】
 数年前に、ブラジルが「歴史的責任(Historical Responsibility)」を気候変動に関する国際連合枠組み条約(UNFCCC)の場で主張したことは記憶に新しい。過去も同様の考え方が主張され、「差異あるが共通の責任(Common but Differentiated)」という概念で共有化されている。

 しかし、国民1人当たり3万ドルを超える豊かさを享受している日米欧が、いまだその3分の1にも達しない中印に対して、気候変動問題に厳しく対応しろと要求している。これは、いかに気候変動問題が深刻な問題であるとしても、やはり、先進国の身勝手な要求と言わざるを得ないのではなかろうか。さんざん化石エネルギーを活用して豊かになってきた国々が、過去自分たちの辿った道に思いを馳せもせず、これから豊かになろうとする国々に、化石燃料を利用するなと言っているのだ。

【植民地】
 国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)の場では、アフリカや中南米の人たちが見事な英語やフランス語を駆使して多様な意見を主張している。なかには、自らの足元を忘れたかのようにして、欧州の人たちと同じ意見を述べる人もいる。これはどうしたことなのだろう。ここで気がつくのは、かつての植民地と宗主国の関わりである。かつての宗主国は、教育と文化を通じて、いまだにかつての植民地国のリーダーの一部に彼我一体ともいえる影響を及ぼしているのだ。欧州の巧みなかつての統治は、今、こんな形で、現れている。

大欧州の連帯と味方を失った日本の孤独

【欧州の力】
 先進国首脳会議など国際的に重要な場面では、欧州各国に加えて、欧州連合(EU)が参加している。UNFCCCもまだ16年の歴史ではあるが同様である。欧州では、20世紀に2度の戦争を経験した。欧州大陸で二度と戦争を起こすまい、お互いの血を流すまいという強固な思いが、加盟27カ国の過去のしがらみや争いを超えて共有されている。そこには、石炭鉄鋼共同体をはじめとする3つの共同体に発するおよそ60年前からの“大ヨーロッパ合衆国”に向けた強力な胎動が見える。この動きは気候変動問題への取り組みにも見えるのだ。専門家は“EUバブル”と一言で片づけるが、この用語はあまりに薄っぺらで、本質を表していないように感ずる。もっと深く大きな流れなのだ。私見を言えば、この気候変動問題は、大欧州が内部を固め、世界の覇権を主導しようとする大きな軸の一つだと思う。

 こうした点から米国を評すれば、米国は、建国以来、いまだ230余年の歴史しかない若い国であって、まだ、欧州には敵わないのではないか。思想や主義で世界に影響を与え、“統治”するという凄みのある力は、いまだ、欧州が一枚も二枚も上だということだろう。

 それにつけても、わが日本は、何と世界のなかで孤立し、一国だけの主張をしているのだろうか。近年の大きな裏切りによって米国という強力な味方をなくし、一国の仲間もいない状況を作り出してしまった。これからは、何とかアジア太平洋地域で仲間を作り、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)ではないが、いくつかの国々と「地球温暖化対策連携協定(CPA:Climate Partnership Agreement)」を結んで、気候変動問題に取り組みたいものだ。これこそが先進国日本の貢献の道だし、この問題に付けられた“地球”と言う冠の意味を活かし、国境を取り外してみる試みではなかろうか。

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